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私と逃走中の20年

2024年6月26日。ついに逃走中が放送開始20年を迎えた。
普通のバラエティの特番で10年、いや5年続くものですらかなりのレアな中で、「オールスター感謝祭」「SASUKE」らと並び20年に渡り放送され続けてきたのはまさに偉大で歴史に残る番組といって過言ではない。

そして私の逃走中ファン歴も12月で20年となる。「渋谷2」編で逃走中を知り、追いかけ続け、データを集め続け、書き続けて、聖地巡礼で飛び回って、とにかく熱心に楽しみ続けていたらいつの間にか気の合う仲間たちが出来て、演者さんやスタッフさんにまで知られていて、「逃走中データの大御所」みたいな状態になっていた。

今回はこの20年を機に、逃走中の歴史と共に自分がどういう感じで逃走中と触れ合ってきたのかを振り返っていきたい。

2004年12月28日

この日は今でも覚えている。当時は中学1年生だった。
冬休みに突入し、療養中だった祖父(当時私は知らなかったが末期がんであり、翌2005年1月に天国に旅立った)が病院から一時的に家へ戻った「特別な時間」の中、私は新聞のテレビ欄を眺めていて「逃走中」という文字を見つけた。
冬休みシーズンといえばその時にしか放送されない特番がとにかく面白かった時代。やはりこの番組を見て「面白そう」という感触を母と共に抱いていた。

そして23時半から放送された逃走中は面白かった。非常に面白かった。
その感想を何か言語化するのは今でも難しい。でもめちゃくちゃ面白かった。

ここから自分と逃走中の運命が動き始めていき、自分の人生も大きく変わって行くことを、中1だった自分は全く感じていなかった。

クロノス放送開始まで

そこからクロノス放送開始の単発時代までは回数も少なくとにかくいう事も無い。

学校では半ばいじめに遭い、進学希望も分からない中で塾に通い、プリキュアと涼宮ハルヒに人生を求めていた中でも、何故か逃走中は私にぴたっとくっついてきた。

「ザ・リアル」に関してはリアルタイムでは見ることはできなかったが、何故か「母と山梨に朝一でドライブし、ほうとう食べて夕方前に帰ってきたら再放送をやってた」という奇跡的な遭遇で見ることが出来、その後も逃走中は必ずチェックしリアルタイムで見ることに拘っていた。

お台場編の雨中の大激闘、渋谷編の激闘と経て、2007年3月のハウステンボス編。初めての100体ハンターに度肝を抜かれたと共に「跳ね橋のギミック面白いなぁ」と感心したのを覚えている。

クロノス・ジャンプ時代

そして2007年4月。「クロノス」放送開始。
当時高校1年生だった私は部活に入らず「1人部活」として当時オープンしたばかりのデパートでガンシューティングとAnswer×Answer、そしてボルダリングに挑戦していた。

そんな中で放送された「クロノス」。流石に翌日月曜日から学校がある私にとってはリアルタイムで見ることはできず録画に頼ることとなった。
それでも朝起きてすぐに録画を見て楽しむのが毎週の楽しみであり、解除中や密告中など新ゲームに胸を躍らせた。
もちろん朝の支度では時間が間に合わず、「森の公園」は途中で学校に行くことになり「裏切り者誰なんだろう…」とワクワクしながら学校に向かい、最終回の「だがゲームは終わらない…」の衝撃を喰らってから学校に行ったこともあった。

からの「ジャンプ!」時代。
当時「エンタの神様」でも一番好きな芸人がオリエンタルラジオだった中でオリラジが毎回参戦というだけでもかなり嬉しかったが、やはり規模のでかさ。
特に印象に残ったのはUSJ編。ハンター100体上陸ミッションのインパクトもさることながら、小学6年生の時など当時2、3回ほど行っていたUSJが逃走エリアになり「ここ行ったわ!」みたいなのを一番感じられた回だった。

