年の離れた友人たち

10歳も20歳も歳の離れた友人(わたしから見ると年下)というのが何人かいらっしゃるのだけれども、まあたまに会うのだけれども、その人たちとどういう距離感で接するかというのを考えてみる。

自分には滅多にあわないけれども縁の深い友人知人というのが何人かいらっしゃって、みんな年が離れている(わたしから見ると年上)。おひとりは自分が学生時代の恩師で10歳ぐらい上の方。すごく良くしてもらった。その方はわたしの直接の専門のゼミの先生とかではないので単位の絡む関係は1年だけだったのだけれども(精神的に不安定で欠席していたのに単位をくださった)、異性だったけれどもセクハラみたいなことされたことは一切ないし、調査旅行にご一緒にこぶつきで連れていってくださったり、むしろ当時わたしが付き合っていた人の関係がぐっちゃぐちゃな上に友人が死んで精神的にぐっちゃぐちゃだったので相談に乗ってもらっていただいたりしていた。振り返ると倒れそうなほどにお忙しかったであろうのにどうしてあんなにも親身になって無欲無我に話を聞いてアドバイスくださっていたのかと思う。あのころの先生の年齢に自分もなったけれども、あれだけの人間としての器量がわたしにあるかわからない。

もう一人は湘南の兄のKで、なんというか不思議なひとで、もともとは私が通っていた整体の先生だった。あるときなぜかスターバックスで遭遇して、もうすぐボク店を辞めてインドに行きますから、といって何故か連絡先を交換した。たぶんああいう整体のお店というのはお客さんとの連絡先交換は基本禁止されているはずなのでなにかやっぱり縁があったのだろうと思う。後年知った話だけれども、彼はその時同棲していた彼女さんとわざわざ別れて、人生の師を求めてインドを放浪し、アメリカを放浪に行ったらしい。それで帰国してきたあとに鎌倉に整体院を開業しましたよ、と年賀状かなにかをくれて、一度遊びに行った。鎌倉で整体をしてもらって、鎌倉のきれいなカフェでお昼ごはんを食べて、その後スターバックスの縁側の席で本を一冊くれた。その後1年に1度とか、何年かに一度くらい私の目の前に現れて、回転寿司を食べたり、フィレオフィッシュを食べたり、バーミヤンのエビチリについている餃子をくれたりしながら(彼は肉が食べられない)、私を助手席に乗せて家の近くまで送ってくれる。

何がどう、という詳細は今日は割愛するけれども私はその当時と今現在で日々はたしかにつながっているのだけれどもさらに一本、運命のようなものの細い糸がずっとぷちんと切れることなくつながって生きていることを実感しており、お二人はその糸が切れないことにあたりたいへんな鍵を握る登場人物で、わたしは意識の海の深いところで溺れて窒息しかけていたところから彼らに救いだされるような運命をたどった。それは20歳前後の一過性の性とか男女の愛とかそういうドウブツ的なものから私にとってはヒトとして命が救われた経験で、自分が自分のためだけにただ食べて寝て生殖をして仕事をして死んでいくのではなく、他者、ひいては小さいころからずっと考えていた、世界の平和のためにヒトは・自分はなぜ・どのように生きるかということを考えて気づくきっかけとなった。

だからなにか縁があるのであれば、わたしも若い人たちにとってのそういう登場人物というか彼らの物語のなかの演者であれたらいいなと思う。ただしこれは狙って演じられるものではなくて、私の意識で登場人物を演じるものではなくて、なにか目に見えない大いなる存在というか、かみさまというものがもしいらっしゃるとしたら、わたしはその手足となってそういう縁があればそっと現れてそっと去るという、願わくばそういう感じでありたい。だから物語の”伏線回収”ということばが流行っているけれども、なにかのきっかけで二人であるいはみんなで時間を過ごすことがあっても、その時間が将来なにかのきっかけでなにか展開して花開くようなことがあるかもしれないし、あるいはないかもしれないし、伏線回収されるかどうかとかも、そもそも伏線というものが存在しているかどうかも、わたしにもだれにもわからない。




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