マッキー音楽歴〜大学生編

※Facebookからの移植。投稿日:2016年10月6日

武蔵野美術大学の日本画学科に現役合格し、生まれて初めての電車通学を経験する。

この頃の通学時に一番聴いてたのは確か「ブエナビスタ・ソシアル・クラブ」とドック・ワトソンのベスト盤だったと思う。 

ピーストークのバンド世話人をしていたK氏からペンタトニックスケールを教わり、ゴリゴリのリードギタリストに変わり始めたのもこの時期。佐橋佳幸さんと小倉博和さんによる山弦がお気に入りだった。 

この頃からラジカセとMDを駆使してオーバーダブを繰り返すようになる。たしか、借り物のエレキギターとマルチエフェクターも使っていたと思う。

 高校の終わりくらいから古いブルースにどっぷり浸かっていたこともあり、どうしてもビンテージギターが欲しくなる。

 今はなき三鷹楽器3Fフォークカウンティで1960年製ギブソンLG-1を買う。三宅伸治さんが実際に弾いてた一本で、サウンドホールの周りが一部無くなるくらいに削れていたのが印象的だった。

音はとんでもなくジャジャ馬なんだけど、調子が良いときはチョーキングだけでチビるぐらい良い音を出していた。その後、修理を繰り返しピックアップを付けるなどしたが、今は新潟の友人の手に渡っている。

 中学から通ってた塾で講師をしていた、今は沖縄に住む依田さんからバンドに誘われる。最初はエレキギター2本とドラムだけだったが、その次からは女性ボーカル、キーボード、パーカッションを加えたバンドに変身する。

それが、アルカッフェの前身となる…Laterfineというバンドだった。 ブルース小僧だった当時の僕に、いろんな音楽を教えてくれたのが依田さんだった。

この頃、ピーストークバンドで一緒だった友人から借りたエピフォンのセミアコを使っていたが、その後、ストラトとかではなく何故かビンテージのフェンダームスタングを買ってしまう。 

幼馴染のYと彼の大学同期S、僕の3人で海楽歌人(からかっと)を組む。 ゆずのような爽やかなハモりに、ゴリゴリのブルースギターが絡むという、特殊なトリオだった(笑)

 この頃はギターに時間とお金を費やし続けたために「ギターが恋人」と呼ばれる(爆)そのためにバイトに明け暮れてたので、たいして学生らしい想い出は残っていない。。 

幼馴染のYを中心にピーストークの仲間たちと「Wings of Tomorrow 」通称「うぃんとも」というライブイベントを企画・開催するようになる。


つづく


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?