言葉の重さ
世界には言葉が、いや文字が溢れている。
通信の発達によって、近年は画像や動画による発信が増えてはいるけれど、インターネットというのは文字による伝達が基本であったし、現在であってもその根幹はあまり変化していないと思う。
そして、文字というのはもっとも気軽に、そしてフラットに意見を述べられる道具だ。Twitterの広まりはそれに拍車を掛けたように見える。
気軽に述べられるが故に分別の無い物言いをされる方が少なくないのも確かだ。不用意な言葉は、発言者の想定を遙かに超えて多くの人を傷つける。
逆に、何気ない一言が、迷い悩む人の心を救うこともある。自分自身救われていることは多い。
あるいは、自分の発言ではない、他者の言葉を引用や転載、ReTweetなどで広めることもあるだろう。無自覚な人も多いだろうけれど、貴方が選んで周囲に伝えた言葉は、貴方自身の言葉に近しいものとして受け取られることも少なくはない。
自分が考えているほど他人は自分のことを気にしていないが、自分が思っているよりは所作を見られている。
言葉の重さは発言者自身ではなく、読者によって決められる方が多いだろう。だからこそ、自身の発した言葉、自身が周囲に広めた言葉、それらがどういう重さを持ちうるのか、少しだけ気にしながら今日も文を綴る。
臆さず気軽に、しかし確たる重さを感じて。
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