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嶽本野ばらちゃんの『ハピネス』が映像化されるらしいと聞いて。

このようなニュースが飛び込んで参りました。

嶽本野ばら原作の『ハピネス』が2024年に映画化されるという一報です。

嶽本野ばらといえば、言わずと知れた(あんまり知らんかも)ですが、ロリータという文化を世に広めた人であります。

というのもロリータという文化は諸説あり過ぎてその形成に関しては、本当に訳が分かりません。

その人の数だけその由来があると言っても過言ではない位であって、その起源についての言及はここでは控えます。(ぶっ叩かれる事が目に見えているので

ただ、この嶽本野ばらという人が自らの作品の中に数多くのメゾンを登場させ、それを読み、その精神性に魅了された事によって物語の中に登場するメゾンの洋服を買い求めるようになった事がロリータ文化をそう定義させる大きな要因になったという事に異論はないでしょう。

文学の世界とファッションの世界を密接に結び付けたという事はとても興味深く、それが根付いたという事は革命と言っても過言ではありません。

しばしば、ロリータはその風貌からコスプレと混同されがちであり、多くのロリータはそれを嫌う傾向にあります。

しかし、敢えて言うとその動機には一種似たようなところがあると思っている。

ぶっ叩かれるの覚悟で言いますが、1990年代の創成期には嶽本野ばら氏の作品に感化された乙女たちがこぞってその登場人物になりたいと希望して、多くのロリータを生み出した事がそのキッカケになっています。

その心境は、コスプレに於ける該当するキャラクターへの愛と何ら変わりがないものであると思っています。

ただ、小説であるがゆえそのイメージを画一化する事は不可能であり、モチーフとなった洋服にもきちんとオリジナルがあれど、それを手にする事は作品発表のタイムラグもあり、叶わない。

だからこそ、そのメゾンの洋服を着用しようという動機に繋がり結果としてそこに自分らしさを加えようとして個々に様々な形が形成されて行く。

そこには制服的な統一感はなくとも精神的な一体感が生まれ、ロリータというジャンルとして今日まで細々とではあるものの、脈々と受け継がれ続けてきた訳です。

おしまい!!!!!

ってしようかとも思ったんですが、何にも野ばらちゃんの事を語っていない事に気付いてしまったので、ここではこの嶽本野ばらという人について語ってみようと思う。

嶽本野ばら氏は京都で『ショップへなちょこ』という小さな雑貨店を営まれていました。

それと並行して雑誌のライターとしても活躍されており、当時フリーペーパーとして配布されていた『花形通信』でエッセイを執筆されておりました。

それが話題になった事によってそのエッセイを『それいぬ』という一冊のエッセイ集にして出版され、それが大きな反響を呼びました。

そして2000年に当時の編集者や作家さんのすすめにより、初の小説である『ミシン』をリリースし、小説家としての道を歩み始められます。

その作品の中では彼の作品の特徴である洋服の精緻な描写と具体的なメゾン名を登場させる事によってその登場人物の性格や容姿などを影絵のように読者の脳内に投影する手法が既に用いられており、メゾンが持つ精神性を紹介するものにもなった。

その作品自体も耽美的な表現が随所に見受けられ、美しくも少し生々しくいけないものを読んでいる昂揚感も手伝って、世の乙女たちの中で彼の作品にハマる人が続出しました。

そもそも、小説を好んで読む人というのは調べ物などが大好きな傾向が強く、彼の作品にドップリとハマった人は登場人物が着用してるメゾンの服を調べあげ、どんなものなのかを徹底的に調べます。

当時はまだインターネットも現在ほど一般的なものではない上、ロリータメゾンも限られたセレクトショップで取扱があるかどうか…という状況。

そのような状況をビジネスチャンスと捉えた人がいち早く、これらのメゾンを取り扱うセレクトショップを個人単位で始められます。

また、当時の作品で発表されたメゾンの多くが原宿に店舗を構えていた事から、原宿に出入りする後にロリータと呼ばれる人たちの人口が急増したが故に、ファッションとして盛り上がりを見せていた頃に、当時原宿でストリートスナップを中心にしていた雑誌『KERA』がロリータに注目した事により、そのファッションが全国誌に掲載されるようになる。

それは全国のロリータ予備軍の心にパイロマニアのように火を点けて行った事は想像に難くありません。

多くの乙女が雑誌を手にし、そのメゾンのイメージを明確に掴んだ結果として全国から多くの注文が入るようになりました。

図らずも当時の原宿の文化発信力を武器にしたロリータという文化は一気に加速。

その事によって嶽本野ばら氏は『ロリータのカリスマ』としてその名を轟かせます。

その間、処女作を発表して僅か2年で『下妻物語』を上梓。

更にその2年後に映画化された事によって更にカリスマとしての地位を不動のものとされます。

そんな中で『ロリヰタ』などという作品を上梓された事で、その内容からこの表現が精神性を表すものとして現在まで意味を持つようになるとはこの時は想像もされなかったでしょう。

ロリータという文化のベースを作った彼は、サブカルの世界ではとても知られた存在になりました。

それこそ彼はアイドル的な人気を誇っていたし、新作リリースの際は大きな都市でサイン会を実施。

その時間は絶頂期には6時間を超え、正午に開始したサイン会が書店の閉店時間までその行列が絶える事がなかったと言います。

坂道グループのサイン会か!と突っ込みたくもなりますが、それが当時の人気の高さを物語っておりますし、何より彼自身がファンとの交流をとても大切に思っていたからこそ成立していました。

まぁ、よくもトラブル起こらなかったものだと思いましたが、当時はSNSなんてものがそれ程までに発達していなかったが故、表面化しなかっただけで結構な感じになっていた事は想像に難くないですが、それでも継続され続けました。

とまぁ、順風満帆の輝かしい歴史の絶頂期に上梓されたのが今回映像化される『ハピネス』な訳です。

ロリータ文化を作った嶽本野ばら氏の最高傑作だとも個人的には思っています。

あくまで『ロリータ文化』に於ける事で、自分としてはもっと好きな作品はあります。

この作品を今映像化する事に意味があるのかな?と思っています。

この物語はあの当時のロリータ文化の状況があったからこそ成立している物語だと思う。

アパレルというものに夢があって、たくさんの若手のデザイナーが凌ぎを削りつつ自分の作品を最高だと信じて疑わず、とても異質な物が無限に生み出されていた。

それを多くの人が面白いと思い、口コミで多くの人に広がった結果それが知らない間に大ヒットしているという時代。

作り手と買い手がイーブンで勝負していた時代の物語。

ある意味とても純粋で健全な時期だったとも言えるだろう。

その空気感の中で生み出された物語は現代の状況からは非常に奇異に映る。

アパレル一つ取ってみるといい。

昨今の流行というものは、一部の影響力の強い人間によって形成されている。

有名人が着用したアイテムが飛ぶように売れ、結果的に個人の好みを殺す事によってヒット商品を生み出す事が通例になっている。

誰もが自分が気に入って自分の意志で選ばないアイテムが流行するようになった。

洋服やアイテムが結果的に個性を主張するものではなく、これを持っている自分はステータスが高い!という満足感に変わってしまった。

そういう価値観が変化したこの時代にこの作品が映像化されるのはとても意義のある事だし、今や絶滅危惧種と言っても過言ではないロリータという文化を少しでも活性化させる事につながる事を願ってやまない。

願わくば『下妻物語』とは別の切り口であり、結果的にそれがロリータの生き残る道になって欲しいと願うばかりである。

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