朗読劇「カラフル」を見て、原作を読んでほしいと思った話


千秋楽おめでとうございます。
昨日の夜に書き上げるつもりがお仕事のせいで爆睡したので速攻仕上げてます。今日の昼までに上げてやるって気持ちです書いてます。

まず、皆さんって「カラフル」の原作本どれくらいで読み終えれますか?
文庫本259ページくらいの本です。
夏目漱石の「こころ」が308ページ、太宰治の「人間失格」は271ページです。まあ文庫本としてはちょうどいい長さで大人で活字慣れしている人であれば2~3時間で読めるものでしょう。言葉の意味を探して辞書を引くなんてことにはならないくらい、小・中学生にもぴったりの本です。
だからこそ、まず、原作を読んでほしいと思います。
朗読劇から削られたあれやこれや、オリジナル要素のあれこれ、また演出効果の意図なんかもうまく掴めるんじゃないのかな?と思います。

まず、このお話を110分にまとめたと聞いた時は、どういう荒技を使ったのかと驚きました。この物語は蛇足がいらないほどに十分にまとまっていて、これ以上なく洗練されたものだからです。どこに削る要素があるんだろう?と少しだけ疑問でした。
もちろん、原作既読者からすれば、なんで「朗読劇」なのにあのセリフを削ったのか、あの場面がないのかと不満の声を漏らしたい部分も多いのですが、ダイジェストとして十分な110分出会ったと思います。「カラフル」読んでみたいけど、と言う人にオススメの作品となったでしょう。

活字に色をつける

どこかの誰かが言っていましたが、「活字に色のついた作品」、その通りです。
桐山瑛裕氏の色というか特色のようなものが消えていたといいますか、その言葉のまま、森絵都女史の言葉のまま舞台の上に乗っていたという感覚に近いです。桐山氏のやっていることは物語をうまく整理した上で取捨選択をしたというある一種の作業だったのだと思いますが、それは物語の構造の理解や、森氏の言葉への造詣が深くなくてはできないことです。
推しだから褒めているのではなく、私自身シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」と「夏の夜の夢」、夏目漱石の「こころ」のダイジェストを作ったことがあるのでその大変さというのは少しなりともわかっています。だからこそ、このダイジェストの素晴らしさはよくわかります。色々な思いがありましょうが、世の中の人間に「カラフル」に興味があると言われたらどのヘタなレビューサイトよりこの110分を推薦するだろうなという気にされています。

その分、活字を読むということに慣れている役者でなければ難しい問題も生じていました。小説がそのまま舞台の上に乗ると言うことは、地の文(通常の舞台では「ト書き」とされている部分)とセリフを反復横跳びするということです。
その文章が地の文であることとセリフであることを明確に分けなくてはいけない難しさ。キャラクターとしての難しさをあげるよりも先に、技術的に難しいのはまずは圧倒的なセリフ量を誇る「僕」、反復横跳びが一番多い「小林真」、そして唯一の独壇場がある「母親」でしょう。もちろん、それぞれの役に難しさがあることはわかっています。

「僕」は浮遊した小林真の魂です。この物語においては、小林真でありながら、一歩距離を置いた部分のナレーションを担当しています。結論を知っている人からすれば彼もまた小林真であることを知った上で見るので舞台上には小林真が二人いるんですね。でもスタンス的には「どっかしらん別の人間」なので、私は中学生には思えない大人っぽい高塚さんの演技が好きでした。唱子のいう「向こう側の小林真くん」がこの「僕」という役。ここがコケると、多分芝居自体が成立しなくなるので十分な実力が要求される役だなぁと思いました。
ぜひ、原作読みながら配信を読んでほしい。まあ、セリフ量が途轍もないので分けることになったといえばそれまでなんですけど、そこにはきちんと役作りの相違があるように思えて、同じなようで違っている、のが面白いなぁと思います。
高塚さん、地の文を読むの上手だねぇ。

どうしても立つことに合わせてセットされたマイクなので、座られるとそこに顔がかぶさって見えなくなる時があって、舞台としてそれはそれで残念だったので配信あってよかったと思うけれど、配信の方がよかったなと思ってしまうのも舞台としてどうかと思うから一長一短かな。ピンマイクにしてほしかったな。特に少年Tさんの表情豊かな芝居はもっと堪能しなたかったなぁと思います。

小林真は外界と接する時に出てくる「もう一人」。内側で話す時は自ずと「僕」になる。そういう二面性というのだろうか、そういう人間色々な部分あるよねというのがカラフルの大事なところ。
人間は変わることは難しいと思う。変わりたくても変われなくて、変われない自分が嫌で人は悩むことが多い。
でも小林真は一度死んで、ホームステイすることで自分を知って自分の解放ができるようになる。つまり変わるチャンスをもらった。それが他の人を傷つけた結果の機会だったとしても。