そしてこの当時から「逃走者のデータ」に関心を寄せ始めた。
当時のWikipediaのページでは結構逃走者の逃走時間やゲーム展開について詳細に記載されていた(現在は「テレビ視聴記録」となるため削除されているが、今でも履歴を最古の方から探るとその痕跡が残っている。)。
当時まだ家でインターネットが繋がっていなかった私は図書室にあるインターネットで毎回Wikipediaに記述される内容を見ては楽しんでいた。

再特番化時代~そして礎が築かれる~

ジャンプ!は半年で終わってしまい残念だなぁと思いつつも、その直後に「お台場2」編が放送されたため「ああ、今後も逃走中はやってくれるんだな」と安心しながら再特番化の回を見ていた。
もちろん全ての回をリアルタイム視聴し毎回興奮していた。

そして2009年9月9日。自分でも気づいたが偶然にも9揃いという日に「逃走中」のデータをまとめるExcelを作り始めた。

当時なぜ作ったかは分からないが、確か「これだけ回数やっているんだからそろそろデータとしてまとめられるんじゃないかな」という動機だった気がする。

特に影響を受けているのは「かずなのクイズ!なんでもShow by ショーバイ!!」さんと「マジカル頭脳パワースタッフ黙認サイト(閉鎖済)」さんである。

サイトで紹介されるSHOWbyショーバイやマジカル頭脳パワーの問題やデータ、あるいはそこからリンクされている方々のデータの収集量に中学時代からとってもお世話になった。
現在は閉鎖されているが風船さんによる「ミリオンスロット」は今でも使わせてもらっている。

それを見て「何か自分も作れるのではないだろうか」みたいな感覚で作り始めたと思う。
当時はExcel関数はおろか簡単な数式すらも全く分からなかったので全部手計算。電卓に「残り時間から逆算した逃走時間」を全て手入力で打ち込んでいた。
また、当時導入していた指標として「逃走偏差値」というのがあった。当時「平成教育学院」が放送されていた影響があるかもしれないが、後に「計算めんどくさいしあまり有効な指標じゃないな」と思い削除した。
ただ、この時から既に「逃走率」ははじき出していた。これも今では「=逃走時間/ゲーム時間」を入力するだけで簡単にはじき出せるのだが手計算だった。
ただ、これによって「逃走中は回ごとにゲーム時間が変わるため逃走時間では成績を比較しにくい」という難点を回避できた。単純だが今思えば大発明と自画自賛したい。

作り始めて15年。その間にパソコンも2、3台更新しているがExcelのデータはバックアップも含んで今もなお現役で使用している。
自分にとっての「原点」である。

同じ番組を同じ心で楽しむ仲間たち

その後も逃走中は必ずチェックし、大学進学後も当然のように楽しんでいた。
2012年。ちょうど自分がTwitterを始めた。
最初の頃から「逃走中ファン」の方をフォローしていたが、やはり決め手になったのは「禁断の恋と財宝村」が放送されたこと。
この回と言えば鈴木拓さんの自首による大炎上。Twitter上は鈴木さんを批判する声だらけな中、「いや、別にルールだからいいんじゃない?」と思っていた自分と同じ考えの人達が自然と集まった。
当初はある意味「逆張り」する思考から自ら「性悪(しょうわる)界隈」と名乗っていたが、いつの間にか「クロノス社」になっていた。
こうして知り合った方々とボドゲオフ会などを通し、2014年に初めてお台場合衆国で逃走中ブースが出展されたことを機に大規模オフ会を開催。それから毎年の恒例行事となった。
特に逃走中ステージイベントでは仲間たちが「ハンターコスは分かるにしても逃走者コスで普通の人からも驚かれる」「ステージに上がった際ブラウンクロウコスで登場しアンガールズ田中さんにバトルボールでツッコまれる」ということをした。今思うとえらいことしてる。
さらには「総裁」こと逃走中創始者の高瀬敦也さんに直接会って挨拶もした。会えたことも、熱い想いを皆で伝えられたのもとっても嬉しかった。
(このことは高瀬さんの著書「企画」にも載っているのでぜひ)

