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スジャータの乳粥から10年



スジャータの乳粥


2011年の地震が起こったすぐ後の話で、今となっては乳粥とこの話が何の関係があるのか思い出せない。

これを書きながら思い出すに、よくお酒を飲んでいた会社の先輩のおじさんが、(当時の私の倍の年齢だったので、倍の年のおじさんと呼んでいた)酒場でこのスジャータの話をしたような気がする。 スジャータ、という牛乳の会社がこのブッダのスジャータの乳粥をもとにしているんだよとかそういう話。 だとしてもなんでスジャータの会社が出てきたのか思い出せない。
その前後で手塚治虫の「ブッダ」を読み直してでもいたのだろうか。


スジャータの乳粥、というのはブッダが悟りを得るために苦行をして、 死に至りかけた時にスジャータがブッダに乳粥を差し上げて供養をした。仏に対しては生きている場合においても供養という語を使う。そしてブッダはヒマラヤのふもと、菩提樹の下、一番高度な修行である瞑想をして悟りを得た。

あの日コペンハーゲンに行った人はその後もう会えなくなった。その人は世界チャンピォンだったので、(チャンピォンっていう綴りで合ってる?チャンピョン?)「俺といても道場の女将にしかなれないよ」と喧嘩をしたときに言われた。つまりその人と一緒にいるというのは生活と時間と収入の全てを彼の道場の運営に協力するということである。(10年経った今となっては笑い話だが、我田引水!)

当時私は全くロシア語ができなくて、日本の国内の市場を相手にした日本の会社にいて、 そこは何故か物凄く閉鎖的で、文字通り息が出来なくて窒息しそうな日々を過ごしていた。
小学6年生で椎名誠さんの岳物語を知り、中学2年生の時に椎名誠さんのパタゴニアを読んで以来、私の目標は旅行作家になることだった。ロシア語ができるわけでもなく、世界一周をする体力も資金もなく、エッセイを公開でかいているわけでもなかった私は当時何者でもなかったけれども、そのままDV気のあるその彼の道場の運営に協力する、勇気も覚悟も全くなかった。(”倍のおじさん”にこの話をしたら、ハイリスクハイリターンな人生を選ぶかは君次第だ、もっとローリスクな人はいる、と言われた。)

小さい頃から外国に興味があった。3歳ぐらいの時に成長痛があまりに痛すぎて夜に泣いていた時にも 母が足をさすってくれたけれどもその時に流れていたのは世界ふしぎ発見か、なるほど・ザ・ワールドか、何か外国をテーマにしたテレビだったと思う。

その後その人とは会えなくなって、詳細は割愛するが文字通り、当時の私にしてみれば体がちぎれるほどに泣いて悩んで悲しくて、自分を責めた(当人比。そういう心の使い方だったんだと思う)。
悩みや悲しみがあまりに達した時に体が本当に物理的に痛くなるということはそのとき知った。

その直後に私は会社の人事部に異動になって、部署の先輩女性が個室の会議室で面談をしてくれて、「私は結婚もしているから、なんでも遠慮なく相談してね♡(うふふ)」といわれて殺意を覚えた。おそらくその先輩は体脂肪2%の世界チャンピオンと付き合ったこともないだろうし、それだけ好きな人にも会ったことないだろうし、それだけ”社会的実績”のある人に添って自分の興味関心・夢を脇に置いて、自らの人生を相撲部屋の女将さんみたいな人生にすることができるかどうかで本気で悩んだこともないのだろう。女同士でもセクハラは成立する。悲しかった。

海外、外国語に強烈な憧れがある自分がなぜ、いい年をして水槽の底のように息を殺して死なないよう窒息をしかけつつ、でも会社をやめることも、世界一周をするような貯金も大胆さも体力もなく(当時怪我の後遺症に悩んでいた)、何もできる体力も能力も知識もなかった自分が本当にどうしようもなく情けなくてつらかった。 そして何か大きなことをはじめるには20代後半の自分はもう年を取り過ぎているような気がしていた。私の師匠は皆10代や20代前半、あるいは大学からロシア語をはじめていらっしゃったから。

当時その人と真夜中に会う時も、ミールのロシア語の教科書「標準ロシア語入門」は持ち歩いていた。その人の似顔絵を教科書にペンで描いていたぐらいだから(今は修正液で消したが)、 本当に教科書を肌身離さず持ち歩いていたんだと思う。
別に自分はブッダではないが、手塚治虫の「ブッダ」の苦行の章、そして命を落としかけるところに共感できるぐらいには、当時ものすごく悩んでいた。

その後色々な縁があって、古い古い友人である湘南の兄さんの紹介で、現代に2人だけいらっしゃる、悟りを得た人の元で、ブッダも菩提樹の下で行ったという瞑想を習い始め、自分も悟りへの道を歩むことになった。

信じられないかもしれないけれど、数百年に1人か2人現れるという悟りを得た人が、現代社会に2人いる。1人はインドの最高位の僧・パイロットババジで、ヒマラヤで修業された方。インドのモディ首相が弟子になっている。

多分あの2011年に身体がちぎれるのではないかというくらい悩んで悲しんでいなければ、瞑想をはじめなかったとおもう。

Pilot Babaji のインスタグラム


自分はなぜ生まれたのか、自分とは何者なのか、を知っていく旅。心の中に一分一秒でも平和を作り、その調和を周りの人に惜しみなくわけていく。平和をつくる旅。結果的に身体の不調が整ったりするのだがそれは旅の途中であり目的ではない。
瞑想、というのは古くは王族にしかひらかれなかった高度な教えであり、またヨガ8段階のうちの最終段階の高度な修行である(日本のスポーツクラブなどでの主流である体操/アーサナのヨガは下から三番目の段階)。安易に自分でやったり、中途半端な段階の人から安易に習っていいものではない。(当然のことながら瞑想をしている人が皆悟っているかといえばそうではなく、現代日本の宗教史を振り返ると悪魔のような業の指導者も存在するので師事する人に注意すること)

今思えばあの頃が一番悟りを得る前のブッダが苦行で死にかけたように(繰り返すが私は別にブッダではないが)、私にとっても一番暗い時代だったのかもしれない。

悟りを得た世界で二人だけいらっしゃるうちのお一人が日本人で( ヒマラヤで修行されたパイロットババジの妹弟子に当たる) 、「マリークレール」で読者の方々と対話連載をして本になった新刊。

著者はヨガ・瞑想の世界的第一人者で、国連での国際会議で三度、平和のスピーチと瞑想指導をされている。


Спасибо Вам большое:)♡!!! ありがとうございます:)♡!!!