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わたくしの闇を抱き参らせ給わんと独り祈りしか荒野に乙女は(エミリー・ブロンテの星を読む)

鍵っ子だった子供の頃は、学校の図書室で下校時間まで過ごすことが多かったです。友達はいましたが、どちらかというと本を読んでいるほうが好きでした。自分のホロスコープを見ると、まあ、そうよねと納得します(苦笑)

私が好きな作家は、外国人、しかもおっさんが多いです。思春期に少女マンガ以外は外国文学(翻訳)しか読んでなかったせいですが、そういう時代でもあったんじゃないかと今は思います。

女性作家で好きなひとりに、『嵐が丘』を書いたエミリー・ブロンテがいます。『嵐が丘』はトラウマになるぐらい、私に影響を与えました。
私にとって、人の中にある闇と愛の本質を強烈に見せてくれた初めての大人が『嵐が丘』の登場人物たちだったかも。

ということで今日は、エミリー・ブロンテのホロスコープについて、過去に書いたものを編集してシェアさせていただきます。

エミリー・ブロンテについて

エミリー・ジェーン・ブロンテ(Emily Jane Brontë、1818年7月30日 - 1848年12月19日)。獅子座生まれ。
姉シャーロット・ブロンテは、有名な『ジェーン・エア』の作者、妹アン・ブロンテも作家です。

ブロンテ姉妹の作品はゴシック・ロマンという分類らしいですが、『嵐が丘』は発表当時(ヴィクトリア朝時代)は酷評されていたそうです。
たしかにキリスト教社会では抵抗が大きかったでしょう。
恋愛小説のフリをしていますが、作者の意図は恋愛じゃなくて、当時の社会や人間の根源に触れるものでした。

女性が小説を書くということに眉をひそめる時代だったということもあったでしょうね。高評価されるようになったのはエミリーが亡くなってから。
社会がコロっと反転したのは、影響力のある誰かが「これ、いいじゃん!」と言ったからに違いないと思います。
現在は、英米文学三大悲劇(リア王、白鯨、嵐が丘)と言われているそうです。

ブロンテ一家が住んだ司祭館


父パトリックは、英国国教会の司祭でした。パトリックの人生があまりにも興味深くて、以前にホロスコープを読んだことがあります。
パトリックも詩集や短編小説を出版した経歴があります。頭脳明晰で努力家でもあったようです。

母親のマリアは、エミリーが3歳のときに38歳で亡くなっています。胃がんと肺結核が死因だったそうです。
パトリックは84歳まで生きたそうですが、子供が全員早世してしまったためブロンテ家は途絶えてしまいました。

エミリーには、シャーロットとアンのほかに、ブランウェルという1歳の年上の兄がいました。ブランウェルは、もしかしたら三姉妹よりも文学的才能があったのではないかと思われますが、残念ながらチャンスに恵まれませんでした。

ブランウェルが描いた三姉妹

この三姉妹の絵にはブランウェル自身も描かれていたのですが、彼は自分を消してしまいました。それだけ葛藤が大きかったのです。
ブランウェルのホロスコープも以前に読みましたので、またいつかシェアさせてください。

エミリー・ブロンテのホロスコープ

エミリー・ブロンテは獅子座生まれ。火エレメントが多く、正真の火の女です。
射手座で天王星と海王星がコンジャンクションになっています。
実はまだ海王星は発見されていません。これは世代的なもので、1810年代は、イギリスはいわゆる産業革命のただなか。
スペインの植民地だったチリ、アルゼンチンが独立し、米英戦争、ドイツ解放戦争、など革命の年代だったようです。
またインドネシアの火山噴火の影響で寒冷化し、ヨーロッパも天候不順で
洪水が起きたり自然災害が不安を与えていたようです。

エミリー・ブロンテのネイタルチャート

【アセンダント蠍座】
アセンダントは蠍座で、変化の多い人生だったことが窺えます。
蠍座24度のサビアンシンボルは「X線」
本質を見抜く、世界の秘密に近づくという意味があります。

「X線」は、エミリーの性質にぴったりな感じがします。
彼女は人付き合いが少ない人だったそうですが、それゆえに周囲の人が心に秘めている想いには敏感だったと思います。外に見せている顔じゃなく、心を見抜いていたのでしょう。

チャートルーラー冥王星もまだ発見されていませんが、4ハウス魚座26度にあり、サビアンシンボルは「収穫の月 」(自然のサイクルの中で地に足をつけて生きる)
これもピッタリなサビアンと感じます。蠍座と冥王星は「生と死」をテーマにします。『嵐が丘』でも生と死が繰り返し表れます。これにはエミリーの成育環境も影響しているようです。