年々人数が増え「一番くじ爆買いツアー」だの「いるだけで迷惑」だの言いながらも、人と関わる事が苦手な私が逃走中を通して本来知り合うはずの無かった人達と遊ぶという経験、そして自分の専門外の人達から学ぶ様々な知識は大学を中退して社会からはぐれていた自分にとって最高の場所となった。
メンバーの別れや新加入もありながらも、いまや様々な逃走中コミュニティがある中でやっぱりこここそは「最古参」にして「最強」と自負したい。言い過ぎだろうか。

逃走中予想レース

そして2013年から始めたのが「逃走中予想レース」。

元々のきっかけは「自分が持っている逃走率のデータで何か遊びたい」「未来ドラマでも逃走者の成績でギャンブルする様子があるから真似しても良いのでは」ということだった。

開始当初は「没収金を分配する」みたいな複雑な式だったが、最初から「平均逃走率を越えられるか」という設定は変わっていない。
どうしても一番人気に偏りがちな中で「ノルマは高いが強豪に勝負するか」「実力は薄いがノルマが低い人を選んで破産を回避するか」という選択肢を設けたのは正解だった。

初回は自由制だったが、その時が「新浦島太郎物語」でアンガールズ田中さんに集中してしまい「面白くねぇ!」って思い、その次の回で「在庫制」が導入。それでも田中さんをみんなが求めて「面白くねぇ!(あと処理めんどい)」となって「在庫制限制」が導入。ほぼフォーマットは一桁回で確立された。
その後は規模の拡大と共に多少手入れしたり、丁度そのころ始まったプレバトの「特待生制度」を参考に段級位を入れたり、永世名人制、特別永世名人制、プレバト俳句タイトル戦「冬麗戦」を参考に、現在はアニメ版をベースとした「グレートチャンピオンツアー」などを導入している。

よく「無料で出来るギャンブルでこれほど脳汁が出るやつはない」と言われる。
競馬は3分、パチンコは数分~数十分、ポーカーやバカラは一瞬で決着がつく勝負である。
が、この逃走中予想レースは「下手したら一瞬で終わる」という側面を持ちつつ「優勝を目指すなら3時間(場合によってはそれ以上)祈らないといけない」とハラハラする時間がとても長い。

自分が子どもだったころ、親戚が休日に競馬やパチンコをするのを見て「大人になったら自分もやるのかな」と思っていたが、自分で開発したこのゲームをやっていると、とてもじゃないがパチンコなんざダルすぎる。それぐらい「健全」で「ハラハラ」するゲームになってしまった。

常に皆さんに「熱くなり過ぎないように」とは言っているが、それでも毎回ゲームマスターである私も「連続無破産記録を止めたくない…」という一心で戦っている。

逃走中プレイヤー紹介

それと並行して進めていたのが「逃走中プレイヤー紹介」記事である。

元々「アルティメット」の時からやっており、その時はWord打ちでOneDrive配信だった。それをブロマガにして、現在はLivedoorブログという形で行っている。

各逃走者のノルマとなる「平均逃走率」や販売数を告知するために必要でありつつも、「情報を出し切った上でフェアな勝負を行う」というスタンスに基づいている。

昔から逃走中のキャスティングの外連味は変わっておらず、昨年も乾き亭げそ太郎さんやゆっきーさんといったキャスティングに驚かされた。
そこに「誰?」という疑問だけで終わってしまうのは面白くないし、そもそも予想レースで賭ける人にとって「情報が無い」というのは判断材料として厳しい。
そこで代りに自分が情報を仕入れて「この人はこういう経歴なんだ」「こういうスポーツをやってたんだ」というのを紹介することで情報格差をなるべく無くそうという取り組みでもある。

毎回の爆速アップに驚かれたり、ある種「義務」みたいに思われがちなのだが、自分にとってはこれはもう「儀式」みたいなものである。
逃走者情報が発表されて、これを書き上げて、それをニコ生で紹介してようやく「さあ、逃走中が始まるぞ!」と気合が入る。
そういうのを調べて書いているだけでもとにかく楽しい。

クロノス参戦プレイヤーwiki

2018年9月12日。クロノス参戦プレイヤーwikiを立ち上げた。

元々なんで立ち上げたかと言うと、プレイヤー紹介を書く際に平均逃走率や逃走ポイントを書きだすのにいちいちExcelのデータベースから検索して引っ張り出すのがめんどくさくなって「だったらデータ提供も兼ねてwiki化してしまおう」と思ったからだ。

