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【ユニコーン】「ヒゲとボイン」序説

かつて自分が若者だった頃(いまやもう到底信じられないが、自分にもかつてそのような時代があった)、こよなく愛好し愛聴していたバンドがあった。ユニコーン。いまや投資用語のそれのほうがメジャーになってしまった感もあるが、1990年前後つまりニッポンのバブルの頃にユニコーンっていえば、そりゃあひとかどの人気だったわけで。

フルアルバムは「BOOM」「パニック・アタック」「服部」と来て「ケダモノの嵐」「ヒゲとボイン」そして解散直前の「スプリングマン」の6枚(その後の長い、ほんとに長い年月を経ての再結成後のアルバムは除く)。1987年の1stから93年のラストまで活動期間は実質6年ということで、これはビートルズより短い。

そんなユニコーンであるが、アルバムの出来はどれも一筋縄ではいかない仕上がり。いやほんとまじで。とりわけ2024年のいま、ほとんど30数年ぶりにひさびさターンテーブル(比喩)に載せるようになったのが「ヒゲとボイン」だ。1991年9月30日リリース。個人的な話をすれば社会人になって半年。まあ普通に考えれば仕事に慣れるのにいっぱいいっぱいで、CDなどとても聴き込む余裕がないはずの時期のはずだけど、これはめっちゃよく聴いた。その頃は当時の彼女の部屋に同棲同然で入り浸っており、その部屋のそんなにたいしたことないCDラジカセで何度も何度も繰り返し聴いていたその窓際の景色をいまもありありと思い出すことができる。そんなことだから振られたのだろうが、それはユニコーンの責任ではもちろんない。

91年の秋、というか夏の終わりの日本というのは果たしてどんな世の中だったのか。統計数字的には前年にバブル経済が崩壊しており、日経平均株価は文字通りつるべ落としの様相(おそらく。詳しくは後で調べる)。なんだけど社会はまだまだバブルの余韻に浸りきっていて、金回りは(良いところは)良く、ワンレンボディコン、扇子で知られるディスコ「ジュリアナ東京」はこの年の5月に開業している。そんな時代。ニッポンが先の見えない30年不況に絡め取られていくのは、阪神淡路、地下鉄サリンが立て続けに起きた1995年からだと思うので、ユニコーンがこのアルバムと、次のアルバム(スプリングマン)を出し、そして解散した時期は、日本がなんというか、不可思議なほどのぬるま湯を安穏と享受していた頃合いということになる。

日本経済のバブルの絶頂期と軌を一にするような塩梅で最高傑作(と雑誌とかの名盤特集とかでいまもあげつらわれる)「ケダモノの嵐」を前年(1990年)にリリースしたユニコーンは、正直その後、どうにもこうにも手詰まり状況だった。嘘じゃなくて、メンバーたち本人の当時の発言から紐解く音楽評論とかでもそういうことになっている。

89年のバンドブーム祭りのただ中に前代未聞、空前絶後の実験作にして超弩級のポップで当時の大学生(=俺)の度肝を抜いた「服部」に端を発した3年2ヶ月ほどの(適当)ユニコーン祭りが、「ケダモノ」のリリースで憑き物が落ちたようにいったん落ち着いたあと、つまり祭りの後、のようなエアポケット状況で録音されたのが「ヒゲとボイン」だ。バジェットは贅沢、でも何をしたものか。バンドメンバーもそれぞれ世の中のあれこれを知って、昔(と言ってもほんのちょっと前)みたいに無邪気ではいられない。そんな倦怠感と焦燥って、売れたバンドなら洋の東西を問わずあるんだろう。でもアルバムは出さないとね。ソニーはそんなワガママを聞いてくれないから。

タイトル「ヒゲとボイン」はビッグコミックの同名の巻末マンガ(小島功)から取った。なんで「ヒゲ」と「ボイン」なのか。本作最後に収められたタイトルチューンはバンドのフロントマン奥田民生の詞曲なんだけど、「ヒゲ」は仕事、「ボイン」は恋愛とか夫婦とかそゆものを対比していて、歌詞にある通り「男には2つの道が」というこれはユニコーンの1stシングル「大迷惑」に連なる、若くして老成民生の世界観そのものの結実という感じ。これが一連のレコーディングの最初のほうかそうでもないのかはわからなくて、それはちょっと知りたい気がする。

いきなりラストナンバーに言及してしまったので巻き戻すと、冒頭からの3曲は、混迷下で録音が進められたと思しき本作の中でもかろうじてキャッチーな曲を無理して配置した感がある。レニクラ風味の「ターボ意味無し」、ベーシストであるエビのエキセントリックなボーカルが聴き手の頭を掻き回す「黒い炎」、そしてチャンキーなアレンジで白人目線からみた「変なニッポン」を諧謔的に描く「ニッポンへ行くの巻」(犬がほら服を着てるよ)。91年当時はまあ、なんと地味なと思った3曲だけど、いまにして思えばそうとういいよね。「服部」の冒頭3曲で鍛えられていたということもあるだろう。

ピンと耳が立つのは4曲目の「開店休業」だ。この曲はほーんと、当時の自分にはぴったりで、途中から入ってくるデッドな録音のドラムも手伝って、なんというか繰り返しになるけどほんと「耳が立つ」。「きょうはとっても天気がいいけど/朝から君は泣きじゃくりだし/そんな日には2人でそうね熱海にでも」。奥田民生によるこの虚無的なフレーズは自分の「熱海感」を決定づけた。実際に熱海にも行った。

続く手島曲「幸福」はCDで歌詞を聴いてもらうとして(なんと後の世を予見的な)、さらにアベによる「看護婦ロック」の才能に舌を巻きながら、「立秋」から「風Ⅱ」までの7曲が、当時20代の自分には解らなかったこのアルバムの聞きどころ。「服部」ではまだ片鱗なく、「ケダモノ」でちら見せされたユニコーンの、というか奥田民生の社会観がこのパートには集約されていて(作詞は民生ばかりではないにしても)、その社会感は「服部」以前のアルバム収録曲にもうっすら、またバンド解散してソロになってからの最初期の作詞術には如実に表れている彼の基礎素養なのだろう。何度聴いても飽きることがない。

アルバムの白眉は「車も電話もないけれど」なんだけど、この曲の凄さと得難さについては、森高千里の某曲を絡めた別稿で書きたいのでここでは触れない。とにかくすごい曲だよなあ。

ユニコーンのアルバム「ヒゲとボイン」は2024年のいま(こそ)聴く価値がある珠玉のアルバムである。それが本稿で言いたかったいちばん大事なことだ。歌詞を聴いてると、ときどきほろりとさせられることがある。いやほんとまじで。ニッポンはずいぶん遠いところまで来てしまった。

2024/07/30


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