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かおをあわせてはなしをして、さわってすがたかたちをたしかめる

7,8日ほど、おもいのままにフラフラしていた。

サンクトペテルブルグ、プラハ、ウィーン、ザルツブルグ、ブラチスラバ、クラコフ、ワルシャワ、モスクワ、ヴォルゴグラード、モスクワ。
やっと、サンクトペテルブルグに戻る。

そうしてよかったとおもうのが、感覚的現実感をとりもどせたこと。

膨張というか、事象の実物の大きさよりもいろんな蜃気楼が見えすぎる気がしていて、ここしばらく、気が疲れていた。

かおをあわせてはなしをして、さわってすがたかたちをたしかめる。

そういうことの煩わしさから遠ざかっていた気がする。

私が主に使っているのはことばというツールだけれど、

それはじぶんが世界と溶け合ったときに、

からだじゅうの感覚が得る情報の、一部しか発信していない。

インターネットやテレビなどの発達で、

実際触れて、実際自分の目で見て、自分の耳できいて、

自分の肌で感じなくても、想像がしやすい時代になった。

でも色味も、空気感も、圧倒的な大きさも、視界の広さも、カメラや録音では撮れない。

今回つくづく思ったのが、ほんとうに、足を運ぶって大事。

人間の目ってすごいとおもう。

わたしのつかっているカメラは、

一瞬でピントもあわせてくれるし、暗いところでも写るし、とても優秀だ。

けれど「きれいな曇り空」だとおもって写真を撮っても、

家に帰って見てみると、「曇り空」しかうつっていない。

あるいはきれいな夕暮れ、

と思って写真を撮って家にかえってみてみると、

私が実際見たものよりもドラマティックな色の夕焼けがデータとして残っている。

魚眼レンズで撮れば、あのエディルネのモスクの美しい天井は撮れたのだろうか。

わたしの目、肌、からだの感覚すべてにうつるものがそのまま伝えたい人につたわればいいのに。

ああでもそれができないから言葉とか写真とか、表現って存在するのか。


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