私が ENを好きな理由の一端


Twitter(いまだにXと呼べない)に流れてきたので改めて見た。当時はまだ ENを見出して1ヶ月ぐらいしか経ってなくて、配信は見てたけど全然理解はできなかった。今改めて見たら、字幕のおかげももちろんあるんだけど英語のまま意味が取れるところが多くて、自分の英語力もちょっとは成長してるんだな、と実感するなどしました。

閑話休題。

今改めて内容をちゃんと見て、浮奇くんとそのファンダムへの尊敬と ENメンバーのお互いのことを素直に尊重して喜び合ったり讃えあったりできる関係性をさらに好きになった。

浮奇くんは、割と初期から実は結構好きだった。声が聴いてて心地よくて落ち着くので、配信してたらとりあえず付けるぐらいには見てたし今も見てる。
最初の出会いはチャットとプロレスしてる切り抜きだったと思うけど、確かそれで「世界ってゲイに優しくない」みたいなことを言ってて(記憶が定かじゃないので違うかも)、「あ、この人は結構はっきりした人かも」て思ったのがファーストインプレッションだった。そしてその印象は今も変わらないまま、繊細だけどそれでいてとても強くて優しい人だな、という実感に変わっている。

浮奇くんが自分のセクシャリティーをオープンにしてるの、いいな、と漠然と思って、そこから ENを色々見ていくうちにみんな割とオープンだしそれを気にしてないコミュニティのあり方が居心地いいな、と感じたのが、 ENにハマっていったきっかけの一つだった。


ここで一旦自分語り。

私は、自分はおそらくLGBTQ+の当事者だろうと感じている。はっきりと"当事者"と言い切れないのは、確信できる出来事があったわけではないのと、この程度で当事者って言っていいんだろうか?というちょっとした引け目があるから。そんなことは気にしなくていいことも分かってはいるけど。

具体的には、バイでアセクシャルな気がしている。そもそも人生において、恋愛的な意味で誰かに好意を持ったこと自体が小学生以来ない。個人的には小学生の好きだなんだは恋愛に含まれないと思っているのでノーカンだと思っている。
まだ20代なのでそういう相手に出会ってないだけ、かもしれないが、上記が理由で「自分は人に恋愛的感情を抱かないのでは?」と思ったし、おかげで自分の恋愛対象もよく分からない。

そして、自分の性的自認もよく分からない。
昔からいわゆる"女の子らしい"と言われる格好が好きじゃなかった。高校に上がった頃から髪はずっと短いし、大学生になって校則がなくなってからはガッツリ刈り上げてメンズスタイルを貫いているし、髪を伸ばすのは無理だなぁと思っている。私服も靴も基本メンズしか買わないし着ない。着られないこともないが、自分らしくないな、と思う。

生物学上は明らかに女で、男になりたいとまでは思っていないけれど、「女扱い」には嫌悪感がある。「男だから」「女だから」と括られることや、男女で明確に差がある物事、例えば制服などに嫌悪感がある。
好きでこの見た目でいるけど、そのせいで外でトイレに行くと視線が痛いからできれば極力行きたくないし、行くとしたらせめて女友達と連れ立って行きたい。それが正直窮屈だなと感じている。

こういう話は、基本誰にもしていないし今の所するつもりもないけれど、親しい友達に対してはなんだか少し騙しているような心地がしている。でも、自分でもはっきり分からないものをどう話せばいいのかも分からない。

こんな感じのちょっとした、小さいことの積み重ねで、割と長い間生きづらいなぁ、めんどいなぁ、と感じているけど、もっとはっきりとゲイである人たちはこんなの比にならないくらい生きづらいんだろうな、と思うと、やっぱり当事者だとはっきり言うことには引け目を感じてしまう。


話をチャリティー配信と浮奇くんに戻すと、こういう自分の状況のために内容が人ごとに思えなかった。はっきりと「ここは安全な居場所で、そうであるために努力するよ」と言ってくれる浮奇くんがかっこいいなと思ったし、「死ぬまで戦うよ」って言い切って実際に声を上げていることに対して尊敬の念を抱いた。それを喜んでサポートする他の ENのみんなに対しても。


なんだか純粋に、浮奇くんのコミュニティの仲間になりたいなと思った。
今のところメンシはシュウくんとペトちゃんのみだけど、最近あと何人か入りたいなと思っていて、正直箱推しだから誰がいいかな、と考えていたところだった。今、浮奇くんが候補の上位に上がってきている。

#NIJIen

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