愛の言語

とかいうものが存在するそうな。


「肯定的な言葉──愛情、賞賛、感謝を言葉で表現する。

 サービス行為──言葉よりも行動で愛情を示したり、受け止めたりする。

 贈り物──愛や好意の象徴として贈り物をする。

 クオリティ・タイム──中断やじゃまの入らない上質な時間で愛情を示す。

 身体的なタッチ──セックスや手を握るなど、身体的な接触を通じて愛情を感じる」


これを知ったとき、夫から示されたものは無いな、と感じてひどく寂しくなった。自分であれば、サービス行為とスキンシップ、時間を割くあたり。実際、夫が仕事を理由にお祝い返しの全てを任されたときも、全く面識のない、夫だけの関係者のところにまで直接行った(自分の関係者にはもちろん手渡しした)。それが当たり前と言われるならそれで構わないが、自分としては二人で選び、それぞれの関係者にはそれぞれが渡す方向でいきたかった。
恐らく夫にしてみればセックスが愛情の最たるものだったかもしれないが、その言語(セックス)は自分の中では最下位だ。むしろ現実世界における愛ではない最たるもので、他に示される言語が皆無なため徐々に応じなくなっていった。

聖人君子ではないので与えるだけで満足とはいかない。そんなことは出来ない。かといって頻繁に要求も出来ず、希にしたお願いはたたき落とされて終了する。本人にそのつもりがなくとも。
夫の中で自分の優先順位が低いなら、自分もそこまで高くしておく必要がないと思った。だから離婚前提で一人暮らしに戻ったのだが夫はそんなことはどうでもいいのだろう。
今も連絡してこないのが証拠のように感じている。


「ま、頑張れや」「見てるぜ」的お気持ちは作業着やお茶代、精神的支えになります。