ただ、最初は戸惑った。何せこの時点で逃走者は550人ぐらいいる。アンガールズ田中さんに至っては既に20回以上参戦しており、延べ人数だと1000人ぐらいだろうか。
自分のプライドとして、ここで始めたところで途中で飽きて投げ出してしまったらという恐怖心みたいのもあり、最初は開設を躊躇っていた。
だが、書いているととにかく楽しかった。毎日逃走中の動画を見て、成績を書きだしつつ各逃走者がどういう言動を取っていたかを書いていく。
逃走中というゲームが「ゲーム時間」という「縦軸」で見ていくのに対し、このやり方は「逃走者」という「横軸」で見ていく。この視点はずっと逃走中を見ていた自分でも本放送時には気づかなかったコメントや行動など様々な気づきがあった。

本来は「1日1人書きだすとして2~3年ぐらいかかる」というペースだったのだが、気付けば「1日4人分一気に書き上げちゃう」とフィーバーモードには入り、2020年2月6日、1年半かけて当時の参戦逃走者606人のデータを書きだすことに成功した。

そしてこの1年半の作業は自分でも思いもよらない効果があった。
元々文章を考えるのが苦手だったのだが、1年半毎日文章を書きだすことで「ここの助詞はどうなんだろう」とか「これは二重表現になるからもうちょっといい方法ないかな」みたいな、文章を考える力というのが付いた。
その後、職場の資格試験で小論文的レポートを書く際にもこれがとっても生きて、上司からも「あの回難関だったのに」と言われた回で資格を取ることができた。
1年半にわたる「反復練習」はやっぱ伊達じゃなかった。

ただ、これで終わって「暇だなぁ」となってしまったため、そこから「未来ドラマまとめ」や「エリア内ドラマまとめ」、「ミッションまとめ」などをやり出して、今や「一大研究データベースサイト」となってしまった。
それぐらい逃走中というものはとにかく奥深い。

また、おひさま(日向坂ファン)の皆様に「とんでもないサイト」と表現されてバレたのも思い出深い。


私のバカせまい史に携わる

2023年8月6日。寝起きでTwitterを見た私の目に飛び込んできたのは制作会社「NEXTEP」と、そのNEXTEPの飯塚さんにフォローされたという通知だった。

「NEXTEP」は「私のバカせまい史」を制作しているのを知っているので、この時点で「ああ、バレた」と察した。

その数時間後、仕事の休憩中にメッセージが送られてきた。


全バレである。

改めて協力を快諾し、詳しいお話を聞き、メッセージや電話でやりとりし、私が推薦したがりさんとともにZOOM会議で打ち合わせを行い、テーマに対して「ここを取り上げて欲しい」「こういうのはどうでしょうか」みたいな話をした。また、ハンター関連については「もっと詳しい人がいる」とシンテグラルさん(阿部慎太郎さん)を紹介した。
結果的に番組最後のスペシャルサンクスが私含めてこの3人で完結したのを見た時はちょっと「マジか」と思ったけれど。

打ち合わせ等で言われたのは「逃走中を知らない人に楽しんでもらえるのは勿論だが、逃走中を知っている人にも楽しんでもらいたい」という事だった。
特に我々の周りはバラエティ名人の手練れだらけ。身内としてその強さは知っているからこそ一切手は抜けないというのは自分も覚悟していた。
だからこそ、放送後に「今回のバカせまい史はとっても面白かった」というコメントを沢山見た時は私もほっとした。

そして、改めてテレビ番組にしっかりと名前が載った事は本当一生の記念となった。
昔からNHK歌謡コンサートに「地元の子」として出たり、天才てれびくんの生放送の中継に映りこんだり、街頭インタビューでおすすめ漫画に「ポプテピピック」を薦めたりと度々出てきたが、ついに名前入りで出ることができた。
自分が逃走中を極めてなかったらこんな体験は絶対できなかった。改めてこの機会をくださったバカせまい史のスタッフの皆さんに感謝しかない。

