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くどうれいんと鰹節🐟

盆に入り、実家に帰省した。
久しぶりに対面する母から
勧められた本があった。

くどうれいんの
「私を空腹にしないほうがいい」だ。

(写真は関係ない。。)

少し前、7月の頭だったかな
「この作者、あんたと同い年だしおもしろいとおもうよ」とのこと。

事実、おもしろかった。
ああ、この人は同い年かもしれないなと思った。
読めば読むほど身近な友人のイメージを
想起させられた。

きっとこの人はぼくと境遇が似ている
とも勝手にそういう設定であたまが回転してく感覚
いやもしかしたらこの年代の人は
そういう人がおおいのかな
そんなこともないか

そうだ。本の説明をしていなかった。
「くどうれいん」の本は
食事や食に関するエッセイだった。
作品の中で食べ物達はとても生き生きしていた。
生き生きというか光っていた。(少なくとも僕にはそう感じた)
光はギラギラではなく、キラキラという感じでもなかった。(じゃあなんやねん)
夏の朝の太陽が完全に昇る前、
ぼんやり空が白むころ、そういった類の光だった。
とぎれとぎれに時間が進んでいく中で
20代の感性が散り散りに積もっていた(この表現が正しいかは不明)

読みすすめていくなかでぼくは内側にはいっていった。

作品には自分の感情を
客観的にみることにシフトさせる力があって。
この何ヵ月かでこれからの自分のことを考えたり、成長しなきゃって考える自分を
等身大だと認めさせるような、
一種の瞑想をしているような気持ちにさせた。
彼女の日常は
ぼくとちがう意味で好奇心に溢れ
ぼくとちがう角度でのひねくれがあった。
それらをひろってくるその感覚がとても羨ましかった 。

そのなかでも彼女ととても共感できる場面があった。

彼女の両親は共働きで
学校から家に帰ると自分で料理をつくるのが毎日という場面があった。
そのときにいろんな食が好きになったとあった。


ぼくの両親も共働きで腹が減って家に帰ったら
朝のご飯の残りに鰹節と醤油、マヨネーズを
ぶっかけて混ぜて食べていた。
それがぼくの日常で、マヨネーズの強く酸味のある味と醤油の塩気、鰹節の香りがたまらなく好きだった。

物事の感覚が徐々にひろがっていく
夕暮れの孤独と鰹節の香り
いまおもうとあれもひとつの青春だったんだなー

(終わり)🙇

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