オタクもすなる日記といふものを その358「ホーリィ・ブルー・ブレット」
つーわけで86第12巻「ホーリィ・ブルー・ブレット」読了です。
う~~~~~~ん、地獄。
前巻が世界のままならなさがテーマだとするなら、今回は人間のままならなさがテーマって感じ。
鬱展開は鬱展開でも内ゲバで、今までとは結構方向が違うなぁと。
もともと全13巻で完結って言っててそのペースで話が進んでたけど、アニメの大成功で作者に火が付いてもっと書く気になったのかな?
前巻で戦況が(伏線回収しただけとはいえ)いきなり悪化したから、今後はこういう追い詰められた際ならではの話を書いてくのかな。
話の内容としてはバカがバカやらかして人類がピンチになりかけたけど、バカがバカすぎて何も起こらなかったので、殺して片付けました。めでたしめでたし。って感じ。
本当にただそれだけで説明ついちゃうんだけど、このバカどもの一挙手一投足が読むのも嫌なレベルのお粗末さで頭が痛い。
なんでこんなリアルな描写なんすかね?先生なんかやな事ありました?
冒頭の「(作中のアンドロイド兵に対して)彼女たちは命じられた以外を行わない。怯懦を、逃避を、己の意思という夾雑物を、作戦行動に混入させない。」「すなわち戦場にかかる霧を一つ、晴らすことが可能になる。」という文が本当に至言。
恐怖やそこから派生した憤怒、不満といった感情に振り回されるのはあってはならないことで、それを生じさせる無知とは罪であるというまぁ当然の話。
ただ一方で、離反部隊の一人が最期に叫んだ「それなら最初から、能無しは何もするなって言ってくれよ!」という言葉もまたその通りだという話。
学ぶ権利を得ても学ぶ気が無い、考える時間を与えられても思索する気が無い、自由を得ても判断するつもりがない人間もまたいる。
そういった人間は仕組み上不要の存在なわけだけど、平等という正義を嘯く以上、市民制は「お前はいらない」とは言えない。
思考を放棄し判断を委ねることで責任を負いたくない羊にまで自由と平等を押し付けた結果が今回の事件。
自由にも平等にも、責任という無情で苛烈な重荷は付きまとう。
重荷を背負える強者が弱者にも無責任に押し付ける構造ながら、それを平然と正義と謳う民主主義の欺瞞と矛盾。
誰もが強くあれるわけではないという認めがたい事実を、我々はどう克服すべきなんでしょうね。
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