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アニメ『エイティシックス』が面白い!「諦め」と闘うすべての人へ(1~9話くらいまで)

エンジニア業界の先輩のツイートが流れてきたのでアニメ『エイティシックス』を観た。

クレジットを見ると音楽:澤野弘之さん(一期EDの作曲も担当!)なので否が応でも期待は高まる。

内容はというと、どことなく「諦め」が支配する世界観で、知りたくもない情報ばかり突きつけられるというもの。
しかし、この絶望的状況をどうするのか気になり観るのをやめられない!
そんなアニメ作品である。


全くとんでもない作品が出たものだ。

私は全くアニメ制作の知識はないのだが、本作のような原作小説(ライトノベル、内容はヘヴィだが)が存在する作品だと
どうしても話を再現することばかりに注力するものが多く見受けられる。

だがこの作品は映像がとにかくいい。色彩の対比(後に触れる)がバッチリ効いているし、主人公たちが闘う殺戮機械のCGも全く違和感なく視聴できる。
演技も音楽も本当に当たりを引いた、という感想がまず浮かんでいる。

サブスクで、ハズレ作品を引きたくないから過去の名作ばかり観ていた私に、リアルタイム視聴という、来週が待ち遠しいというあの感覚を思い出させてくれた作品である。

皆さんも、次の話を早く観たいという渇望(Avidity)に溺れてはいかがだろうか。


(以下、ネタバレがあるかもしれないので、こんな文章読むより9話までざっと観ることをお勧めします。初見でこの作品を観られる、その幸運を享受してください)


キャラクターやストーリーについて(ネタバレは多分ないと信じたい)

ストーリーは↓を参照
https://anime-86.com/story/?id=01
キャラクターは↓を参照いただきたい
https://anime-86.com/character/first-half/

まず特徴的なのは、主人公2人体制であるということであろう。

この人と(通称:シン)

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この人(通称:レーナ)

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シンは被差別人種であるエイティシックス(有色人種)の少年で、作品の舞台であるサンマグノリア共和国の城壁外に展開する自動殺人機械<レギオン>と戦っており、
歳上が次々死ぬこともあってか十代にして大尉や部隊長にまでなっている。

その部隊を指揮することになったのがレーナ(なんと軍の少佐である)である。

サンマグノリア共和国、これが無茶苦茶で、エイティシックスが毎日<レギオン>にやられているのに

「エイティシックスは人間ではない->戦死者は0人です(大本営発表)」という理論で城壁に閉じこもり、散々迫害した人種に国土防衛を押し付けているのである。
当然ろくに物資を支援することもなく、エイティシックスの数は減るばかり。
<レギオン>と戦わせるため、彼らに支給されている多脚戦車は通称「アルミの棺桶」であり、徹頭徹尾人間扱いはされないのである。

辛いのが、レーナはこんな適当で道理も弁えない国家を真面目に守ろうとしており、かつ、昼間から飲んだくれ、やる気のない軍人に囲まれながらもエイティシックスを差別せず、少しでも死者を減らそうとしていることである。
これからさらに明らかになる共和国の不都合な実態と、彼女自身の理想の狭間で揺れ動かされ、物語が動く。

そもそもレーナはとんでもエリートとはいえ、十代の少女である。

そんな少女を直接戦地に派遣しないとはいえ、一部隊を一人で指揮させるのが軍の適当さを物語っているし(やらかしても亡くなるのはエイティシックスだから?)、
それにシンの部隊を指揮することになった共和国軍人が、なぜか次々辞めるからといってそんな危なそうな奴に近づけるのは大分アレである。

戦う相手の<レギオン>は2年後に全ての機体が活動停止するそうなので、それまでの間エイティシックスを使い潰しながらやり過ごすのが軍の仕事とはいえ、真っ当な人間には勤め難そうな職場である。

「死刑台にのぼるのは決まってても、登り方は選べるだろ」

私が本作を1〜9話まで観たときの感想としては

「様々な人が面白いぐらい『諦め』ていて、逆に斬新である」

というものだった。

私はそこまで様々な作品に造詣が深いわけではないが、王道の戦争、戦闘ものというものは
みんなが諦めている中で主人公達は諦めない
->すごい!諦めないって大切なことだね!
->仲間も読者も増す

