アンティゴネーの妹たちへ(2022参議院選挙直前緊急企画「どうでもよさに抗う」寄稿文)

イスメーネー ああ、情けない。あなたと定めを共にさせてもらえないの?
アンティゴネー お前は生きることを、私は死ぬことを選んだのだ。

『アンティゴネー』(ソポクレース/著) 中務哲郎/訳 岩波書店 2014)

 先日、「アンティゴネー」の翻案作品、『ヴェールを被ったアンティゴネー』(フランソワ・オスト/著 伊達聖伸/訳 小鳥遊書房 2019)を読んだ。同著はソフォクレスのギリシャ悲劇「アンティゴネー」を翻案した戯曲で、ムスリム女性アイシャが、死んだ兄の葬儀への参列を禁じる校長に、ヴェールを被って抗議するというものだ。背景には、2004年、フランスで公立校におけるヒジャーブの着用が法律により禁止されたことがある。
 「アンティゴネー」は、オイディプスとその母親の間に生まれた娘、アンティゴネーの物語だ。彼女には兄がふたり、妹がひとりいるのだが、兄たちは王位をめぐって殺し合い、刺し違えて死んでしまう。統治者となったクレオンは、ふたりの兄のうちひとりを、国家への反逆者とみなし、死体の埋葬を禁止する。アンティゴネーはクレオンに抵抗し、禁を犯して兄を埋葬する。アンティゴネーの論理とクレオンの論理が拮抗する対話は、様々な対立軸が焦点を結び、緊迫感に満ちている。

 実際、アンティゴネーとクレオンの対立は、いろいろな読み方ができる。ハイデガーが、ヘーゲルが、ラカンが、バトラーが、ジジェクが(ほかにもとにかく錚々たる顔ぶれの哲学者や思想家が)、アンティゴネーをめぐって様々な解釈を試みてきた。コクトー、アヌイ、ブレヒトら劇作家による翻案もよく知られている。彼女の表象機能は今もいっこうに衰えを見せない。  
 『ヴェールを被ったアンティゴネー』を読み終えたとき、私はふと、イスメネのことを考えた。イスメネはアンティゴネーの妹で、アンティゴネーとは対比的な存在として書かれている。この姉妹がソフォクレスの悲劇で対立する場面は2回ある。1度めは劇の冒頭、アンティゴネーがクレオンに憤り、兄の埋葬に協力するよう、イスメネを説得する場面。しかし、イスメネは私にはできない、と断ってしまう。「私たち女は、男と戦うように生まれついていない」「余計なことをするのは、賢いこととは言えない」というイスメネを、アンティゴネーは分かったわ、「あなたはいい子におなんなさい」と突き放す。
 2度めは、クレオンとアンティゴネーの対立に、姉を案じるイスメネが介入する場面。イスメネは、姉の死罪が決まったからには、私も「あなたと一緒に死にます」と切々と訴える。しかし、アンティゴネーは「お前はしたくなかったのだし、私も仲間に入れなかった」「口先だけで味方ぶる味方は、私は嫌いだ」と一蹴する。イスメネは続いてクレオンを説得しようとするのだが、それもあえなく失敗に終わる。

 今までは、正直、イスメネのことはあまり考えたことがなかった。でも、私はいま、アンティゴネーよりもむしろイスメネの方を身近に感じる。アンティゴネーは悲劇の主人公として、国家的権力に抵抗するか、それとも服従するかという、人類普遍の問いかけを一身に担い、命を懸けて国家に抵抗した。生身の人間である私は、そのような選択を個人が迫られるような事態になってはたまったものではないので、日々地道に泥臭く抵抗していきたいと考える。それこそ、選挙に行ったり、友達や家族と政治の話をしたり、署名したり、募金したり、SNSで意見を発信したり。あるいは、表には出さなかったとしても、納得できないことに立ち止まって考えることも大切な抵抗の手段だ。とはいえ、いつか選択の瞬間が訪れたとき、私は、イスメネのように「私にはできない」と言ってしまうかもしれない。そしてその瞬間はいつか訪れるものなどではなく、既に日々、繰り返し通過しているのはないのか。

 イスメネの悲劇は、アンティゴネーが死んだ後も生きていかなくてはならないことだ。イスメネは確かに姉を愛していた。姉にあなたといっしょに死ぬと言った気持ちにも嘘はなかった。ただ、その瞬間が来たとき、姉と同じように選択することは彼女にはできなかった。イスメネにはイスメネの言い分があって、アンティゴネーが死んだとき、イスメネの一部も確かに死んだはずなのだ。イスメネは折に触れて考える。何故あのとき、私は姉のために兄の遺骸に砂をかけてやらなかったのか。何故姉を孤独に死なせてしまったのか。あるいはひとしきり姉を責めてもみる。なぜ死ななくてはならなかったのか。勝手に死んでいった兄たちのために?それとも正義だか法だかのために?それは生きてそばにいて、姉を愛していた私たちよりも価値のあるものだったのか?そしてあらゆる問いかけは空しく響く。姉がもはやいないことに気づくたびにそのつど、イスメネは打ちのめされる。

 私はイスメネに共感を寄せる。その共感は、私にも無数のアンティゴネーがいて、彼女たちが予め失われてしまったことの悲しみに裏打ちされている。それでも、イスメネは、彼女なりのやり方でアンティゴネーを弔い続けるだろう。生きている私たちには、私たちなりの異議申し立ての作法が、どうでもよさに抗う作法があるはずなのだ。

初出:「2022参議院選挙直前緊急企画 どうでもよさに抗う」(2022年7月ネットワークプリントにて刊行)
 この書評は、正井(@kelmscott_masai)様の企画「2022参議院選挙直前緊急企画 どうでもよさに抗う」に賛同し、寄稿したものです。再掲するに当たり一か所誤記を訂正しました。2024/01/05 みやさと