自分と逃走中

多分引かれるかもしれないが、自分の中では「逃走中」にかけるリソースの割合は「そんなに高くない」のである。
逃走中以外のテレビ番組(プレバト・鬼レンチャン)などもあるし、クイズもあるし、謎解きもあるし、ゲームもあるし、駅メモによる鉄道旅もある。
いろいろやりたいことがあるからこそ割と「逃走中オフシーズンになっても全然平気」なメンタルをしている。
たまに「もし逃走中に出会ってなかったらどんな人生だったのかな」って考える時もある。きっと普通に大学を卒業して普通に社会人になってたのかな。

でも、逃走中に出会ってなかったらこんな様々な体験も、素晴らしい人達にも出会ってなかった。
昔っから早起きが苦手で、ニチアサが好きでもリアルタイムには起きて見らない人間だった自分が、「逃走中グレートミッション」をリアルタイムで見る為にバキっと8時45分に起きて、それで見る逃走中に興奮したり、朝6時に発表される逃走者発表に「眠れない」ってなって朝5時に起きて作業したり、小学生の時は遠足の前の日でもグースカ寝ていたのに初島や横浜中華街に聖地巡礼する日は全然寝れなくてバッキバキの目で始発で向かって楽しんだり、なんか今の方がずっと童心に返って楽しめている。

今の自分の日常は普通の人にとってちょっといびつだけれど、それでもこの逃走中が作ってくれた日々に感謝しかない。

人の欲は終わらない

最後に、自分が逃走中で「研究」していることの一つとして「人間の欲」というものがある。

逃走中という番組がビッグになり、それに出演するだけでも価値があり、そして逃走成功の栄誉を得られるという番組となった中でも、やっぱり原初の「欲」は「金銭欲」である。

逃走中の笹谷CPのインタビューにて、子ども向けになった中で親御さんから『お金目的で走っているのは良くない』『子どもに見せたくない』という意見があった事を明かしていたが、でもお子さんだってそういった「欲」には勝てない。
「あのおもちゃが欲しい」「あのゲームがやりたい」といってダダをこね、泣いて、時に地べたに這いつくばって「抗議行動」をするお子さんを週1で見ている。「おもちゃ」「ゲーム」というフィルターは通しているが、それもまた言ってしまえば「金銭欲」の一つだ。

思えば自分はそういった「ダダをこねる」という事をしなかった人間だった。
親から「うちは金がないから」と言われてきたというのもあるし、戦隊も好きではあったが「おもちゃが欲しい」とは言わなかったし、ゲームも好きではあったが「さして最新作(当時だとPSや64)が欲しいとは…」みたいな人間だった。ブックオフで攻略本だけを買って読んだり、親のスーファミで中古のFF5やDQ6をやるだけでも十分楽しかった。

それは今も同じで、服は仕事着兼用普段着以外はほぼいらないぐらい無頓着だし、家電も必要以上のハイスペックはいらないし、車は乗れないし、家は実家だし、旅行は好きだけれど「高級ホテルで豪華旅行」みたいなのは好きじゃない。
好きなプリキュアや綾波レイ、小早川凛子につぎ込むにしても「等身大フィギュア」みたいなバカ高いやつはいらなくて、普通のプライズのフィギュアで十分。だからそんな万以上する買い物をほぼしない。
日向坂も推しているが「節度ある金額」「仕事のスケジュールもあるし、無理して毎回ライブには行かない」としている。

そんな「金銭欲」があまりない自分にとって逃走中とは「金のために逃げる」という姿を見せる逃走者から「欲とは何か」というのを学ぶための一生の研究材料でもある。

逃走中って、ずっと逃げる番組なんですけど、実際にはずっと追いかけてた。

-アンガールズ 田中卓志(私のバカせまい史より)

無事逃走中が20年続いたが、人の欲は尽きることはない。
だからこそ、また次の10年、20年、いや、2900年まであと876年。
それまで「『逃げる逃走者』を『追うハンター』、を映す『逃走中』」をずっと追いかけていきたい。


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