9月22日
971人の前で奮闘した選手は、4年後、
10,667人の熱視線を浴びるピッチに立っていた。
マスクとアルコール消毒液が片時も手放せなかった頃。規制だらけにはなったが、そんな状況下でもJリーグは開幕してくれた。
スタジアムでの試合観戦が当時から常であった私。やはり中継だけでは物足りない。
とにかく人様に迷惑をかけないように生きたい性格ではあるが、目の前にある週末の楽しみを奪われ続けることがさすがに堪らなくなった。
厳重に対策をして、米子へ足を運んだ。2020年初現地観戦。
見慣れたスタジアムは、去年とは変わっていた。
持ち物、入場前の体温測定、少ない観客、席番号の撮影。
そして何より、選手。
中継でどれだけ観ていても、意外と分別がつかないのである。これは毎年のことなので予習不足と言われたらそうとしか言えないが。
どなたがどなたか答え合わせをしながらアップを眺め、滞りなく試合も進んだ。
後半12分、最初の交代カードが切られた。
当時6番を背負っていた世瀬啓人選手に替わって出場したのが、新井泰貴選手。
初めて観る公式戦でのプレーを目で追った。追おうとした。
ん?
集中していたはずなのに、全く見当たらなかったのだ。目の前を走っていたのに、気がついたら逆サイドにいたり。まさに縦横無尽。
どこまでも全力で駆け抜けていくプレースタイルに衝撃を受けた。
2020年9月22日。"推し"が誕生した日である。
それからメキメキと頭角を現し、スタメンを確立。
鳥取にいた3年間で数々の勝利に貢献。ゴールもアシストも記録。
みるみるうちに頼もしさと逞しさが増していく背中が、同じ番号を背負って応援している身としてこの上なく誇らしかった。
そして、実力で個人昇格を成し遂げ藤枝へ移籍。
もちろん追わない理由などない。
J2の舞台で輝く姿を観に行きたいという一心で藤枝遠征を始め、今に至る。
そして、かねてより行きたいと思っていた清水戦へ。
藤枝に来てから更に磨きのかかった攻撃参加に何度も沸いた。明らかにそのパスから、その切り込みからチャンスが生まれたという場面の発端は、毎度同じ。バイアスなんかじゃない。
しかし、結果は2-3の逆転負け。
並々ならぬ思いを抱いたダービー戦は惜敗に終わった。
悔しいなんて単純な言葉では言い表せない。
ただ、どんな状況になっても体力の限り駆け回る姿は変わらなかった。途中で降った雨を蒸発させてしまうかのような熱気溢れるプレーに圧倒された。
2024年9月22日。丸4年追いかけてきた選手は、私が最初に観たときの約11倍の大観衆の中で奔走した。
私が今まで観てきた中で、間違いなく最も熱狂した試合だった。その熱も冷めぬまま、大分への道中でつらつらとお気持ちを述べている。
推し始めて5年目のファーストゲーム。
目指すは勝利のみ。
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