感想戦をやっている時に誰かが言っていたら「中学生にしては大人びている」という言葉。それは小林真が常に己の内心と語らいをしていたからであり、きっと小林真が一人だったらそうはならなかったのだと思う。その大人びているということ、誰だって子どもな部分と大人っぽい部分を持っていて、子どもたちは己が思うよりずっと大人っぽかったりする。
もしかして、我々が見ている子どもたちだって、内心我々がびっくりするような大人さを隠しているのかもしれない。特に現代はそうだなと考えてしまっていた。

変われない、変わりたい、でも変わる機会を得たというのは「万来の喝采」に繋がるところでもあることを思い出す。桐山瑛裕色がないといったけど、考えれば「桐山瑛裕」ってこういうお話書きがちだよねってちょっと思う。自分が思うよりもずっとずっと、彼の色は濃かったと私は思う。
あと、こう一つ注文をつけるなら原作の色の表現は大事にしてほしかったなぁと思います。小説における色彩表現のお手本のような作品なので、その表現が死んでしまったのは残念だなと思います。だからみんな原作を読んでね。

だんだんと、その「僕」と「小林真」が融合していく。
後半なんて特にそうだ。
「僕」はだんだんと消えていってセリフ数も少なくなる。誰かが決めつけていた境界線、縛られていた小林真が解放されはじめて、向こう側の僕は小林真になっていく。小林真が大人になったのは「僕」がいたからなんだろうな。

「小林真」は自分でも気付かなかった「僕の魂」を認識して、「僕」は役目を終えたように消えていく。でも「小林真」の一部だったんだ。だから最後のシーンでもそこにいる、これからも「僕」だって極彩色の中で生きる。だって「僕」はずっと「小林真」だったんだから。

私も、誰かをあっちの世界に閉じ込めてないかな。いや、明確に閉じ込めている。誰かから閉じ込められたらそこを出ていくには鈍感さが必要。だってそういう自分だと思い込んで演じてしまう。「自己」と「自分」の違いがそこにある。そこを飛び出す時、誰彼構わず傷つけてしまう恐怖もある。それをする勇気もなくて、結局殻の中に閉じこもる。だから誰もが平等に傷付いている。
誰しもがカラフルで、誰もが死にたくて、生きたくて傷ついている。大人だったり、子どもだったり、普通だったり、狂っていたり、頭がおかしかったり。
でも、その中で小林真は非凡だった。絵という才能を持っていた。気にかけてもらっていた。だから、あんな風に変わっても誰かが「もういいんだ」と、過去の自分を流してくれた。
小林真は明確に人を救っていた。
私にはそんな人いるのだろうか?と問いかけてみたい。だから、そんな小林真が羨ましくて、羨ましくて仕方ない。私はついに「非凡」たり得なかった人間なので仕方ないね。こうして身体すり減らして働く片割れてパソコンぽちぽちするくらいしか取り柄のない人間なので、そうではない小林真は少し羨ましい。

生きることって何かというのを問いかけているわけじゃない。生きることは生きることなんだと思う。生きる意味なんて大それたことは別に書いてない。

ただこの作品は私とあなたは別の人間、だからあなたから見た私は別の面も持っていると知ろうと書いてるんだと思う。みんな変でみんな狂ってるという前提で生きていこう。小林真はそうやって生きてくんだろうなって思わせられる。

共感できるところ、できないところ
気にくわないところ、好きなとこ、嫌いなとこ、不思議なとこ
色々含めて「カラフル」で、全てを褒めるのではなくちょっとしたうがった見方を持ちながら
それすら許容する物語が「カラフル」なので許してください。
舞台としては照明の綺麗さに一番驚きました。よく言えば舞台演出としてはそこが一番心に残っていて、他はあまり色濃い演出はありませんでした。だからこそ、役者の芝居が肝なんだけど、そこがどうしてもな〜合わないな〜って役者さんはもちろんいました。3回見に行ったので、まあ楽しんだ方かな。

叶うことなら、これからの人生、そして今までの人生
誰かに助けてということで、助けてくれる人がいる人生でありますように。
そういう人が増える世の中でありますように。
人とは違うが、それでもいいよと共存できる社会でありますよう

原作にはお母さん周りとかもうちょっと救いがあるから全員読んでほしい。原作特典付きの席とか、会場物販で原作本売ってあったら買う人いたと思う。ぜひ、本屋でも電子書籍でも、なんでもいいので、あの黄色の表紙を見かけたら読んで見てください。20年愛される理由がそこにあります。

20年後、誰かの親になっているかもしれない。
20年後の私、この作品を見てどう思うんだろう。


人は自分でも気付かないところで、だれかを救ったり苦しめたりしている。この世はあまりにもカラフルだから、僕らはいつも迷ってる。どれが本当の色かわからなくて、どれが自分の色だかわからなくて。

君はたしかに一度死んだ。
もう十分だろ、二度と死ぬなよ。

じゃあな、小林真。しぶとく生きろ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?