という図式が成り立つかと思っている。

しかし、本作の主人公の一翼を担うレーナはどうか。
エイティシックスに国土防衛を押し付け、昼間から酒に溺れ、無気力な軍人に囲まれる彼女はただただ孤独である。

彼女だけが諦めていないからだ。

それでも彼女は自分を曲げないが、諦めなかったからといって事態が好転する気配は全くないのだから、当然共和国内では浮いてしまう。

彼女の親友でさえ、かつて幼なじみの有色人種を救えなかった後悔から、
再びエイティシックスを救おうとするも断念し諦め、あのとき救えなかったのは仕方ないと"安堵"している。
そして露悪的にエイティシックスを罵るようになった。あのときのことは仕方な買ったのだ、と自身に言い聞かせるように

シンは16歳にして延々戦わされる自身の運命を受け入れ(これは仕方がない)、戦闘以外の人生を想像することができなくなっている。
戦いから逃げることを諦めてしまっている。
そしてレーナは彼らと直接触れ合うことすらできないし、あまりにも立場が違っている。

軍の上官でもある、彼女の父の友人も、レーナに一定の理解を示しながらも差別と無気力に支配されている共和国に諦めを抱いている。

正直なところ「レーナはいつおかしくなるのだろうか」と気になって、
気になりすぎて一日に数話観てしまうほど、彼女は追い詰められている。

この、周囲に流されないからこそ辛くなるというのは
特に社会人の方に覚えがあるのではないだろうか

嘘つき大会の就職活動、流石に令和だから残業代は出るだろうと思ったら「みなし残業」とかいう謎の概念で手元の金は特に増えない...
露骨に適当やっている上層部の一方で、正確な仕事を求められる
かと言って高度経済成長期でもないこの時代では成り上がりは期待できない...

「そういうものだ」と皆受け入れていても納得がいかないことは多くの方にあるはずである。

そうした日々で諦めるか、それとも立ち向かうか...

そんな方に紹介したいのが冒頭の言葉

「死刑台にのぼるのは決まってても、登り方は選べるだろ」

である。

レーナが、生き残れそうもないエイティシックス達に
こんな状況であれば逃げたり、共和国に反乱を起こしたりしないのかを問い、
返ってきた返答がこれである。

彼らは彼らなりに、ただ戦わされていただけでなく、誇りを持っていたことが明らかになる印象深いシーンである。
(単なる差別者VS被差別者という構図に持っていっていないところがまた、本作を推せる理由になるのだ)


この場面での対話を境に、

諦めることを諦め吹っ切れたレーナと、
生還は半ば諦めるも最後まで戦い、生を全うしようとするエイティシックス。
この二勢力が物語を押し進める。

どこか諦めが支配するこの時代に誕生した、
過去にないほど諦めと真正面から向き合う本作。

ここまで人を惹きつけるのは、やはり「人生、諦めが肝心」なのかもしれない。

演出、音の表現など

...と、いい感じで終わろうとしたが、アニメといえば演出や音楽(劇伴)についても触れねばならないだろうと思い、少し書く。これは諦めるわけにはいかないので

本アニメのヴィジュアル面でまず目を引くのは、色彩についてであろう。

共和国内部で暮らすレーナの周りの色彩は、青や白など「安全な」色が多く安定した生活を送っているようなイメージを我々に抱かせる。
そこで暮らす人種の象徴でもあるのだろう。

対して、共和国の外にいるシンの側は様々な色彩に囲まれている。国が完全に勢力下に置いていない場所ということもあって自然に溢れていることもあるのだろう。
何より戦闘が日常なので鉄や火花の色に溢れ、

当然血の色も例に漏れない。

よくアニメで使われる手法としては人物の心情を映像に反映することが挙げられる。
戦闘に慣れ、安定した心を持つ(本当に?)シンの心情より、まだ精神が不安定なレーナの心情を反映した演出が多く見られる。

青と白ばかりの共和国で、レーナが理想と現実の狭間で揺れ動くときに夕焼けという、赤っぽい色を映し出しているシーンなど、見る度に発見がある。

エンディングにおいても、作中シーンの画像を色彩を反転させ流すといった演出が用いられ、共和国の壁のこちら側とあちら側を行き来する本作を締めくくっている。

そして、音に関してもなかなかこだわりがあるようで、ぜひ本作ご視聴の際はイヤホンか良質なスピーカーをお勧めする。

では、楽しんで

参考資料

原作者Twitter
https://twitter.com/Asakura_Toru

アニメ公式サイト
https://anime-86.com

原作
https://dengekibunko.jp/product/86/321611000284.html

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