冥王星は3ハウスの土星とコンジャンクション。木星、天王星、海王星とスクエアというなかなかハードです。
土星はパトリックを表しているようです。でも、厳格すぎる父ではなかったようです。パトリックは子供たちに、自由に書斎の蔵書を読むことを許していたようで、ブロンテ姉妹の文才は父親の影響が大きいようですね。

エミリーには、兄(ブランウェル)、姉(シャーロット)、妹(アン)の他にも姉妹がいたのですが、皆、早世でした。
長女マリアは11歳で次女エリザベスは10歳で、一番長生きしたシャーロットも38歳で亡くなっています。
エミリーは、兄の葬儀に出た折に引いた風邪をこじらせた結果、亡くなったりました。妹のアンも結核にかかり29歳で亡くなりました。
早世なのは、土地柄のせいもあったようです。水質汚染や衛生状態が悪い村だったそうで、平均寿命が二十五、六歳だったとか。

【8ハウス獅子座の太陽】
人生の目的を表す太陽は、8ハウス獅子座6度 。サビアンシンボルは「夜空に輝く星座」
この度数の人は、世間離れしているとか、アウトサイダーな性格が多いと言われます。夜空の星のように、永遠や恒久的なもの、変らない価値にあこがれ、実生活での努力を放棄することが多いそうです。

ブロンテ姉妹が遊んだ荒野

エミリーは、人の目を気にするタイプでなかったので、服装もあまり構わず、時間があれば自宅近くの荒野に出かけ、ひとりで過ごすことが多かったようです。自分の世界で遊ぶのが好きだったんだと思います。

姉のシャーロットによると、エミリーは「荒野に育てられた子」
エミリーは、実家を離れて教師をしていた時期もありますが、生涯のほとんどをハワース村で過ごしました。彼女の魂が荒野を必要としていたんでしょう。

荒野によって彼女は大いなる自然の力(死と再生)を体感し、大自然の中に神を見出していたかも知れません。
たぶんその神は、父に教えられたキリスト教の神とは違う。原始の神。
自分の中にいるサムシンググレート。
『嵐が丘』にはキリスト教の神との葛藤が垣間見える気がします。

【蟹座の月】
太陽は、2ハウス山羊座木星とクインカンクス。8ハウス蟹座月とはセミセキスタイル、月は木星とオポジション。これはイライラアスペクトです。
蟹座の月は、家族や仲間以外には警戒心があったでしょう。月と土星がトラインで慎重さが見えます。
エミリーは、家族以外の他人と滅多に口をきかなかったそうで、世間と関わろうとしなかったのはコレでしょうね。山羊座木星は社会を表しています。

また蟹座の月は、母を表しているでしょう。
月は、兄弟を示す火星金星とはセミキスタイル、土星(パトリック)とはトラインです。
産みの母マリアが、エミリーが3歳の時に亡くなってしまったあと、残された兄弟の世話をしたのは、母の姉エリザベス・ブランウェルでした。
子どもたちは「ブランウェルおばさん」と呼んで慕っていました。とくに兄のブランウェルはおばさんを母のように思い、おばさんが亡くなったとき(1842年)は相当に落ち込んだと言われています。
エミリーは、姉シャーロットとともにベルギーのブリュッセルにある女子アカデミーに留学(エミリーはピアノ教師になるべくレッスンを受けていた)していましたが、おばさんの訃報を聞きハワーズに戻りました。
その後、エミリーはブリュッセルに行くことはありませんでした。

【乙女座火星金星コンジャンクション】
9ハウス乙女座で火星と金星がコンジャンクションしていて、3ハウス魚座土星とオポジションです。
火星金星の合は惚れやすかったり、現代なら性にオープンという出方になると思いますが、土星がオポジションで自分を律する部分が強かったのかもしれません。
また、火星金星のコンジャンクションは、兄弟の仲の良さを表している気がします。

冥王星が発見されていなかった時代は、火星は牡羊座と蠍座のルーラーでした。蠍のアセンダントとは、クインタイル。MCとはコンジャンクションです。

MCのサビアンシンボルは「車の一行が(米国の)西海岸を目指している」(協調性を持って仲間と目標を目指すこと。)
このMCから思うのも兄妹の関係です。子どもの頃、4人はとても仲が良かったです。
兄ブランウェルは、妹たちの小説にアドバイスするなど文学的才能がありましたが、大失恋がきっかけで肖像画の自分を塗りつぶしてしまうぐらい自信喪失し、最後はアルコール中毒になってしまいました。

『嵐が丘』のモデルは、ブランウェルではないかと言われています。またエミリーとブランウェルは近親相姦を疑われるほど仲が良かったそうです。
他人に心を閉ざしがちなエミリーだからこそ、ブランウェルの孤独を理解していたのだろうと思います。

ブランウェルが描いたエミリーの肖像画

【獅子座の水星】
水星は、9ハウス獅子座20度。
サビアンシンボルは「中毒したニワトリ 」(集中力を発揮して限界を突破する)
水星は1ハウス射手座の天王星、海王星とトライン。2ハウス木星とはセスキコードレート。

