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儚い人


「あの子、絶対俺のこと意識してるよ」

大げさでも、笑わせようでも無く、かなり本気で先輩は帰ってくるなり報告してくる。

「ほんとですかー?」

自信の根拠は、店を出る時に彼女が「ありがとうございましたー」と言うかららしい。当たり前だ。ものを買ってくれたのだから、体調不良か度忘れでもなければ、それぐらいの挨拶はしてくれる。特別扱いと思う奴はちょっと頭がいかれている。

それでも声のトーンだとか、挨拶のタイミングだとか、お会計の際の空気感とかが恋愛の始まりを予感させるらしい。いや、俺のことが好きに違いないと興奮させられるらしい。

どんな子か興味はあるが、僕は、母ちゃんがおにぎりを作ってくれているし、水筒を持って来ているし、コンビニに行く用事がない。どんな子か見たい興味は、先輩が壊れれば壊れるほど湧きあがり、抑えられなくなってはきている。

「いまお店にいるから行ってこいよ」

断れない雰囲気だ。

顔の特徴を聞いた。苗字も聞いた。
しかし、レジで顔をしっかり見る自信がない。胸のバッチを見る自信もない。その二つを交互に見るなんて出来る訳がない。自慢じゃないが、こっちは21歳で、童貞どころか女性と付き合ったことがない。

逆にエロ本でも出したらイケるかも、なんて奇策を打つ案は数十年経った今思い浮かんだ。その子にやってもらえるタイミングを見計らい、カロリーメイトか菓子パンあたりをレジに持って行ってみた。なんとなく、両方見た。バッチは見れた。苗字は確認出来た。顔は…。うー…。見れない。目は見れない。全体像を感じた。オーナーの嫁の太ったおばさんとは空気感が違い過ぎる。

「どうだった?」

「いや、可愛かったですよ」

童貞が言ってみた。自動ドアが開いて、先輩が店を出る際に、背(せな)で感じる特別感のある「ありがとうございましたー」について、後輩の僕にもあったのか気になるようだ。

「普通に言ってくれましたよ」

「普通って?」

普通は普通だ。カロリーメイトを買ったお客さんが店を出る時の店員さんの「ありがとうございましたー」だ。「ありがとうございますー」だったかも知れない。とにかく普通だ。

自分だって頻繫に行ってタバコを買ってるくせに、「こんにちは」と挨拶する仲にすらなれていないじゃないか。しかも、オーナーの嫁の太ったおばさんとは挨拶出来てるくせに。お前も童貞か。

彼女は大学生のバイトさんだそうだ。オーナーの嫁の太ったおばさんから情報を得たらしい。

ある日。戒厳令が敷かれたように静かな日曜日の夜8時半ころ。ほとんど客が来ない店で、一人ぼっちで店番をしていると、先輩が明らかに興奮して入ってきた。「ちょっと来いよ」と外に出るように促された。店の前に停められた車の助手席に女性が座っていた。ちゃんと見たことはなかったが、バイトの子に違いないとわかった。その日にデートするとも聞いてないし、そこまで進展していたなんて予想外だった。してやったりなんだろうけど、ふがふがと興奮しててカッコ悪かったよ、先輩。

暗かったが、その子が恥ずかしそうにしていて、はにかんでいる様子は童貞でもわかった。ただ、先輩みたいに興奮してはいなかった。落ち着きがあった。

さびれた商店街の一番端っこのお店だが、そこでバイトをしたおかげで僕にも彼女が出来た。こんなにも楽しいのかと幸せを感じた。

みんなで飲んだ後、酔っぱらって自転車でフラついて帰る僕の背中が愛おしく見えたらしい。初めてのドライブデートでそう言ってくれた。微妙だ。

僕の幸せは3年足らずで終わった。泣いた。ご飯が3日食べられなかった。緑色のゲロが出た。Kiroroの『長い間』がラジオから流れる度に泣いた。ヒット曲だった。

先輩のほうは順調で、結婚に向かっていた。
そんな中、6,7人でカラオケに行った。

ひとつだけ鮮明に覚えている。
普段は控えめにしている先輩の彼女が、妹と『強く儚い者たち』を歌った。

サビのところで、姉妹はおどけて腰を振って楽しそうに歌っていた。

僕はもう童貞ではないし、何度も会っているので、先輩の彼女の目を見て話すことに何の照れもなくなっている。

だけど、この時はちゃんと見れなかった。

姉妹が綺麗で輝いていた。

『長い間』を聴くと、今でも泣いてしまう時がある。

『強く儚い者たち』を聴くと、直視出来ないほど美しい彼女の姿が思い出される。







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