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神秘家ブラヴァツキー夫人の星を読む

今日5月8日は、神智学協会の創立者ヘレナ・ブラヴァツキー夫人が亡くなった日だそうです。
神智学は、現在のスピリチュアル(ニューエイジ思想)のみならず、現代占星術にも(良くも悪くも)大きな影響を与えました。

神智学協会(the Theosophical Society)は、ヘレナ・P・ブラヴァツキー、ヘンリー・スティール・オルコット、ウィリアム・クアン・ジャッジらが1875年にアメリカのニューヨークで結成した神秘思想団体である。
設立の背景には、19世紀後半のアメリカ・ヨーロッパで既存の教会を批判する一種のリベラリズムとして出現した「心霊主義」(spiritualism) の流行がある。
神智学協会は仏教やヒンドゥー教などの東洋の宗教思想の西洋への普及に貢献し、一方、インドの人々には普遍主義的なヒンドゥー教改革運動の一種として受け取られた。

wikiより

以前から記事にしようと思っていましたが、なかなか手が付けられなくていました。せっかくのタイミングですので、ホロスコープをシェアします。

生い立ち

ブラヴァツキー夫人のフルネームはエレーナ・ペトローヴナ・ブラヴァーツカヤ (Елена Петровна Блаватская, Eelena Petrovna Blavatskaya)
ブラヴァーツカヤはブラヴァツキーの女性形。

父はユグノー(プロテスタントのフランス系)の血を引くドイツ系貴族のペーター・フォン・ハーン
母はロシア人の小説家ヘレナ・アンドレヤヴナ・フォン・ハーン。
母方の祖母は、名家ドルゴルーコフ家の王女ヘレナ・パブロブナ・ファジェーエフと言われています。
ブラヴァツキー夫人の旧姓フォン・ハーン (von Hahn)の「von」は貴族を表しています。

ブラヴァツキー夫人は、1831年8月12日にウクライナ・エカチェリノスラフ(現ドニプロペトロウシク)にて誕生しました。

ブラヴァツキー夫人のネイタルホロスコープ

ネイタルホロスコープは、大きな赤いバッテンが目につきますね。不動宮と活動宮が作るレクタンブルです。

獅子座の太陽は、水瓶座の木星とオーブ1度のオポジション。
木星は天王星と合になっています。
太陽と天王星はそれぞれ、自分が支配する星座にいます。
変化が多い人生が表されていると思いますが、本人はそれを苦役と感じてはいなかったかもしれませんね。
魂の計画としての激動という感じに見えます。

太陽のサビアンシンボル「ハウスボートパーティ」

先行日食

太陽のそばにNノードがあり、誕生日直前に蝕が起きていたのがわかります。調べてみると、1831年8月8日に皆既日食が起きていました。
日本語も英語も記事がなく、中国語のwikiによるとサロス周期123と記載がありました。
誕生日の前に起きる日食を先行日食といいますが、先行日食には魂の目的が表れているとも言われます。

1831年8月8日皆既日食

1831年8月8日の皆既日食は、獅子座14度。サビアンシンボルは「山車 」。

山車というと、つい日本の夏祭り的なものを想像してしまいますが、ページェントというと、リオのカーニバルのようなドギツイぐらいの華々しさになりますね。美人コンテストも、演劇もページェントというそうです。

獅子座14度(サビアン15度)の意味は、自己プロデュース。自分の才能を人々にデモンストレーションして見せる。しかもドラマティックに。
という風に私は受け取りました。

このとき、天王星が水瓶座12度で、サビアンシンボルはカリスマ度数13度(バロメーター)になります。同じ先行日食で生まれた人に技術者が多いように感じましたが、水瓶座天王星の影響かもしれませんね。

日食と天王星のオポジションを調停しているのが、10室牡羊座10度の冥王星。サビアンシンボルは国の支配者。この先行日食で生まれた人は、頂点に立つイメージですね。


ブラヴァツキー夫人のネイタルホロスコープに戻りまして、アセンダント蟹座のルーラーの月は天秤座にあり、10室牡羊座の冥王星とオーブ1度でオポジション。10室の冥王星は、権威の最高峰。

アセンダントは見た目、自分ではわからない部分と言われます。
ブラヴァツキー夫人の第一印象は目力が強くて、蠍座っぽい印象だったんですが、アセンダントが蟹だったのでびっくりしました。

月のそばには金星があり、金星も冥王星とオポジションになります。
金星冥王星の組み合わせは、松村潔先生が「貞子アスペクト」と命名されていますが、魔性とかオカルトを体現したり、そういう類のものに引き寄せられる感じです。

