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「遅れてきた森高推し」について【長文】

2021/06/22

まったくもって●●さんの仰るとおりです。2年前に現在の自分のこのありさまは想像できませんでした。ことの顚末は以下の通りです。

2019年1月、ネットのエンタメニュースで「森高千里、25年ぶりの全国ツアー」というのを目にしたのが、今にして思えば発端でした。たしか全国41都市43公演だったでしょうか。かなりマニアックな地方都市(私が転勤したことがある兵庫県でいえば、神戸ではなく、加古川市やたつの市といった都市)を1年かけて回るという内容に、「1970年代の日本のロックバンド(甲斐バンドとか)みたいなことをやるんだな」と思った記憶があります。愚直な、というか。ただ、そのときはそれでおしまいでした。当時の私は「17才」か、せいぜい「わたオバ」くらいしか知らない(基本は)洋楽ロックファンでしたので。

その年の梅雨明け近い頃だったと思うのですが、J-WAVEの別所哲也さんの朝の番組で唐突に森高千里の曲が流れました。「海まで5分」という曲で、声を聴いて森高だとは分かるのですが、へえ、新曲かと思うくらい古くなく聞こえ、とても印象的でした。後で知るのですが、この曲は久保田利伸の作曲で、森高の結婚・休業も間近い末期リリースのためセールスも芳しくなく、あまり知られていない曲だったようです。

当時私は編集を外れて事業部門で勤務しており、ちょっと悶々としていたといいますか、内も外もジメジメした状況にあり、この曲のスチールパンなども使ったカラッとした音像にぴんと耳が立ち、そこから森高千里という歌い手がなんとなく気になるようになりました。どうか信じてください(笑)。決して「アイドル的な興味」ではなく(それがダメだというわけではないのですが)、最初はサウンドからなんです!

その夏の終わりに事業部門でちょっとだけ重責のあるポジションを任されることになり、秋からぐっと忙しさが増しました。そうすると逃げ出したくなるのが人情というもので、森高が現在進行形でツアー中であることを思い出した私は、ローソンチケットで取れたチケットを持って愛知県芸術文化センター(名古屋市)に向かうべく新幹線に乗り込みました。10月下旬だったと思います。日ごろライブはよく見に行くたちですが、遠方まで日帰りでライブを観に出かけたのは初めてではないかと思います。しかも森高。

席はステージを横から見るいわゆる「見切れ席」でしたが、観客席はその分よく見えました。年の頃は私(当時52才)と同じかそれより上のナイスミドル~シニアの方々が、狂乱それでいて一糸乱れぬ統率の取れたオタ芸ぶり、そしてそれに全く動じない堂々たるステージングの森高。おにゃんこもモー娘。もAKBもまるっとスルーしてきた私にとっては、そのようなライブを観るのは生まれて初めての経験でした。見よう見まねで古参ファンの振り付けに合わせるのは端的に楽しく、2時間強があっという間に過ぎました。「今の日本のライブの基本構造は、全部森高とそのファンがつくったものなのではないか」と、これは今でも半ば信じていますが、肩で息をしながら終演後そのように思いました。予想外の収穫だったのは曲の良さで、約20曲、捨て曲のない完璧なセットリストに「これはすごい」と脱帽しながら帰りの新幹線に乗りました。車中はずっとYouTube。上がっているライブを見続け、気づいたら東京でした。

くさくさした気分が霧消した私は、ツアー千秋楽の仙台サンプラザ公演に、いぶかしげな妻と息子(当時中2、吹奏楽部所属でビートルズファン)を連れて出かけました。12月21日でした。その1カ月の間に休業前のDVD映像を各種(10枚くらい)手に入れて見続けていた私は、すでにいっぱしの古参ファンのようなうんちくを家族に披瀝してはひんしゅくを買うという往路でした(今にして思えば、よくついてきてくれたものです)。

席は前回にまして見切れ席で、ステージに設置された階段の上に立つ森高も、マイドラムをたたく森高も見えないという席でしたが、私はたいへん満ち足りた気持ちでおりました。客席を埋めたファンのすごさは家族も分かったようで、そこはそれなりに3人で盛り上がって帰京の途につきました。

