私が会社を退職した理由

2018年11月末、新卒で入社し約4年半務めた会社を退職した。私の会社は世間では大企業に分類され、ちゃんと給料も出るし有休も取りやすく所謂ホワイト企業である。

そんな会社の退職を考え始めたのが2018年7月。昇給と昇格の時期だった。
退職に至った経緯を、社会人生活を振り返りながらお話したい。

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☆入社1年目

当時の入社1年目は仮配属を含め丸1年間研修という扱いになっていた。仮配属では新人15人が同じ仮配属先になり、様々なアプリ開発案件を通してプログラム開発を行っていた。もうすぐ入社2年目を迎える入社1年目の1月末、仮配属先の新人育成担当から役員向けにアプリ開発案件を通して学んだことを報告することを告げられる。報告する順番もすでに決まっていた。私は一番最後だった。しかし順番をよく見ると、あることに気づく。

「これって、上からの評価が高い人から報告する順番になっている?」

そう思って新人の指導員をやっている方に聞くと、どうやら指導員が自分が見ている新人が一社員としてもう業務に入ってもいいと推薦した順番らしい。

「ふーん」

最初に聞いたときはそんな感想しか出てこなかった。しかし、時間が経つにつれて仮配属されてからの日々を思い出す。他の同期よりもはるかに電話取っていたこと、部会の準備や片付けは必ずやっていたこと。今はそれぐらいしか思い出せないが、それ以外は他の同期と同じ。ただ開発しているプログラムの難易度に差はあるかもしれないけれど。

新人が15人もいると、例えば上から「新人内で決めてね」と指示を受けたら新人の中で代表を決めてその人が上へ報告する。結局、代表をやるような人が評価されていく。普段は何もしていないような人が上への報告の場で報告するだけで評価が上がる。

上の人も前に出てくる人の方が評価しやすいことは私にも分かっている。上の人は結果しか見ないけど、過程を見てくれるのが指導員なんじゃないのかなぁ。

指導員は自分の業務の傍ら新人を指導する必要があるが私の指導員は業務の方が忙しく私のことを見ている余裕が無さそうだった。そう考えると段々と「私の指導員はちゃんと私を見てくれたのかな。その上でこの結果だったのか」と落ち込んだ。

役員向け報告が終わった新人から本配属されていく。一番最初に報告した人と一番最後に報告した人で配属の差が2か月あった。本配属した同期は業務に入る。一番最後の私は役員報告が終わるまで研修扱い。幸いだったのは一番最後に報告する仲間が私以外にもいたこと。これには本当に救われた。この時から「評価する側はその人を何を見て評価しているの?」と思うようになったかもしれない。

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☆入社2年目

本配属の部署では開発したアプリをテストするための環境を整備するチームに配属された。

そのチームはTHE・技術部隊のチームでアウトローな方が多く、そんな中に新人の私を配属させていいのか、と上層部は心配していたようだが私はすんなりと馴染めた。技術の無い自分がいきなり技術部隊のチームに入ったこともあり、チームの次長は私のことをいつも気にかけてくれていた。

入社2年目の7月。毎年7月は昇給や賞与の話がある。この年は毎年の昇給分として5000円昇給した。昨年の評価が反映されるため、昨年は新人だったし5000円という金額も特に何も思わなかった。

私の会社では上期・下期に1回ずつ、チームの次長と面談を行う。あらかじめ立てた目標に対して「達成した/出来なかった」を確認する。もちろん、この結果が翌年の給与や賞与にも影響する。

チームの次長は、私のちょっとした成長も見逃さずに見てくれていた。他のチームからの問い合わせに初めて自分一人で回答出来た時。一人でトラブル対応が出来た時。一人で小さな案件を回した時。私や周りの先輩が言わなくても次長は見てくれていた。自分にとっては大したことないと思っていたことも「成長」だと言ってくれた。

その次長からの期待に応えたくて業務に取り組んでいた。

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☆入社3年目

入社2年目で業務に携わり始めて1年。知識もある程度ついてくるので業務が楽しいと感じるようになった。

入社3年目の7月。毎年分の昇給額は前年と変わらず5000円だった。
「昨年から業務も本格的に始まってまだ1年しかたっていないからこんなもんかな」とは思っていたものの、入社3年目になり同期の中でも昇給額が10000円の人もいることを知る。

