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自分の色覚を受け入れたい

○私に見えている色とあなたに見えている色は違うらしい

水色かと思ったら、薄紫だった。
赤色かと思ったら、茶色だった。
黄緑かと思ったら、橙色だった。

幼い頃からそんなことばかり経験してきた。私の目に見えている色は、他の人が呼ぶ色とは違うということを、嫌というほど思い知らされてきた。

水色の服のつもりで選んだら、「紫を選ぶなんて珍しいね」と言われて初めてそれが薄紫色であることを知った。
「あの人、ランドセル茶色なの珍しいよね」と言われても、どの人のことを指しているのか分からなかった。
路線図の見分けが付かなかった。


こういった出来事を経て、小学校低学年の頃には他人とは違う見え方をしている、と自覚していた。
ただし、私の体感だが、それも時期によって少しずつ違う。調子がいい時期はあまり悩むことなく見分けられる(そして大抵それは正解している)一方、それまで悩むことのなかった組み合わせでも見分けにくくなる時期もある。スパンは長期的で、数ヶ月~数年くらいだと思う。見え方は人によって異なることは知られているが、変動するという話はあまり聞いたことがない。
一般的な人と見え方が違うだけでなく、“普通じゃない人”ともまた違っていると、幼いながらに私は知ってしまったのだ。

それからというもの、色には敏感になってしまった。

絵の具を使うときには、そのボトルに書いてある色名を必ず確認するようにした。服を買うときには、タグの色表示を見てから本体の服を見る。時々、色を番号で記している店があるが、そういう服は大抵の場合は敬遠する。

だから、絵を描くときには「あの木の葉っぱって、黄緑色だよね?」と人に聞いて確認するようになった。親には「何を言ってるの? それ以外の何色に見える?」と返された。
服を買うときにはモノトーンのような一目で色が分かるものばかり選ぶようになった。友人には「もっとカラフルな服を着たら?」と言われた。

世の中の人は、自分を基準にして生きているのだから仕方ない。それでも、私には私の事情があるのだと、親にも友人にも理解して貰えなかったという事実だけは、何年経っても自分の中から消えることは無い。

○努力でカバーできない

色覚異常、昔の言い方で言うところの色弱は、男性で20人に1人、女性で500人に1人の割合だと言われている。
男性の場合、割合が高いこともあり、しばしば遭遇することがある。様々な場面で配慮されているようだ。
一方で、女性の場合は、割合にして0.2%であるから、なかなか遭遇することはないだろう。そして、理解もあまり進んでいないように感じる。「女の子らしくパステルカラーとか着たらどう?」なんていう、セクハラも入った言葉を受けたことがある。

いくらカラーユニバーサルデザインが普及しつつあるとはいえ、決して不自由がない世界にはなっていない。

世界が変わらないなら自分が変わるしかない、と考えて、インターネットにあるような色彩ゲームをやってみたり、数千種類の色について解説した本を読んでみたり。できるだけ、“世間一般”の見え方を学び、それを真似ることでどうにか社会に順応しようと考えた。幸い、人より勉強ができる子供ではあったし、記憶力も人並みにはあるから、覚えることはできた。できるだけ間違えないように、他人の見え方に近づけるように。色彩検定の勉強もしようとした。

それでも、自分にとっての見え方は変わらなかった。むしろ、自分はどう足掻いても“みんな”が見ている色の世界を見ることはできない、と改めて突きつけられた。


だから私は、ずっと隠してきた。自分に見える色が、他人と違うらしいと気付いていても。

○理解者が欲しかった

かつて、親に「私、色わかんないかもしれない」とだけ言ったことがある。そこで言われたのは、「遺伝的に考えて、あなたはそうなりえない」という内容だった。要するに、勘違いだろうと流されたのだった。
その時の言葉によっては、私の生き方や考え方は違っていたかもしれない。病院に行って診断してもらおうだとか、気にしなくていいから好きな色を選んで生きろとか、そんなことを言われたら少しは変わっていただろう。
しかしそこで身内にも認めてもらえなかったことで、私は自分の「色」が間違っているのだ、と考えるようになった。だから他人に確認するし、確認が面倒だからモノトーンとか、はっきりと判断できる原色を好むようになったのだ。

それ以来、他人に打ち明けることはしてこなかった。たとえ仲のいい友人であっても、家族や親戚であっても。


そんな私だったが、かつて一人だけ、その告白をした相手がいる。
今となっては連絡も取らなくなってしまったが、その当時はお付き合いをしていた人。
高校生だった私はまだ若かった、というより幼かったと言った方が適切だろうか、自分の全てをさらけ出して、それでも自分を好きでいてくれる人であることを、相手に求めていた。重すぎるし、間違った愛の形であるということを過去の自分に伝えたい。
しかし、彼には自分の全てを理解して欲しいと思い、伝えた。

「私は多分色覚異常で、見分けのつきにくい色がいくつかある。最近はあまり調子が良くないので、青と紫とかが分かりにくいことが多い。」
色覚異常の基本的な情報と、幼い頃からあった違和感、そして最近の見え方。

