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「日本論」

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日本人が大好きな「日本」とはというテーマ。国際化が進み「日本」の存在感は薄くなってきているように思いますが、今まで気づかれてきた長い「日本」社会の影響は日本人の心の中に少なからず…
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2023年2月の記事一覧

就職活動をする際にも、結局「能力」や「実績」、何々が出来ますっていうアピールではなくて、御社に入ったらどんなことでもやりますよって「期待」させるような感じで喋るのがコツだったんだろうな…。就職活動中はそれが全くイメージできなかったからずいぶんと「まわりみち」をしてしまった。

徳川慶喜は徳川将軍の中で最も「能力」を期待された人物だと思う。なんで将軍になれたかと考えた時に幕末の動乱の中、火中の栗を拾ったからだ。日本社会において、「能力」が買われる時って(今回の日銀総裁もそうだけれど)誰もやりたがらないような仕事の場合に起こるんじゃないかと思う。

今回「将軍の決め方」を書いて、最も興味が湧いたのは11代徳川家斉。父の傀儡将軍で浪費を続け、大塩平八郎の乱も起こり、決して名君とはいえないけれど、50年間将軍を続け、引退後も実権を握る。また、政治に関心がなかった為に化成文化が花開くという。日本のリーダーのあり方として面白い。

6代将軍家宣は興味深い。新井白石、間部詮房、荻原重秀など家格にこだわらない人材登用を行った人だったようだ。傍流ゆえの発想の自由さによるものか。対して8代将軍吉宗は政敵の新井・間部を廃したり、初めて老中に任命したのは譜代の水野忠之だったり意外に人事は保守的。暴れん坊将軍とは?。

「能力」よりも「おさまり」の良さを重く見るこの社会において、「能力」強化を目的とするリスキリングがどれだけ有用なことになるのだろうか?

[江戸幕府]将軍というポストの決まり方(「能力」か「おさまり」か)

江戸時代は将軍が一番偉いとされた時代だ。そして、その将軍は世襲だった。基本的には嫡男から嫡男へ地位が引き継がれていくわけだが、実際はそういはうまくいかない。実は何回も世継ぎがいない事態が発生する。ここではそのような場合、どのようにして将軍が決まっていったかを見ていきたい。 一番初めは5代将軍、徳川綱吉の時だ。4代将軍家綱は子供がいなかった。そのため、聡明であった家綱の弟綱吉が病床の家綱に指名されて将軍になった。このとき綱吉の後継のライバルだった家宣も、綱吉に子が残されなかっ

「将軍」になるには徳川家であること、「老中」には譜代の家であること、「奉行」になるのは旗本の家であること。江戸時代、政治的に有力な役職につくには相応な「家格」が原則的に必要だった。200年以上続いたこの仕組みが、現代日本において政治家の世襲に寛容な一因になっている様に思える。