イメージとシンクロさせていくこと

F先生の続き、

あとね、足のふくらはぎが腫れている、なんでかな?とか聞かれ、
そうゆうふうに見えなかったわたしは、

わたし「え〜わたし筋トレとかやっているし、大丈夫だとおもうんだけど、
    毎朝太陽礼拝やってるし〜」

    っていったらツッコミが、

F先生、「太陽礼拝は筋トレじゃないよ、それはストレッチだよ」

わたし、そうだよ筋トレとしてやっているんじゃなくて、運動としてやっているんだよな〜、あ〜イメージしているのと、出てくることばがチグハグだわ〜って

わたし思っていることを上手に表現できなくて、イメージしているんだけど
それを言葉にだすと違ったりすることあるのよね。

(それってイメージと行動がシンクロされてないってことよね。
なんにためにやっているかを何度も自問して身につけるんだろうな)

で、ちぐはぐがバレたくないのか、わたしは「いやいや筋トレもやっている、お尻上げるやつ」って言ったら

F先生「それは部分筋トレね」

F先生「どんなお尻になりたいの?イメージできてる?」

わたし「あ〜走れるお尻になりたいから、マラソンランナーのお尻〜」

F先生「それだと四角くなるし、あの人たちはアスリートだからね」

わたし「じゃ〜どんなお尻になりたいかお尻ばかりみようっと」

F先生「モデルさんとかの雑誌をみればいいんだよ」

う〜なんだかあれをいえば、こう言われて、なんか嫌な気分にはなったが、
あとあと考えると、

あ〜なるほど。

人はイメージすることができるが、
どんなものをイメージしているのか?
それと本当になりたいもののイメージがシンクロしないと
叶わないよ的なことかもって感じた。

だから太陽礼拝をなんのためにやっているのか、しっかり自分の中のイメージと行動を一緒にしていかないと、やっていても効果半減以下ってことなんだろうね。

それからは太陽礼拝をやる時は全身のストレチの一つで、身体のエネルギーを循環させて、1日をスタートするっていうイメージでやるようにしています。

他にも言えることで、
イメージと実際が噛み合っていないことが
問題なんだよね。

そしてなんのためにやっているのかも
明確にするのが大切なんだと。

ふ〜一つ一つの会話で色々と気づきが出てくるわ。

はっきりとこうだ!とは言わないが
言葉の端節にいや〜な感じでいってくるのは
うううう〜となるが、

このううううう〜は「うちあたいする」ということ
わたしの中で反省とか変えないととか苦手とする部分に
触れられているからそこで苦手=嫌〜って感じるんだろうね。

そこを感じないように生きてきたから
図星ってことで身体がわさわさあわてているのよね。

光を当てられたって感じかも。

ふ〜このように書いてみると
より自分の身になっていく。

まだまだ続くよ
F先生話。
次はわたしは何に反応したか?

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