「キムタク」の作り方。
さて、前回のHYSTERIC GLAMOURの事を書いた際に一人の男性を紹介しました。
スタイリストの野口強氏です。
恐らく日本では一番有名なスタイリストであると思われます。
その一番の功績は
木村拓哉を『キムタク』にした事
であると言って間違いないと思います。
野口氏は1989年にスタイリストとして独立、そこから本格的に活動を始められます。
そして90年代初頭、当時方向性を模索していたSMAP木村拓哉のスタイリングを始めます。
デビュー当時、SMAPは当時のジャニーズのデビューグループとしては異例で、デビュー曲でオリコン1位を取れなかったという不名誉な位置にありました。
その後、それまでの先輩方の活動を踏襲するも大きな成果を得る事が叶わず、非常に苦しい期間が長くありました。
その打開策として当時勢いのあったバラエティ番組への進出をキッカケにメディアへの露出が増加。
その結果として親しみやすい国民的アイドルとしての地位を獲得するに至ります。
その過程で、アイドルとしての美しさや格好良さを付与する為に当時新進気鋭のスタイリストであった野口強氏が俳優として売り出そうとしていた木村拓哉氏の専属スタイリストとして任命された事と推測いたします。
それまでスタイルは良いものの、そこまでファッションセンスに優れていたとは言えない木村拓哉という存在を彼はどんどんファッショニスタに作り上げていきます。
RED WINGのエンジニアブーツ、ROLEXのエクスプローラーⅠ、PORTERのタンカー…
出演番組が放映される度に目を惹くアイテムは次々と完売して行く現象が起こりました。
毎週、ドラマの内容よりもファッションを重視して観ていた男子は決して少なくなかったのではないかと思います。
この結果、野口強氏のスタイリストとしてのディレクションが評価され、『スタイリスト』という職業自体が脚光を浴び、その結果カリスマとまで呼ばれる地位に崇められます。
メンズのファッション誌にはどんどんと彼を筆頭としたスタイリストの特集記事が組まれ、それに追随するように裏方であるはずのスタイリストがどんどん誌面に登場し、自分のお気に入りのアイテムを紹介、その結果商品が売れるという循環を生み出しました。
そんな野口氏でありますが、彼の特色は伝統的なものと革新的なものの融合であると思います。
前述したRED WINGのエンジニアブーツやPORTERのバッグやLEVI’Sの501など、歴史がある定番のモノにスポットを当てながらも、当時国内で勢いのあった裏原系と呼ばれるメゾンにもスポットを当てた事です。
A BATHING APE、HYSTERIC GLAMOUR、UNDERCOVER、NUMBER(N)INEなど、当時まだインディペンデントな存在であったメゾンを一気にメジャーに押し上げました。
これらのメゾンのアイテムは木村拓哉氏着用アイテムに限らず、商品は常に品薄状態となり、入手困難なものになっていきます。
それど同時にこれらの作品は、メゾンの代表作とも呼ばれる程の人気を博します。
最近ではSupremeの日本でのブームの火付け役にもなりました。
今でもこのケイト・モスとマドンナのTシャツは絶大な人気で、中古市場でも10万円近い値段が付いています。
この傾向は30年以上経った今でもまだ残っているのですからこれは非常に大きな功績であると思っています。
元々のお互いの趣味が合致したのか?それとも野口氏が一から趣味を仕込んだのかは分かりませんが、この二人の存在は日本の男性のファッションの意識を大きく変革しました。
木村拓哉氏が大きくクローズアップされるまで、日本の男性というのはファッションに無頓着であった方が非常に多かったと思います。
髪は短く清潔感のある感じに整え、洋服もカジュアルと言っても少し堅いトラディショナルな服装が良いとされていた傾向がありました。
長らく日本でファッショニスタという存在が無かった事によって、オシャレに興味を持つ事はあっても結局は海外のトラッドな洋服を着ていれば間違いないという考え方が大多数を占めていました。
しかし、木村拓哉×野口強のコンビが現れる事によってその選択肢が大きく広がりました。
特にロックなアイテムを好まれていた印象のある野口氏であったからこそ、当時ダサいとされていたロックテイストのアイテムをクールに着る方法を提示してくれた事は、多くのロックな服装を愛用している人間にとっては特に救いの手にもなったでしょう。
硬派なイメージのあったレザーアイテムなどもポップに着る方法を提示してくれた結果、女性にもライダースジャケットが普及するなど、その影響は男性だけに留まらないのではないかと思っています。
そして、現在もこのコンビは多くの人にその良さを時代を越えて提示し続けています。
EXITのりんたろー。さんは木村拓哉氏が過去に着用したメゾンのアイテムを買い漁るという動画を上げられていたりもします。
既に、『キムタク』のスタイルは日本においてトラディショナルものになりつつあります。
木村拓哉のスタイルは既に古いという意見も勿論あるでしょう。
しかし、古くともそれを自らのスタイルとして確立し、それを多くの人間に伝播させたという大き過ぎる功績は日本のファッション史上の大事件であった事は疑いようの無い事実です。
古くとも、多くの人の意識の中に野口強の遺伝子は確実に入り込んでいます。
恐らく、服が好きな親御さんのクローゼットを漁れば、確実に一つはこのコンビが流行らせたアイテムが一つは出てくると思います。
それを新鮮と捉えて、纏ってみるとまた違う扉が開くかもしれませんよ。
そうやって、『キムタク』の遺伝子は日本人の中にしばらく息づいて行く事になるのでしょう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?