残念ながら私は持っていないアスペクトです。魔性の女になれないな(笑)

天秤座の金星ですから、人を惹きつける魅力もあったでしょう。

受け継がれた資質

母方の祖先であるドルゴルーコフ家は、ロシア帝国のリューク朝の血族でした。リューク朝は、有名なロマノフ朝より前の王朝で、ヨーロッパでもっとも古い王朝と言われています。
ブラヴァツキー夫人の従弟と言われる、セルゲイ・ユリエビッチ・ウィッテ伯爵は、ロシアの首相を務めた人物でした。

ドルゴールコフ家の紋章

ブラヴァツキー夫人は、曽祖父のパベル・ヴァシレヴィッチ・ドルゴルーコフの書架にあった秘教の本を読み、それが彼女の霊的な成長を促したと言っています。曽祖父はフリーメイソンであり、カリオストロ伯爵サンジェルマン伯爵と面識があったと噂されています。

ブラヴァツキー夫人の8室(遺伝)が水瓶座になっているのも、フリーメイソン的な資質(秘教や神秘を重んじる)に繋がっているように思います。


そういえば、私も8室水瓶座で、秘教やフリーメイソンに対して強い興味を持っていますし、たぶん、普通の方が抱くであろう嫌悪感よりも親和性を感じる部分があります。悪魔崇拝は受け付けませんけどね。

カリオストロ伯爵は、マリーアントワネットのダイヤモンドネックレス事件に巻き込まれた人物で(無罪)、私も興味深く思っているフリーメイソンの一人です。
サンジェルマン伯爵は、オカルト界では有名人ですね。フリーメイソン以前に、不老不死のタイムトラベラーですし。もしかしたら現在も、どこかの誰かになって、私たちと同じ次元を生きているかもしれませんよ。

放浪の旅へ

1849年7月7日、ブラヴァツキー夫人は、17歳のときに20歳以上も年上であったニキフォル・ブラヴァツキーNikiforVladimirovichBlavatsky将軍と結婚しますが、結婚生活は数か月で破綻しました。
この問題には、フリーメイソンの知人であったアレクサンドル・ドリツィン大公の手引きがあったらしいですが、詳しくは追えていません。

この結婚の失敗からあとの彼女の人生は謎が多くなります。
wikiによると、法律上離婚が困難だったため、結婚解消の手続きをしないまま、ブラヴァツキー夫人として世界放浪の旅に出ます。
ほぼ24年間の足取りが不明と言われています。

1849年7月ごろはノード軸は乙女座と魚座の始めのほうにあり、これから獅子座と牡羊座に移っていくところでしたので、ご縁が切れたという感じですかね。
そして、ノード回帰になっていくので、新しい生活、新しい環境に向かう意欲が強まります。

ネイタルのNノードのサビアンシンボルは「興奮した鶏が、ふらふらと羽をばたつかせて飛ぼうとしている」
(※ノードのサビアンシンボルはプラス1度しない)
このサビアンの意味は、オカルトや超能力など心霊的な力の現れ。


自伝によれば、「世界を旅して秘教を学び、エジプト、ジャワ、日本まで訪問し、7年間チベットに滞在し、導師たちの教えを受けた」ということになっていますが、整合性はないようです。
むしろ、世界放浪の出来事のほとんどが創作だった可能性が高いとも言われています。

パートナーシップの7室の山羊座海王星が、3室乙女座水星とセスキコードレート(135度)になっているところが、放浪を表しているように思います。
いったん旅に出たら気が済むまで帰らない、みたいな感じ。
水星と土星が合なので、これが効いていれば、自分史をドラマティックに創作することはないと思うのですが、冥王星とクインカンクス(150度)が妄想を抱くほうに効いたのかも知れませんし、そもそも「いつ、何をしていたか」ということにこだわらない性格だったかもしれません。

神智学協会の創立

ブラヴァツキー夫人の神秘家としての活動が活発化したのは、1874年。43歳の頃。アメリカでヘンリー・スティール・オルコット大佐と出会います。
オルコット大佐は、南北戦争時にアメリカ軍の将校であり、戦争後はジャーナリスト、弁護士、フリーメイソンだったそうです。
オルコット大佐がブラヴァツキー夫人について書いた記事が好評を博し、世間の注目がブラバッキー夫人に集まるようになっていったのです。
その後、ブラバッキー夫人とオルコット大佐は、エジプトのルクソール同胞団(秘密結社)の会員であると主張していましたが、のちに二人はその結社を離れて、1875年11月17日に神智学協会を共同創設しました。

