マッキー音楽歴〜中学・高校編
※Facebookからの移植。投稿日:2016年10月4日
一番最初は、母親に買ってもらったビートルズのボックスセット。当時、中学2年生だったと思う。 それと、家にあったカーペンターズ、来生たかお、ルイ・アームストロングなどのCDを聴いていた。
カセットテープにお気に入りの曲を集めて、自分のベストアルバムを作ったりしていた。
中3の冬休み、幼馴染のYに誘われてギターを弾き始める。通ってた塾に置いてあった一本のギターを、Yと取り合いながら弾いてたのを鮮明に覚えている。
何故かビートルズのブラックバードを一番最初に覚えた。 その頃はまだ自分のギターを持ってなかったので、家では母親が学生時代に買ったという中出治のクラシックギターを弾いていた。これは今でも大切に弾いている。
母親からは、PPMのパフを教わった。
高校生になってからは、クイーン、オーティス・レディング、尾崎豊などを聴き始める。
NHKで放送されたビートルズ・アンソロジーで、ボブ・ディランを知る。 それ以降、ずっとディランを追うようになる。
たぶん、高1の2学期が始まってすぐだったと思う。幼馴染のYからピート・シーガーのグレイテスト・ヒッツを借りる。 We shall overcomeを聴いて涙する。 恐らくこれが人生の転機だった。
高2の冬休み、幼馴染のYに付き添ってもらって御茶ノ水のクロサワ楽器で人生初のアコースティックギターを買う。スタッフォードのD-28コピーモデルだった。
これまた幼馴染のYの誘いで「東京の高校生 平和のつどい」実行委員会に出入りするようになる。最初は会の終わりにギターが弾けるのが嬉しいからという理由で通い始めたが、ここで今でも繋がりを持つ多くの友達と出逢う。
秋に開催される「ピーストーク・イン・東京」に向けて他校のメンバーとバンドを組み、練習を始める。レパートリーは、先輩たちが作ったオリジナルテーマ曲、ブルーハーツなどだった。
ピーストークは、平和について考え活動する高校生たちが全国から集まり、テーマ毎にディスカッションするイベント。出店はないが、学園祭のような雰囲気だった。
映画「ガマ 月桃の花」のテーマ曲「月桃」は、この頃からずっと歌っている。辺野古のテント前で歌うと、オジー、オバーたちが口ずさむ。 そんな今に繋がる歌のいくつかは、この頃に覚えたものが多い。
ブルーハーツの「青空」はデモで集会でバンドで、数え切れないくらい歌った。 ドブネズミみたいに美しくなりたいって今でも思ってるのは、このせいなのかもしれない。
ピーストークのバンド世話人をしていたK氏とは、この頃からの付き合い。 彼の影響で、長渕剛と山崎まさよしに傾倒する。マンドリンや12弦ギター、ナッシュビル・チューニングも、この頃に彼から教わって弾くようになる。 「血が出るまで弾け」という名言(迷言?)と共に、鬼と恐れられていた彼も今では仏となる(笑)
高校卒業記念にバンドパートで一緒だったメンバーたちとライブハウスに出演する。イエモンとかジュディマリ、ミスチルなんかをやったような気がするけど、難しくて辛かった記憶しかない(笑) でも、この時が生まれて初めてのライブハウスだった。
高3の時に、初めてボブ・ディランを観る。学校の公衆電話からウドーに鬼電してチケットをゲット! 東京国際フォーラムのディランは、米粒大だった。。
通ってた三鷹の塾でシンガーソングライターの山本さとしさんのコンサートが催される。日本語で歌う本物のフォークとの出逢い。 昨年あたりから山本さんのステージを観に行くようになり、この頃とまったく変わっていないことに驚くと共に、嬉しくて仕方がなかった。歌い続けることって、なんて素晴らしいんだろう。
この当時、学校でのいじめ自殺問題が表面化した時期だった。この時の僕は山本さんの「ぼくの卒業式」という歌を聴きながら泣きじゃくっていた。
高校を卒業する手前ぐらいから、ライトニン・ホプキンス、ロバート・ジョンソンなどを聴くようになる。それから大学生になってしばらくはブルースしか聴かない時期が続く。
この頃から伴奏ギターだけでなく、リードギターへの衝動を抱えるようになり、四辻で悪魔と契約したいと願うようになる。←ヤバイ
つづく