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【玉川駅】この鳥はメジロ?ウグイス?

奥さんの通う病院について行き、その待ち時間に千日前線玉川駅周辺を散歩しました。

大阪メトロだけでなく、JR野田駅もすぐ近くにあります。

野田城跡

野田城跡の石碑は駅前と、少し離れたお寺(極楽寺)の前にも石碑があります。

野田城に関する資料は少なく詳細はわかりませんが、こうして史跡を見て歩き戦国時代を想像するだけでも楽しい。

極楽寺

直ぐ近くに野田恵比寿神社があります。

恵比寿神社
恵比寿神社

想像したよりもずっと大きな敷地で約960坪ほどあります、そして敷地内には日露戦争の戦捷記念碑がありました。

この大きな石碑は、大阪城の築城に際してどこからか運ばれてきた大石から作られたそうです。

戦捷記念碑
戦捷記念碑

また、こちらには神域拡張記念碑なるものもあります。

これは神社の裏側にあった公園を、寄付等により大阪市より買収し神社拡張した記念に建てられたものだそうです。

そして、やはり高額な寄付をされた方は、この辺りを創業の地としている松下電器の松下幸之助氏でした。

神域拡張記念碑

神社を後にして、もう一つ近くの史跡を見つけました。

浄土真宗本願寺の教団の方が他の宗教との争いで、僧侶をお守りするためにお亡くなりになったそうです。

いつの時代でも戦い続けていますが、全く争いは無くなりません。

本願寺教団は戦乱の世に勢力の拡大をはかったが、当然の結果として多くの争いにまきこまれた。第10世宗主証如(しょうにょ)のとき(天文(てんぶん)元年、1532)、山科本願寺は他宗徒の攻撃をうけ焼失、そのとき大坂にいた証如は難を逃れた。

翌2年8月再び追われて当地に避難したが、当地の信徒はよく証如を守り、21人が身代わりに討死にし、証如を紀州へ落とした。この由来を記した碑がこれである。近くの円満寺には、後に証如が与えた感謝の文書が供養碑と共に残っている。

大阪市
二十一人討死(うちじに)之碑(ひ)跡
今からでも歩める道を探そう!

争いの絶えない世の中を嘆き悲しむだけでは何も変わらない、今からでも歩める道を探そう。

私は浄土真宗本願寺派の円満寺を後にして、妻と合流しました。

二人で野田阪神まで散歩して、餃子の満州でランチを食べる事にしました。

途中で公園に綺麗な梅が咲いていました。

鳥が枝にとまっています。

「メジロかな?ウグイスかな?」

ウグイスとメジロには目元に大きな違いがあります。 ウグイスの目の上には眉班と呼ばれる眉毛のような白い線が入っています。 メジロは名前の通り、目の周りの白いアイリングが特徴です。 このアイリングは白い絵の具で描いたように真っ白でとてもよく目立ちます。

野鳥情報.com

画像を拡大すると、目のまわりに白いアイリングがあるので、メジロでした!

おわり

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