神智学協会設立のホロスコープがめっちゃ凄いので見てください。

1875年11月17日神智学協会設立

まっかかですね。
不動宮のグランドクロスに、プラス不動宮のTスクエアです。
これが誰かのホロスコープだとすると、変化につぐ変化、大困難を乗り越えて、組織の大将になる人みたいな印象ですね。

太陽のサビアンボル 「キャンプをつくっているインディアンたち 」

もちろん、この日付「11」「17」をわざわざ選んだと思います。

神智学協会は思想面だけでなく社会的・政治的面でも一定の役割を果たし、1920年代頃までは、洋の東西を問わず「世界をおおうバニヤン樹」といえるほどの広範な影響力を有していた。
協会自体の活動は1930年代には下火になったが、その思想は書物などを通じて現代まで大きな影響がみられる。中心人物であったブラヴァツキーの思想は近現代の主要な神秘主義者たちに直接間接に影響を与え、のちのアメリカのニューエイジ運動(現在のスピリチュアル)における様々な思想・信仰、大衆的オカルティズムの起源とされる。

wikiより
右の男性はオルコット大佐。
二人はのちに実質的結婚しました。

現代占星術への影響

ブラヴァツキー夫人自身が占星術を扱っていたかはわかりませんが、占星術のほうは、神智学者で占星術師のアラン・レオによって神智学の概念に基づいた体系化が行われ、心理占星術がさかんになりました。

神智学協会の宇宙論における使命とは、世界の隠された真実の性質を明らかにし、物質主義的な科学観に反旗をひるがえすことであるという。神智学の創始者ヘレナ・P・ブラヴァツキーは、占星術は科学であり天文学のように正しいが、これは占星術と解釈する術師の双方が完全に正しい場合に限ると発言し、占星術と心理学においては、これを乗り越えるために「物質的世界」を離れて「霊的世界」に足を踏み入れなければならないと主張した。

19世紀イギリスの神智学協会会員でブラヴァツキーの腹心の一人アラン・レオは、西洋占星術を体系化して、現代まで続く形式に構築したことから「近代占星学の父」と呼ばれる。
レオと、神智学協会会員の占星術師W・R・オールド が復興の立役者と評価されている。彼らは、占星術を古臭い陳腐な予言の手段から神智学の関連要素に引き上げ、秘教的関心における有用なツールとして提示し、神智学と占星術を融合させた。
レオによって神智学が取り入れられ、「霊的な進化」の概念が占星術に初めて見られるようになり、新プラトン主義の系譜から神智学協会が導入した「霊的な太陽」の信仰を取り入れ、「太陽星座」(サン・サイン)を採用した。また、神智学を基礎にして占星術に心理学的な要素を加えた。
これが現在にも影響が続いている「占星術の心理学化」の始まりである。レオは占星術をそれまでの歴史から分断し、伝統的なルールや法則をかなり簡略化したため、占星術を「改悪」したという否定的意見もある。

wikiより

私は、アラン・レオが言った?「古臭い陳腐な予言」タイプのほうが興味がありますね(苦笑)それが私が占星術にハマった理由のひとつです。

インドへの普及

さて、1879年2月、ブラバッキー夫人は神智学を広めるべくインドに赴きます。
wikiによると、その当時のインド(イギリスの植民地)であったが、

イギリス文化やキリスト教を上位に位置づけられていることに、インドの人々は違和感を覚えていた。そこに「神智学」という、キリスト教を拒否し、インド思想を教義に取り込んだ「神智学協会」が登場したのでインド人たちはそれを歓迎したのである。

ということだそうです。そういえば、不良少年だったマトハマ・ガンディー氏が更生したのは、神智学との出会いだったと言っていました。

しかし、占星術で言うミドルクライシスを無難に過ごし、ブイブイ言わせていたはずのブラヴァツキー夫人に晴天の霹靂のような出来事が起きます。
マダムブラバツキーの生涯における事件

「詐欺師」と非難される

1884年、かつて仲間だった人物からのリークで、これまで行った神秘現象のトリックを暴露するホジソン・レポートが発表され、「ブラヴァツキーは詐欺師」という悪名が立つようになったのです。

この頃、トランシット海王星が牡牛座の後半に入ったため、ブラヴァツキー夫人の太陽と天王星、ならびにノード軸とTスクエアになったこと。
また、トランシット冥王星が牡牛座から双子座へ移ったため、ネイタルの海王星とICで形成されていた地のグランドトラインが崩れたこと。
またICにトランシット天王星が合になり始めたことが関係しているように思います。