「何の差かなぁ」

と考えるようになった。

入社3年目も2年目の時と同じ次長と面談をした。初めてチームに入った時より出来ることが増えているね、と変わらず私の成長を見てくれていた。

そんな次長は10月は異動になり、私のチームの中から新しい次長が選ばれた。

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☆入社4年目

入社4年目になった4月。部の再編で新しい次長はさらに2つのチームを見ることになった。新たに配下に入ったチームは大型プロジェクトの真っ只中だったので、次長はそちらに労力を割かれ、私のチームのことはほとんど見ていなかった。
それは、裏を返せば自分(次長)が見ていなくてもチームにいる先輩方がチームを見てくれる、という信頼から来ているということは重々分かっていた。

入社4年目の7月。昇給や昇格の時期。昇給額は入社3年目の時と変わらず5000円。業務に携わって2年が経っていたので昨年と変わらない金額を見て「これしか上がらないのか…」と肩を落とた。基本給全体を見ても「入社4年目でこの額しかもらっていないのか」と悩むようになった。

入社4年目の上期は新しい次長と面談した。しかし、前の次長とは違い私からあれこれ言わないと次長は私を評価できなかった。それだけ、私を見ていなかったのである。面談中に次長が、チームの先輩から聞いた私の小話を話した。それを聞いて「先輩は見てくれているんだ」と思う反面、「次長は先輩から話を聞かないと私が何しているかさえ分からないんだ」とも思った。

次長からの評価が、翌年の給与や賞与に影響するんだと思うと、自分のことを見ていない人に評価されることが嫌だと感じるようになった。

入社4年目の10月。約3年所属したチームの解散に伴い、私は異動になった。
異動先で配属されたチームの次長は、普段からチームメンバーのことを気にかけない人だった。下期の面談はこの次長と行ったが、私が前もって書いた自己評価に対して、上の人にアピールするために文章を修整を何回か指示した。

「上の人にアピールするために自己評価の文章を修正する」

自分にとってこの出来事は嫌悪感を抱いた。自分のことを見ていない上の人にアピールするために文章を修正してその内容で評価される。上手く言葉に出来ないけれど、この行為がとても嫌だった。

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☆入社5年目

入社5年目の4月に別の会社に出向した。任期は1年。最初はモチベーションも高く、勉強して自分の知識をアップさせよう!と思っていたが、徐々にモチベーションは無くなってしまった。暇だった。

暇すぎて、今後の人生をどうやって生きていこうか考えていた。やりたいことを100個出してみた。最終的には100個も出なかったが、書き出してみると、今すぐやってみたくなる。そうなってしまうと、暇なのに月の最低限の労働時間を守るために会社にいなきゃいけないのが辛くなった。

入社5年目の7月。恒例の昇給の話。しかし入社5年目は例年と違う。昇格のタイミングなのだ。通常は1年目の秋までに情報処理試験に受かっていれば昇格出来る。しかし私は1年遅れて合格したため、今年は昇格出来ないと思っていた。だが心のどこかでは「合格は遅れたけど日頃の業務で評価して運よく昇格出来ないかな」と淡い期待を持っていた。

部長の第一声は、

情報処理試験の合格が1年遅れたから今年は昇格出来ない。

その一言だった。勝手に淡い期待を持っていたからショックも大きく「そっか…」と思いながらも心の中では「日頃の業務なんて見ていない。あんな資格一つで判断されるんだ」と反抗する自分もいた。

さらに蓋を開けてみると、情報処理試験は合格していても途中で休職してしまった人と、合格は遅れたけど毎日働いている私の評価は同じだった。理由はただ、合格が遅れたから。

毎年の昇給額もいつもと同じ5000円。基本給全体も見て悲しくなった。
「これが入社5年目の基本給かぁ…」

家に帰り、入社してから毎年7月になると同じ問題に悩んでいることに気づいた。旦那にも毎回同じことで相談している。自分の中で何も解決しないまま、時間が流れ自分の中から忘れていくのを待つ。

毎回毎回、同じことで悩むのがもう面倒になってしまった。悩むだけ時間の無駄だ。やってみたいこともあるし、時間も縛られたくない。会社を辞めよう。そう思った。

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長くなってしまいましたが、結局私は

 普段から自分のことを見ていない人に評価されたくないし、それで給与が決まるのが嫌だ
 やることが無い時でも会社に拘束されて時間がもったいない。
 毎回同じことで悩むのが面倒になった。
 他に「やってみたい」と思えることが出来た。

そんな理由で、会社を退職しました。

会社にいたときは「お金」「評価」そんなことばかり考えていた気がします。

残業している人が評価される?
日の目を浴びる人が評価される?
評価する人にアピールする?

私には理解が出来ませんでした。だから会社を辞めました。

応援ありがとうございます。拙い文章ですが、これからも読んでくださいね^^