エミリーが『嵐が丘』を書き始めたのが1846年。28歳ごろ。
それまでは詩を書いていましたが、姉シャーロットに勧められて、エミリーは小説を書くことをしぶしぶ承諾しました。父パトリックの目の手術や、学校の開設などで、お金が必要だったからです。
(パトリックが目の手術をしているときに、海王星が発見されました)
発表した小説は『嵐が丘』だけだったようです。30歳で亡くなってますから未完成、未発表の作品はあったかもしません。

ちなみに「ブロンテ」とは雷のことらしいです。雷といえば天王星ですね。
『嵐が丘』が出版された頃、多くの人が暴力的描写にの激しさに、作者は男性だろうと思ったそうです。
(私のトラウマになった)ヒースクリフは復讐に燃える人物として描かれており、モデルになった人物がいたか(ブランウェルだったのか)はわからないですが、牧師の娘として厳しく育てられたエミリーにもそういう粗暴な本能的な部分があったんじゃないかなと思います。
いや、誰にでもあるはずなんですよ。それがどれぐらい表に出るかの違いでしょう。
作家は、そういったダークな部分も作品に昇華することができます。

【牡牛座北ノード】
北ノードは、牡牛座3度。サビアンシンボル(ノードの場合は、その度数のサビアンを採用します)は「クローバーが咲いている芝地に足を踏み入れる」。
このサビアンには、地に足をつけるという意味がありますが、生まれた時から同じ場所に根を張って生きるという意味もあります。
エミリーにとっては、その場所はもの心ついた時から住んでいるハワーズ村の荒野。エミリーの誕生日の8月になると、荒野にはヒース(ヘザー、またはエリカとも呼ばれる)が花盛りです。

北ノードはMCとセスキコードレート。これは、エミリーが、魂の目的(ノード)とMC(人生の目的)を実現するためには、困難がつきまとうことを意味していたように思います。

1848年12月19日、兄の死から3ヵ月後にエミリーも病死します。
トランシット土星が、ネイタル土星にコンジャンクションしていました。
兄の葬儀のあと風邪をこじらせ、結核を患ったそうなのですが、治療をかたくなに拒んだため病状が悪化したそうです。
なんとなく・・・ですが、仲が良かった兄を可哀想に思って、後を追ったのかなと思いました。ブラザーコンプレックスがあったと思います。
そして最愛の妹アンも二人の後を追うように亡くなりました。

【ディセンダント牡牛座24度】
『ブロンテ姉妹』という映画では、イザベル・アジャーニがエミリーを演じました。

イザベル・アジャーニは古いヨーロッパの雰囲気が似合う女優さんですね。
『アデルの恋の物語』(1975年)は、彼女が19歳の時でまっこと美しかったです。そして、昨年、星読みした王妃マルゴを演じたのもイザベル・アジャーニでした。

死後の印象は、牡牛座24度。サビアンシンボルは「広い公共の公園」。
博愛の人。自分の才能を社会に還元する。

エミリー・ブロンテのホロスコープは、エミリーの感受点と私の星のコンジャンクションがいくつかあります。(たとえば、エミリーのディセンダントは私の月の度数など)
だから、『嵐が丘』しか残さなかったエミリー・ブロンテに、子どもの頃からピンと来るものがあったのかもしれません。

今から想うと、『嵐が丘』のテーマは、肉体の結びつきよりも精神的な魂の統合(今で言うツインソウル)の激しい愛憎の物語だったと思います。
ツインソウルと出会ったら超ラブラブなんて思っているなら、それはだいぶ勘違いしていると思います。

ヒースクリフは発狂して亡くなったように書かれていたと記憶していますが、(何しろ読んだのは中学生のときだったので、怖い人という印象しかなかったが)彼は愛する人と魂で結ばれとても至福であったろうと今になればわかります。

私はン十年経ってもヒースクリフを思い出します。ほとんどトラウマです(苦笑)
ヒースクリフを何度、短歌に詠んだことか。

待ちぶせのヒースクリフに遭うような予感に歩む風強き夕/佐山みはる(自作)
葉裏見せ逆立つ草のただなかにヒースクリフのおもかげは見ゆ/佐山みはる(自作)

でも、ヒースクリフの愛し方を恐れながらも忘れられないのは、私の中にもあんな激しさがあるからじゃないかなと思っています。

現在のハワーズ村

『嵐が丘』は、現代ならストーカーのようなヒースクリフの過激な愛と憎しみを通して、作者が自分の心の闇を浄化し、至高の愛を表現しようとしていたように思います。

わたくしの闇を抱き参らせ給わんと独り祈りしか荒野に乙女は/佐山みはる(自作)

最後までお読みくださりありがとうございました。

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