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私がついったらんどに住む理由

1年前の私は、ただただ苦しかった。

やっと心から好きな人に出会えたのに、その想いが想像以上に重すぎて
自分一人じゃとても抱えきれなくて、なのに次々と新しい「好き」が押し寄せて、ただ、苦しかった。

この人に確かに救われたし、世界が変わったのに、今度は違う意味で辛い。



ユンギさんを好きになってから約一年、私は誰にもこのことを言わずに過ごした。
その理由は、言う必要を感じなかったから。別に誰かと語り合いたい訳でもないし、馬鹿にされたり傷つけられたりするリスクを抱いてまで人に言う意味がなかった。

だから私は一人でひたすら、YouTubeを見ていた。愛のあるアミのタリョラ・Vラ編集動画、公式、MV……
私は1つのことを極めるオタク気質タイプだから、アミになりたての割にはバンタンにとっても詳しい人になっていた。


ただ一人、知識と「好き」だけが募っていく中で、この気持ちを吐き出したいと思うようになった。
家族やアミの友達に話してみようかとも思ったけれど、


無理だった。

長い間心の中で育てて拗らせた「好き」は、声に出せなくなっていた。

出せないのだ。どう頑張っても。
代わりに出るものは涙だった。

なんでだろね。
”ユンギさん”
"バンタン"
この一言が、どうしても声に出せなくて、なんだか泣きそうになって


ここでやっと自分の重症さに気づくと同時に、なんとかしなければという思いが生まれた。

ふと思い出した、Twitter

ログインなしのブラウザ上で、Twitterを見てみる日々が自然と始まって。
そこには、私みたいに「好き」で苦しい人がいて、
拗らせる気持ちを互いに分け合ってる人がいて
なんだか、暖かかった。

私は声には出せないけれど、文字に書くなら出来るかもしれない。
こんな私でも、この優しいみんなが受け入れてくれるかも。



こうして勇気を出して2022年5月、私は「ちくわ」としてTwitterを始めたのだった。

それからはあっという間だった。
初めてのツイート、初めてのいいね、初めてのフォロワー、初めてのやりとり、…

いつのまにかTwitterは、私にとってなくてはならない大切な世界になった。


自分の想いをツイートすることで、なんだかすっきりした。
誰かのツイに笑ったり、友達とのリプにほっこりしたり
供給が来た夜には、みんなで叫びまくり荒ぶりツイしたり

どれも私の中に思い出として大切にしまわれて、そしていつの間にかあの”苦しさ”は減っていた。

ユンギさんに言わせたら、これも「排出」なんだろな。
その時の気持ちを形にして外に出し消化して、すっきりする。

あの一年間、一人で拗らせ苦しんでいた私はついったらんどに救われたんだな、と思った。

実際、忙しかったりで、ついったらんどに来れない日はもやもやする(依存症やん)

今ではTwitterには、バンタンのことに限らず支えて貰っている。
頑張っているあの方を見て励まされるし、優しいお友達からのリプに泣くことだってある。



綺麗なことばかりじゃないし、嫌なものも沢山見てきたけれど、
私は毎日の中で「ちくわ」として過ごす時間が宝物です。

あんなに苦しかった日々が、より楽しいものになりました。

このお陰か今では、ユンギさんやバンタンをなんとか声に出せるようになりました。
まだまだ現実世界(?)のアミ友と楽に話すのは無理だけど、少し成長できたかな。

数年後になるけれど、社会人になって一人暮らし始めたらスペもしてみたい。






ここまで読んでくれた方がもしいるのなら、優しすぎます。

結局私が一番言いたいことはですね

Twitterのみんないつもありがとう、ただこれだけなんです。

私が安心して「排出」できるのも、受け入れてくれる友達がいるからで、
私が安心してただTLを読めるのも、愛に溢れた多くのアミさんがいるからで、

とげとげな言葉も見る、でもいつも変わらない素敵なアミさん達がいて

それだけの事実に、救われるんです。


だから私はこれからも、ついったらんどに住みます。


嬉しいことは祝福し合って、
だめなことは優しく教え合って、
バンタンへの愛は抱きしめて、
ただ純粋に、
みんなでこのついったらんどに
ずっと住めたらいいな


今年は出会ってくれて、私を楽にしてくれて
ありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。

良いお年を。





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