好きな人が殺された

アクタージュの連載が、今週で終わった。

第一話を読んだとき、ぱっと目に飛び込んだ絵柄があまりにも好みドンピシャで驚いた感情を、今でも鮮明に覚えている。だから友達に、千世子の初登場のときの顔が私の描く絵と雰囲気が似ていると言われたときは、飛び上がるほどうれしかった。今はもうずいぶん絵は変わってしまったけど。どんどん下がる掲載順に焦って一生懸命ハガキを出したことも、毎朝起きてすぐに何をするより先に人気投票のページへ飛んだことも、1巻の発売日には学校から早足で本屋に向かったこともあった。毎朝一緒に登校していた友達に毎週ジャンプが発売されるたびに布教したし、他の友達にも貸した。部活の友人が、6巻を返すときに、騒がしい教室の隅で「泣いたよ、綺麗だった」と短くこぼしたその響きが、銀河みたいに輝いてわたしの胸に落ちた。ツイッターの友達も私が騒いでいるのをきっかけに何人も読んでくれて、いつか人気ジャンルになってオンリーイベントが開催されたら一緒にサークル参加しよう、と本気で約束した。アカウントをつくって、たくさんの人とアクタージュの話をした。百城千世子のことがどんどん好きになっていって、彼女の誕生日にはストレスで体調を崩して毎日号泣しながら生まれて初めて20ページの漫画を描いた。全部、本当に楽しかった。本当にきらきらしていた。展開が苦しくて、もう読むのをやめようかと何度も考えた。それでも、読んだ。わたしはアクタージュという作品が好きで、百城千世子というキャラクターが好きだから。

百城千世子は、もちろん作中で死んでいない。私の心の中では生き続ける。これまでの12巻分、彼女が生きた証もある。でもこれって、現実の死と、同じじゃないか。もう彼女の未来を見ることは、出来なくなってしまった。過去だけを抱えて生きていくしかできなくなってしまった。私は一人の犯罪者に、好きな人を殺された。この作品がただ打ち切られた作品ではなく、今を生きる誰かにとって、二度と名前も見たくない作品となって終わった以上、彼女のことが好きだったと、声高に叫ぶことすらもうできない。どんなに作品と作者が別であろうと、実際に傷ついた人がいるから。それでも私は、あの作品が私に与えた感情を、時間を、忘れたくはない。

彼女が戦う展開に苦しんでいたときとは全くちがう苦しさのなかで、また、一日を生きてしまった。日頃からネガティブな感情に慣れていないので、脱却も下手だ。怒りも、悔しさも悲しさも、何一つ無くなりはしないけど、それでもなお、考えれば考えるほど、百城千世子のことを好きになっていくことだけはたしかだった。

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