サブカルと呼ばれるもののうち好きなものはあるが、というか自分だって世間一般的に見たら「サブカル系」なんだろうが、サブカル女子サブカル男子が嫌いなのはどうしてだ
どうしてかはだいたいわかっている。衒いがないからだと思う。
なんというか、サブカル、というwordingそれ自体からもはやこのようなニュアンスは完全に抜け落ちてしまっているのだけど、サブカルチャーっていうのは本来的に、後ろ暗い、うしろめたいものではないかね。
しかも、その「後ろ暗い」というのは、逆張りでの「そういうの好きな俺カコイイ」的な、検索してはいけない言葉的な小二病的な感情ではなくて、本当はそんなものに惹かれないような人間性そして人生がずっといいということはわかっているのだけどどうしても良いと思ってしまう、実際、我々が惹かれるような作品たちは結局はどうしようもないようなものだし、てかそもそも映画やら文芸やらにいい年して耽溺していること自体どうなんだよ、本当に自分たちは碌でもない。生きててすいません、スポーツもバーベキューも車の運転もできない本当に人間界のクズでごめんなさい。無能のくず人間たちーーたちとか言ってゴメンな、一緒にされたくないよな、まあつまりすくなくとも私一人はここにいるわけだーーはそれでも切実である。生きてたって世界の癌だが死ぬのはこわい。なんだかんだ生きるしかない。
私たちとサブカルチャーの関わりというのは、このようなずるずるした人間たちによるそのような生があらわれた作品への自己投影、撞着、その間だけ存在が赦されたような気持ちになる、ああここに仲間がいたんだと思える、そうやって自己嫌悪を真剣に感じながらしかし大事に宝物のように心の拠り所として持っておくようなものであって。断じて、カッコいいもんでもおシャレなもんでもないんだよ。人前に出すのなんて恥ずかしいはずなんだよ。みせびらかして、人に誇示できるなんておかしいよ。なんでそんなに堂々としていられるんだ? 所詮、我々と同じ、世界のゴミなくせに!! (ああもしかするとあなたは本当に、世界のゴミじゃない側の、役立たずなんていわれない側の、最低限の能力を持ち合わせている側の人間なのかもしれない。しかし、だとしたらなぜ、ここに来たんですか? 私はあなたに成り代われるならいつだって成り代わりたい、そしてまっとうに生きていきたいよ、周囲に気くばりし、友達とテニスをしたり旅行をしたり毎日それなりの食事を作って夫と子供たちと食べ、こぎれいな感じのいい女性として生きていくよ、あなたがそのチャンスを棒に振るというなら、その能力を活かさないなら、ならさっさとこの鈍臭い自分と交換してくれよ)
と、思ってしまうから、「たりない人間」であることを突きつけられて、再認識せざるをえなくなってしまうから、だから嫌いだね。
私は本当に心の底から真剣に、王道の人生を、王道の価値観のなかで認められるような人間、尊敬される人間として生きたいんだよ。
はやく死にたい、そうじゃない、良い脳と良い身体がほしい。
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