あと一歩足らずのコンテンツ

先週のライティングゼミ課題が、「惜しい」と言う評価をいただきまして、嬉しい反面、若干の悔しさを覚えましたので、ここで供養代わりに、多少文章を加筆訂正して公開します。
 実は、この課題は、締切90分前にゼロから書き始めた、スピードライティングコンテンツで、ほぼ見直す時間もなく「期日に提出する」ことだけを目的にしたものであったことを、冒頭に補足説明しておきます。

お茶屋文化は、最強のコンシェルジュ文化である。

 お茶屋、と聞くと、皆さんの頭には、京都が思い浮かぶと思います。でも、お茶屋と言う文化は、元々各城下町に存在した「最強のコンシェルジュ」文化だと知ったら、いかがでしょうか?
コンシェルジュサービスという言葉は、ようやく耳に馴染んてきた接客サービスの一つです。要は「御用聞き」「何でも屋」なのですが、カタカナ語にすると、非常に小難しく、格好よく聞こえますね。日本には、ヨーロッパのような貴族文化が無いので、執事やコンシェルジュというのは成り立たないと思われている人も多いでしょうが、世の中に「特別扱い」をされたくない人は多分、いません。日本には、独特の「御用聞き文化」があるのです。それが、お茶屋さんなのです。
 この記事を書く数時間前に、偶然出会った事情通の友人とお茶屋遊びの話になったので、私の体験を元に、お茶屋さんについてご紹介したいと思います。
 ある時、専門学校の頃の後輩から、イベントのお誘いを受けました。大阪に現存する、とあるお茶屋さんで、彼女の日本舞踊を見てお茶屋体験するというイベントです。イベントは、若旦那さんによるお茶屋の歴史やシステムをご説明から始まりました。由緒あるかんざしや髪飾り、芸妓さん独特の着付けなどを拝見させていただいた最後に、若旦那さんはこう言って、深々とお辞儀をされました。
「今日、お越しいただいたことで、皆様これから当店のお馴染み様です。何なりとご相談くださいませ」
畳に正座、そして羽織姿。でも、その姿は、まるで映画に出てくるヨーロッパの執事と同じように見えたのです。
 お茶屋さんと言う場所の目的は、「馴染み客のしたいことを叶える」と言う事です。実際、常連のとある社長さんは、わざわざ1杯のカレーうどんを召し上がる為だけにお越しになるそうです。ご多忙な24時間の1時間を、大好きなカレーうどんをゆっくりと味わう時間として過ごされて、また仕事へと戻られるのです。またあるときは、いついつの深夜に周りを気にせず、内密な仕事の話をするために過ごしたいので、手配をよろしく。食事は無くてもいいけれど、甘いものがお好きな人だから、宇治の玉露と和菓子をいくつか準備しておいて欲しい、と言う具合に。
 お茶屋さんは、食事から商談、プライベートな時間まで、常連さんの「したいこと」を全て請け負います。よく、週刊誌などで政治家や芸能人の密会が報道されますが、お茶屋さんに任せていれば、そういうすっぱ抜きの心配もほぼ、ありません。お茶屋さんでは、ふすまの向こうのことは他言無用という厳しく硬いルールがあるのです。接客業の基本とも言えますが、他人の噂話をするという事が上品では無いという姿勢が、積もり積もって揺るがない信頼になるのだと思います。それは、お茶屋さんは「信用取引」で成り立っているからです。 
 予約が取れない割烹の名物料理。一見さんお断りのお寿司屋さん。今、一番お座敷に引っ張りだこの人気芸妓さん。行列のできる店の限定スィーツ。本数限定のレアなお酒。これらを全て「よろしくお願いします」の一言で手配できるのも、実はお茶屋さんなのです。いくら札束を積んでも、グーグル検索しても、一見さんには絶対入れない特別な空間に、一言お願いするだけで簡単に入れてしまう。貴重な演奏や舞いを見る場を特別に設けてくれる。これが、お茶屋さんの持つ「信頼取引」です。お茶屋さんの持つ店舗内で過ごす。または、お茶屋さんの手配でそれぞれの店へと尋ねていく。どちらでも出来る場合もあれば、そうじゃない場合もあります。そのお茶屋さんがどれだけ花柳界で信頼が有り、顔が立つのかとお茶屋さんと依頼者との信頼度が、「その人のしたいことを叶えられる」バリエーションの幅に出ます。勿論ビジネスですから、利用頻度やお客としてのマナーや態度、支払いの明朗度が、お茶屋さんがお客さんを判断する基準になります。つまり、「信用に値する知り合いだから、特別扱い」してもらえる。これが、お茶屋さんの「信用取引」なのです。
 お茶屋さんに頼むだけで、「特別扱い」してもらえる。美味しいものも、珍しいものも、自分で調べて予約する手間も無く、極上の楽しい時間が過ごせる。
 だから、本当に良いお店に行きたい人は、お茶屋さんで遊ぶのです。そして、他所ではできないすごい体験が出来る力のあるお茶屋さんとのご縁があることが、社会的な成功者の証拠であることに加え、徹底した門外不出、他言無用があったから、京都のお茶屋さんは令和にもちゃんと生き残っています。人間は、誰かに特別扱いされたい生き物です。その特別扱いを商品にしたのが、銀座を筆頭にした水商売です。でも、そのルーツはお茶屋さんにあります。逢いたい人、食べたいもの、他ではできない経験。これらをひとまとめに「かしこまりました」と引き受け、一括で段取りをして提供する。まさに、一流ホテルのコンシェルジュデスクそのものです。AIにはできない、生身の人間同士の信頼関係によるなりわい。それがお茶屋文化をずっと支え、引き継がれてきた背景です。
 残念ながら、せっかく「お馴染み」と認識していただいたお茶屋さんには、その後、再訪の予定も立たず、勿体ないままのご縁になっているのですが、近いうちに恐る恐る電話をしてみたいと思います。人間は、忘れられた時に死ぬ、と言いますが、お店や文化も同じです。お茶屋さんと言う、最強のコンシェルジュ文化が令和もその次の時代にも続いていくように、馴染として、この時期だからこそ、再度ご縁を結んでおきたいと思っています。

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