冷静な人だから、私の話を最後まで聞いてくれた。最初こそ驚いて、少し馬鹿にするような表情もあったが、私があまりにも必死に、半泣きになりながら経験を伝えようとしていたから、途中からはそんな表情を消して聞いてくれていた。

私にとっては唯一自分からカミングアウトした経験だ。理解して受け入れてもらえたという記憶は、数年経った今でも大切なままだ。


○専門家との出会い

それから私は大学生になり、一人暮らしを始めた。自炊をするようになっても、肉の焼け具合は分かりにくいから、かなり念入りに火を通す癖がついた。人との飲み会で焼肉を指定されたら断ることもあるくらい、苦手意識がある。

運転免許を取るために通い始めた教習所では、入所時の視力検査で、青黄赤の識別ができるか問われた。なんとかクリアしたものの、やはり不安感は拭えない。とはいえ路上教習に出ても見分けはつくし、免許試験場でも検査は無事パスした。

そんなこんなで、割と調子がいいなと思いながら、大学生活を送っていた。


ある時の教養科目で、何の気なしに選んだ「心理学」という授業。色んな学部で様々な観点から心理学を研究している先生が週替わりで教壇に立つ、リレー講義だった。教育学部から子供、医学部から脳神経、農学部から霊長類、さらには情報系など、所属学部も研究の対象も様々であったが、どれも心理学に関する研究をしている先生たちだった。総合大学の強みがこういうところに現れるんだな、と呑気にも実感していた。

そこでとある週に現れたのが、色覚異常を研究している先生だった。
授業の内容は、正直あまり覚えていない。色覚異常のメカニズム(錐体の話)など、聞いたことのあるような話が多かった。
しかし、その先生が示す中で、色覚異常の人の見え方などのエピソードは、どれも自分のことでないかと思うほど、親近感を覚えるものばかりだった。そして、その先生が色覚異常の人の心理実験をしたいから人を募集していると知り、迷うことも無く応募した。


その授業からは1年が経ち、その先生から連絡が来た。色覚外来のある病院で色覚異常かどうかの検査を受けてもらいたい、という内容だった。
私自身、これまでの人生で経験してきたことを踏まえれば、結果は無理に知る必要はなかったのかもしれない。しかし、自分の生きづらさに名前が欲しくて、検査を受けに行った。
大学からバスと地下鉄を乗り継いでJRの駅へ。そこから数十分電車に揺られて、路線バスに乗り換える。隣県なのに、2時間近くかかって着いたのは、どこかの大学付属の総合病院だった。

待合室に来ていた先生に過去の経験を話したが、少し不思議そうな顔で「もしかしたら違うかもね」なんて言われた。

検査は1時間半くらいだっただろうか。青黄赤のLEDを見分けるものやよく知られる石原式というものなど、何種類も検査をした。途中からは体感として結果がほとんどわかっていたから、結果を聞くのは怖くはなかった。

検査後に別室で告げられたのは、「強度の2型3色覚」という検査結果。検査中にかなり見分けられないことには気付いていたから、診断が出ることには驚きはなかった。しかし、調子がいい時期はさほど不自由なく過ごせていたから、「強度」という診断は少なからず衝撃となって私に降りかかってきた。

先生には「診断出ました、強度だそうです」とだけ伝えて、足早に病院を後にした。誰かと話していたら、泣いてしまいそうな気がしたからだった。

帰り道、見知らぬ街の路線バスの車窓からは、紅葉が見えた。色鮮やかな木々を見つめながら、綺麗だなと思うだけではなくなってしまった自分に気付いた。
「私に見える紅葉と、他の人に見える紅葉は違うんだろうなあ。 私には綺麗に見えているけど、本当はもっと綺麗なんだろうか。」
考えるとこらえたはずの涙が出てきた。帰りの新快速ではずっと俯いたまま、誰にも涙を悟られないようにしながら家に帰った。


他人との見え方が違うという自覚はあっても、専門家に診断されたのは初めてだった。それまではなんとなくだったものが、一気に現実として突きつけられた気がした。

その時に、どれだけ頑張っても私は他人と同じ世界を見ることはできないのか、と知ってしまった。私に見える紅葉や花や空は、大多数の他人のそれとはズレているらしい。
愛する人でも親しい人でも、肉親でも。私の世界を他者と共有することはできないのだ。

それを知ってしまったとき、私はとてつもない孤独感に襲われた。誰も理解してくれないんだ。誰にも伝わらないんだ。

それからというもの、紅葉を見たり、色々なものの色のことを考えると、自分と他者の色覚の差を想像して辛くなってしまうようになった。(今回の記事に使っている写真は、診断を受ける前、最後に見に行った紅葉を撮ったもの。あれ以来紅葉の名所に行くことはやめた。)


○自分の色覚と向き合って生活する

振り返ってみると、私は幼い頃から、絵を描くのが苦手だった。それは単に美的センスと技術がないからだと思っていたが、「色」というのも大きな理由だったのかもしれない。自分の目に見えている色と、対象の本来の(頭で理解している)色が違い、それをどの絵の具で表現すべきかが分からなかった。