しかし、世界中に「アイツはインチキだ。詐欺師だ」と言われることって、人生でそうそうないですよね。
ましてwikiにも載って、死後130年経っても記録が残っているんです。
これはきっと日食のようなエネルギーの影響だなと思いました。

それで、1884年と1885年の日食を調べてみましたら、これもまた中国語のwikiですが1884年4月25日部分日食1884年3月27日部分日食1884年10月19日部分日食
1885年3月16日金環日食1885年9月8日皆既日食がヒットしました。
日食があれば必ず月食も起きますが、月食は割愛しますね。月食は病気や死に関係することが多いです。

1885年3月16日金環日食

1885年3月16日金環日食は、魚座26度で起きています。
この日食はサロス123。ブラバッキー夫人の先行日食と同じサロスです。

なんか、ぞくぞくっとしました。
先行日食と同じサロス周期は、約18年ごとにやってきます。つまりノードの周期ということですね。
おそらく1回目のノード回帰(18歳)が放浪の旅に出たと思われる年、2回目(36、37歳)はチベットで修行。
ちなみに2回目は、乙女座5度の場所で皆既日食が起きており、ブラヴァツキー夫人の火星、水星、土星とコンジャンクション。トランシット冥王星が牡牛座16度付近にあり、ネイタル太陽、木星と不動宮のTスクエアでした。

3回目(54歳)は、上の1885年3月16日の金環日食になります。
ネイタルホロスコープの出生時間が精確なものであれば、ブラバッキー夫人のMC(魚座23度)に合。
ノードは天秤座と牡羊座の5度にあり、Nノードがちょうどブラヴァツキー夫人の金星(天秤座3度)に重なっています。

日食のサビアンシンボルは「仲秋の名月が、澄み切った秋の空を照らす 」
このサビアンの意味は、蒔いただけでなく耕作したもの、または耕作に失敗したもの(カルマ)を刈り取る時が来たというメッセージです。
ブラヴァッキー夫人は、これまでの活動を集大成する流れになったということ。また行動の結果であるカルマも刈り取るタイミングが来たことを示唆する日食だったのです。

ブラヴァツキー夫人は、騒動から逃げるようにインドからヨーロッパに戻りましたが、それでも周囲には欧米の支持者が集ったそうです。
1887年に根源人種論を驚異的なスケールで展開した主著『シークレット・ドクトリン』(1888年|89年)、『神智学の鍵』(1889年)を出版、1891年にロンドンで死去しました。

神智学協会のロゴマーク

神智学は、人間の人生の目的は精神的な解放であると教え、人間の魂はカルマの過程に従って肉体の死に生まれ変わると主張します。

ブラヴァツキー夫人の功罪

スピ好きの方なら、アトランティス大陸の話を聞いたことがあると思います。それも、ブラヴァツキー夫人が広めたようですね。
ルドルフ・シュタイナーも神智学者でした。いろいろと繋がりますね。
神智学については簡単に記することができない膨大な知識ですので、ここでは割愛します。
神智学 - ウィキペディア (wikipedia.org)

大変、残念だと思うのは、ブラバッキー夫人は『秘密の教義』の中で7つの「根の種族」という考えを提唱しているのですが(アトランティスの話が出てくる)、それがアーリア人至上主義(白人至上主義)と結びつき、結果的にナチスの反ユダヤ主義のイデオロギーに貢献したことです。

ミュラーの理論をはじめとするアーリアン学説に大きな影響を受けた神秘思想家の ヘレナ・P・ブラヴァツキーは、自身が創始した近代神智学において、アーリアン学説を宇宙的進化論を描く壮大な世界観に取り入れ、現代の人類は、大西洋にあったアトランティス大陸の「第四根源人種」から進化した「第五根幹人種」という段階にあり、その人種はアーリア人種であるとした。
神智学では、やがてアーリア人を超える新しい人類が誕生するとされており、アーリア人種中心史観や優越論の傾向はあっても、アーリア人種至上主義ではなかったが、オーストリアやドイツで神智学とアーリア=ゲルマン人種至上主義が広まると、両者が結びついて「アリオゾフィ(アーリアの叡智)」という、アーリア人種至上主義を神智学の世界観で再解釈した思想が生まれた。この思想はグイド・フォン・リストやランツ・フォン・リーベンフェルスらによって提唱され、アーリア人こそが神人であると主張された。

Ariosophy - ウィキペディア、フリー百科事典 (wikipedia.org)

神智学を否定するほど、私は詳しくありませんが、安易に肯定することもできないと感じています。
長い記事を最後までお読みくださりありがとうございました。

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