こんな、出来損ないの犯人の手記のようなものを●●さんにお送りしていいのか分かりませんが、続けさせていただきます。

2本のライブと過去映像、さらにはウェブのテキストを読みあさることで森高千里の来し方(デビューはポカリスエットのCMであること、数枚目のアルバムから完全自作自演になったこと、CM女王だったこと、ビートルズを彷彿とさせる曲が多くあること、など)を知った私は、2020年初頭には本格的に「ファン活動」を推し進めることになります。同期入社の新年会で森高発言をしてはあきれられ、カラオケで森高しばりを設定してひんしゅくを買い、それでもめげずについにはファンクラブに入会。クラブ限定のブルーノート東京ライブのプラチナチケットも手に入れて有頂天なところで新型コロナの直撃を食らいます。

2019年のツアーの続編のような形で予定されていた20-21年ツアーも延期、または中止に。秦野(神奈川県)、羽生(埼玉県)、東京・三茶と取っていたチケットも延期や払い戻しとなり(先のプラチナチケットも中止払い戻しに)ましたが、昨年末にはやはりファンクラブ限定のライブ(人数限定、声出しなし)で1年ぶりにライブに参加することができました。

そして今年は延期されていたツアーが6月から徐々に再開され、秦野、三茶(2回)に出かけ、飽き足らずに土浦(7月)を確保。さらには9月に開催される鳥取・益田市、山口・周南市のライブに1泊2日で出かけようとファンクラブ先行チケットを申し込み、ただいま当落結果発表日をじりじりと待っているところです。とうとう「おっかけ」のようなことを始めてしまいました。というか、おっかけそのものなわけですが。

遅れてきたといえば、本当に遅れてきた森高推しです。全盛期が1994年から96年頃と考えれば四半世紀くらい遅れているわけですが、でもほんとうにライブいいんですよ! ちょっとよそでは体験できない楽しさがあります。あれを体験してしまうとちょっと戻れないなあ、あれを四半世紀前に体験した人は、森高が結婚子育て休業していた10数年間をどう過ごしていたのだろう、それは(まだそんな言葉もありませんでしたが)「ロス」そのものだっただろうと思い、他人事ながら泣けてきます。

世の中からはアイドルそのものと見られていた森高千里ですが、たぶん当時の(そして最近のライブに復活している)古参ファンの人たちは、森高がアイドルだろうとアーティストだろうと何でもよかったのではないかと推測しています。ただあのライブを体感し、わけ分からんうちにその虜になった人たち、なのではないかと。その意味で「推し」というアクションにライブ(の直接参戦)は必須だと思います。ライブ参加なくして「推し」なし。それは第1原則だと強く思いますが、もしかしたら最近の若い世代の人たちはそうでもないかもしれません。若い人たちは「オタク」になりたい、自分らしさを手に入れるために、だから手っ取り早く効率的にオタク素養を入手するために動画の倍速視聴をするのだ、という解説をどこかで読みました。そのような「推し」という行動の変質が、今回、●●さんが取材して感じられた危惧の背景にあるかもしれないと思いました。

ともあれ、森高千里のライブは私という馬にとっての目の前にぶら下げられたニンジンであり、仕事をしてお金を稼ぐ動機づけの源泉であり、コロナ以降落ち込みがちな気分もライブに行けば上に(むりやり?)引き上げてくれること必至の「よく利く薬」のようなものでもあります(ヤバめな発言、この場限りにしていただけますよう……)。そんなライブを演者サイドが長く続けられるよう、「そのときできることをする」のは本望かなと、「推し事」という言葉について改めて考えるにつけ思います。あの空間・時間をまた体験できるなら、ということで。

オンラインの「投げ銭」がヤバい方向に行きがちだとしたら、それはライブという確かな見返りがあるのか確信が持てないまま、悶々とした気持ちでい続け、「投資」と「リターン」のバランスが微妙に崩れた結果、推す側の気持ちのバランスが崩れてしまいがちになるからなのではないかと、いま、この駄文をだーっと書きながら思いました。

以上です!

※仕事に関連して関係先に送ったメモを備忘録として再掲。2021年6月。一部加筆修正

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