森高千里のある人生を知る

2019/12/31

森高千里に「はまった」のは、今年の10月のことだった。キッカケはふと思い立って名古屋のライブを見に行ったこと。ということは、なんのことはない、まだたかだかこの2カ月くらいのものなのだ。なのだけど、その間はほぼモリタカ以外の音楽は聴いていない。あるアーティストをそんな聴き方で突き詰めたことはこれまでたぶんない。そういう聴き方はなんというか、バランスが悪いと考えていたのだ。

森高千里は1999年に俳優の江口洋介と結婚、子をなし、2000年代は子育て中心の仕事ぶりだったそうだ。ようやく子供の手が離れたのだろう、ずいぶん久しぶりに全国を廻る長いツアーを1月から始めていたことくらいは知っていた。県庁所在地とかではなく、各県のマイナーな街のホールを地道にめぐるツアーだということもだんだんわかってきた。

ただ、その頃はライブを観たいとまでは全く思っていなかった。ふーん、昔のロックバンドみたいなツアーをやるんだな、と思ってそこは気になっていたけど、「アイドルなのに」とは思わなかった。人気があった1990年代、自分は森高千里のことをアイドルだとはあまり思っていなかった。なんと思っていたのか。なんとも思っていなかったのだ。だから、自分が見に行くものではないと思っていた。

夏ごろJwaveの朝の番組で後期の(後期のというのはつまり結婚、活動休止が近い時期ということだ)のシングル「海まで五分」がかかった。これが良かったのです。さっぱりとしたポップスで清涼な海風が吹き抜けるようなアレンジ。これまたさっぱりとした風味でドラムを叩いている。あの独特な、シンプルなのにグルーヴィなドラム。そしてあのエバーグリーンな声。そのあたりでアーティスト・森高千里にだんだんと焦点があってきた。意外に面白いんじゃないか、、、

10月になって仕事の質が、内容がちょっと変わった。慣れない業務であっという間にストレスでベッタベタになった。夏前に一度調子を崩しており、薬の量が増えてきていた。この先の人生に期待が持てなくなったと感じるようになった。もう自分はダメなんじゃないか、終わったんじゃないか。そんな考えがぐるぐる回って、あ、また調子崩すかも。なにかやらないと。

そんなときに、森高千里が地道に続けている、こつこつと地方都市を回っているツアーを想起した。各都市で絶賛に近いそのレビューも目にした。セットリストの曲は、カラオケでかつて女子が歌って盛り上がった「気分爽快」や、あとはせいぜい「わたオバ」「渡良瀬橋」くらいしか知らなかった。ツアータイトルになってる「この街」やオーラスの「コンサートの夜」や、ましてや「夜の煙突」もバラードの名曲「雨」も知らなかった。1990年代にあれだけ流行ってたのに、それくらい知らなかったのだ。関心がなかったのだ。でも、その森高千里のライブに自分は行くんだ、行った方がいいという思いが背中を押した。ライブを見に行くのに首都圏を出ることはめったにない。夏フェスはあるけど意味合いが違う。

事前の聴き込みやCD、DVDの購入などはなく、前情報ほとんどなしで臨んだ名古屋のライブは、これまで見たどんなアーティストのライブとも違った。七尾旅人とも、青葉市子とも、ZAZとも、クラフトワークとも(いずれも今年見てよかったライブ)違って、端的にめちゃくちゃ楽しいのだ。楽しさのレベルが違う。鬱屈したじぶんの内側の感情が解放される。笑顔になる。バンドの音はいい。曲もアレンジもいい。モリタカの書くあのへんてこりんな詞はあの唯一無二の声質によってまっすぐこちらの深いところに届く。そしてあの笑顔。全身で「歌うの好き」とアピールしているステージの動き。鼻にシワを寄せて三日月の目をして笑う笑顔。観客との一体感はこれまで見たどのアーティストよりも完璧だ。「この街」ツアーは12月まで。名古屋が終わって東京行きののぞみに乗り込む頃には、もう一ヶ所は少なくともあれを目撃したいという気持ちになっていた。次は家族も連れていこう。

取れたチケットは12月21日(土)仙台サンプラザホール、しかもいわゆる見切れ席。それでも10月、11月、12月までは馬の目の前にぶり下げたニンジンだった。仙台でまた観れる。だから折れちゃいけない、やめちゃいけない、あと1ヶ月でモリタカだ。あと1週間でモリタカだ。「テリヤキバーガー」「この街」「コンサートの夜」を聴ける。12月21日の仙台サンプラザは当時の自分の命綱だったとおもう。1年かけて37回公演のファイナルだし。そんなライブが盛り上がらないわけない。

名古屋のライブから戻ってからはDVDを、CDをどんどん買い、YouTubeも使ってむさぼるように見て、聴いて曲の数々を「発見」していく。尖った詞、やさしい詞、せつない詞、真っ直ぐな詞。当時の自分には全く引っ掛からなかった曲たちをどんどん見つけて行った。モリタカの詞世界にいかに救われたことか。

仙台の当日は来てしまう。楽しみだけど終わりの日でもある。明日からどう過ごせば、生きればいいのか、大袈裟でなくそう思ったものです。

ライブは最高だった。森高千里はほんっっとに楽しそうに歌い、好きで好きでたまらないといった風でドラムを叩いた。あの、樹脂的な感触が耳をくすぐる特異な声もよく出ていた。そしてなにより観客の盛り上がり、、、中学生の息子はノリノリで声をあげてた。妻は「So Blue」が好きだったと明かしてくれた(やんなかったけど)。

自分にとってはまさに短期間に一気に「はまった」という言い方しかできない。あまりにも急すぎて、夢から覚めるのではないかと思うくらいだ。でも3月のブルーノートは申し込むだろうし、6月からの「この街ツアー2020-21」も初日の秦野から何ヵ所もいくんだろうきっと。それは僕にとってのよく効く御守りか常備薬みたいなものだ。なくなったら生活の質がぐっと下がる。それがあれば楽しみを先に見据えて生きていける。そういうものを見つけたんだ。今年の秋は。それは自分にとって、とても大きなできごとだったのだ。


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