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「日本論」

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日本人が大好きな「日本」とはというテーマ。国際化が進み「日本」の存在感は薄くなってきているように思いますが、今まで気づかれてきた長い「日本」社会の影響は日本人の心の中に少なからず… もっと読む
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2020年11月の記事一覧

北条政子について(2)

幕府と朝廷の関係は、融和策のリーダーであった実朝の死後悪化します。子供のいなかった実朝の後継の将軍に朝廷は皇族から将軍を出すことを望みますが、幕府側の代表である政子の弟の北条義時はこれを拒否しました。この件は義時の要求が通ったのですが、朝廷と幕府にしこりが残り、特に朝廷側のリーダーである後鳥羽上皇は北条義時に大きな憎しみを持つことになりました。 将軍後継問題の二年後、1221年義時追討の命令が有力な関東の武士に対して出されました。また、後鳥羽上皇自身も兵を率い挙兵しました。

北条政子について(1)

こんなつぶやきをしましたけれど、北条政子について知っていますか。源頼朝の妻で頼朝の死後は、夫の作った鎌倉幕府を支えました。日本人はあまり演説が得意ではないと言われますが、政子は演説を持って鎌倉幕府を守り、日本の歴史を変えてしまいました。そんな政子の人生を簡単に紹介したいと思います。 北条政子は伊豆の豪族である北条時政の娘として生まれました、兄弟には2代執権となる北条義時などがいます。その時政のもとに一人の流人が預けられます。平治の乱で敗れた源義朝の子源頼朝です。政子はこの頼