私は結局、書道に傾倒した。黒と白で成り立つ世界。そこに色彩感覚は必要とされない。文字を書くことは好きだったし、字を書くことに楽しさを見出していたから、十数年も続けていられるのだろう。
実は書道にも色を使う場面はある。額や軸の表装の色や、紙の色。書道パフォーマンスでは絵の具やペンキを使うこともある。だから、「色」から完全に離れたところで完結するものではない。しかし、厳密な色彩感覚を求められることはなく、あまり不自由なく、芸術としての書道を楽しめている。

大学で専攻したのは文系の学問であり、実験や観察は無くて文献を読むばかりだから、色が使われる場面はあまりない。せいぜいPowerPointでスライドを作るときくらいで必要とされるが、そこはテンプレートに任せればたいていはなんとかなっている。

就職先は決まったが、配属先はまだわからない。キャリアプランなんてものはまだ決まってないけれど、おそらく色彩感覚を求められる機会の多い仕事に好んで関わろうとは思っていない。
色覚異常だとなれない職業はいくつかある。医師やパイロットや鉄道運転士などが有名だ。
かつて鉄道会社に興味を持っていたことはあったが、色覚異常では運転士にはなれないことを知り、キャリアが狭まるなら選ぶ必要もないか、と思い志望するのをやめた。多少は就活に影響もあったが、診断されていなければ有耶無耶にして運転士を志望していたかもしれないから、早く気づけて良かったともいえるだろう。

最近になって趣味を増やそうと思いカメラを購入し、写真を撮るようになった。写真は世界を切り取ったものだから、そこに私の色の解釈の入る余地はない。ただ、フィルターや加工の段階で、多少の戸惑いを覚えることがある。私は明るめを好んで、TwitterでもInstagramでも加工してアップしている。けれど、それはもしかしたら他の人からしたら“不自然”なのかもしれない、と。これまでの経験から、馬鹿にされたくないという思いが強くなっているから、できるだけ“人が見て変じゃないもの”になることを求めてしまっている。自分の色覚を認めて、他者にも理解してほしい、とふとした瞬間に思ってしまうことがある。

最近では、色覚補正レンズを販売している眼鏡店もある。しかしそれらは通常のレンズより高額である上、補正のために色が付いている外見だ。補正で“普通の人”と同じ見え方にしようとするのにも、“普通”でないと一目で分かるような手段しか無いのだ。


このように、生活への支障はさほど多くないが、決して少なくもない。
しかし、こうして生活している中でも、どうしても考えざるを得ないことがある。


○将来を考える

色覚異常は遺伝だ。X染色体が関係しており、男性なら1つ、女性なら2つ有しているものだ。男性なら1つ、女性なら2つの両方が異常の染色体であれば、色覚異常として発現する。女性で1つだけ異常の染色体を持っていれば、自身には発現しないが保因者ということになる。
……
とまあ、よくある説明をざっくり書き写してみたが、分からないかもしれないのでそういう人はネットで分かりやすい説明を探してみてください。

遺伝ということは、自身の結婚出産にも付いて回るのだ。周囲の友人の中には結婚も見据えた交際をしているカップルもいる。私にはそういう相手は現状いないけれど、いつまでもそうも言っていられない。
自身の子を確実に保因者にしてしまう、男の子なら異常が発現してしまう、生まれつき生きづらくさせてしまう、と分かっている中で、子供が欲しいとはなかなか言えないし思えない。

23歳になり、自身の将来設計を迫られることが増えてきた中で、改めてこの「遺伝」という、どうしようもない、けれどとても大きな課題と向き合わなければならなくなっている。遺伝を恨んでも、ましてや親を恨んでもどうしようもないから、行き場のない怒りを抱えながら。

例えば、将来的に結婚を考える相手がいたとして、相手やその親御さんに自分の色覚をカムアウトできるだろうか。どんな顔をされるだろうか。伝えたところで何と言ってもらいたいのか。時が来たら考えるつもりでいるけれど、今から既に怖いと思ってしまっている。


○さいごに

あなたは、色覚異常を、そういう女性を知っていますか。
社会に溢れる色に関して生きづらさを感じている存在を、男性よりも数が少ないために配慮されないことも多い存在を。
もし、ここで初めて知ったのなら、そういう人がいることを少し意識してほしいです。私からのちょっとしたお願いです。


私も自らの色覚に関して、全てを受け入れられたわけではない。けれど、社会が私のような色覚を認めて配慮してくれるようになれば、今のように窮屈な思いをしなくてもよくなるのかな、と少し期待している。社会を変えるのは難しいけれど、今これを読んでくださったあなただけでも、理解してくれると嬉しいです。
私も、自分の色覚と向き合って、受け入れて生活していけるよう、努力していくつもりです。23歳になった私の、小さな、けれど重大な決意です。

ここまでの長文を読んでくださってありがとうございました。

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