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嘘でも「妻です。」と答えてほしかったな…

数カ月に渡り世間を賑わせてきた不倫騒動が、ようやくひとつの節目を迎えたようです。

2020年3月18日、謝罪会見が開かれ、現在の状況が語られましたが、どうも釈然としません。質疑応答の多くは、「答えられない」に徹していました。

記者会見にはありがちな光景かもしれませんが、記者から問いかけられた重要な質問に対し、この答えを使ってしまったことで、さらなる疑念を抱くことになってしまいました。

みなさんはこの記者会見を、どのように感じたでしょうか?

芸能人が謝罪会見をする意義

以前から、芸能人のスキャンダルに対する謝罪会見の是非について、様々な声が上がっています。

なぜ早く謝罪しないのか?と憤る声もあれば、そもそも必要なの?という声もありますが、私個人としては、謝罪会見をやる意義はあると思いますし、いつも興味深く見ています。

芸能人が謝罪会見をする意義は、2つあると思っています。

1つ目。
今回のケースで言えば、「不倫」という事象は、一般人にも起こりうるものであって、自分の身近なところに置き換えて考えることができる機会でもあります。
そのなかで、「トラブルを引き起こした側」の主張というのは、ある意味、社会のモデルケースになります。

どういう経緯で不貞関係になり、どういうつもりで家族に接し、なぜいま頭を下げているのか。

俯瞰的に観察し、事例を蓄積することで、身近なリスクを回避・検討するための材料になるからです。(理系のさがなので、お許しください。笑)

謝罪会見は、その一連のストーリーを完結させるため、必要なプロセスだと思っています。
当の本人の口で語ることに、意義がありますよね。(芸能人の方には申し訳ないですが…)

2つ目。
『謝罪会見』は、多くの証人の前で大切な人への想いを語ることができる唯一のチャンスです。

「不倫」で言えば、一番傷つくのはその家族に違いありません。
当事者は、芸能人という立場上、マスコミに徹底的に叩かれ、いらぬ過去まで暴かれて、いくら不貞を犯したとはいえ、同情を禁じえません。
しかし、それを差し引いても、一番の被害者は家族でしょう。

この謝罪会見の冒頭にもあるように、「謝罪対象は妻」だと明確にしていたのは、まったくその通りだと思います。
マスコミでも、世間でも、不倫相手にでもなく、妻に謝るべきだというのは心底同意です。

当事者の身勝手によって傷つけた人たちに対し、公の場で「自責の念」を伝えることができる機会が『謝罪会見』です。
個人間での話し合いとはまた違い、メディアを通して見た人全員が証人となる場はここしかないと思うからです。

誰も救われなかった「答えられない」という答え

そんな唯一のチャンスである謝罪会見は、本番一発勝負!
しかし、今回の謝罪会見では、さらなる物議を醸すことになってしまいました…。

そもそも「妻と不倫相手、どちらが好きか?」という質疑については、こんなに残酷なものはないなと、少し同情してしまいます。
ご本人がどう思っているかは別として、『会見という場で語るべき正解』がいまのところ思いつかないからです。

こちらのツイートがわかりやすかったので、お借りしました。
どう答えたって、さらなる追求からは逃れなれないし、必ず誰かを傷つけてしまいますね…。

いやしかし、「妻が傷つくから答えられない」はいかがなものか…!多くの方が同じ考えに至ったようですが、私自身も「てことは、不倫相手なわけ…?」と、絶望感を抱く回答だったように思います。

妻に謝るって言ったじゃないの…。
記者会見の意義と謝るべき人を考えたなら、「妻です。」と答えてほしかった…。(たとえ嘘でも)

彼らがよりを戻そうとするのであれば、なおさらです。「妻です。」と答えられない男を、再度自分の家族に迎え入れる妻の心境はいかばかりでしょうか…

ご本人は、考えあぐねた末に、妻を傷つけない最良の回答を選んだつもりなのだと思いますが、結果的に誰も救われない発言となってしまいましたね。

おわりに

社会には正解がないことってたくさんありますよね。

ひとつの意見が逆の立場の人を傷つけてしまうことだってあるし、誰かを救えば誰かを切り捨ててしまうことだってあります。
すべての人を救うなんて都合のいいことはできないのだから、せめて自分が守ると決めたものを守り切るスタンスを貫きたいなと、自分を戒めるきっかけになりました。

いやしかし。
元を正せば、例え出来心だったとしても、大切に思う人が傷つくような行いは絶対してはいけないってことだと思うんですけどね。

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