伝えたい言葉、伝わらない表現

最近、「3つの密」という言葉がよく使われるようになってきた。

現在全世界を不安と混乱に陥らせている新型感染症ウィルス「COVID-19」の感染速度を少しでも抑え込むために、多数の人が集まる「密集」、換気の悪い空間である「密閉」、人同士の距離が近い「密接」の3つの条件が重なるような行動を避けて日常生活をしよう、という呼び掛けに対する、一種のスローガンのようなものだ。

3つの単語に共通する文字を取り上げ、"みっつ"と"みつ"で語呂が良く、上手く言ったモノだなと最初は感じた。しかし、情報を伝えるという点では、少々拙い部分もあるのではないかと、今は思っている。何故か。

情報というのは不確かさを減らすもの[野村由司彦:図解 情報理論入門,コロナ社(1998)]である。といってここで情報工学の話をするわけではない。情報には量と質があり、その乗算によって価値が決まるという話も脇に置いておく。

先に述べた話題で、伝えたい内容というのは
・多数の人が集まること
・換気の悪い場所
・他者との近接状態
・上記3つの状態が重なる場面はよくない
・よくない状態を避ける
箇条書きにしたら上記5つのようになるだろう。区切り方には色々有るだろうが、次の説明のために私はとりあえずこのように分解した。項目を5つにしたので情報量を"5"としよう。

これを、「3つの密(を避ける)」と短縮(圧縮)した表現にしたらどうなるのか。前提となる内容を知らずにこの言葉だけを見た場合、
・"密"というものがある
・密は3つある
・それは避けないといけない
一度に伝わる情報がここまで減ってしまう。先の区分に従えば情報量は"3"になってしまった。しかも本来伝えなければならない具体的な行動に関する内容が全て抜け落ち、情報の質も低下している。これでは、何も伝わらない。

これを例えば、「避けよう集・閉・接」と別の言語圧縮をしてみる。
・集まること
・閉じていること
・接していること
・避ける
情報量は"4"(3つあること認識出来るので4.5としてもいいか)だが、具体的な行動に関する要素は残っている。程度を表す密という修飾が欠落はしているが、情報の質の低下は少ないと判断していいだろう。

これはあくまで一例だが、ニュースの見出しやTwitterの発言という厳しい字数制限がある中で何かを伝えようとしたとき、私達は無意識に「上手い表現」というものを書きたくなり、また読みたがる。

しかし、こと事実関係の報道や説明において、重要なことは、伝えるべき事実を漏らさず伝えることにある。そこは決して"文学"をする場ではないはずだ。

私達はおそらく、自分たちが思っているほど、書かれていることをちゃんと読めていない。伝わらないことはしばしば書き手の技量の問題のように片付けてしまいがちなのだけれど。その一方で正確に読む努力を忘れてはいないだろうか。

わかりやすい表現、丁寧な説明をしてくれる専門家。他人の手で綺麗に整えられた環境の中で、私達は知らず知らず読み書きの能力を減じていたりはしないのだろうか。柔らかい食品に慣れて噛む力が衰えた"現代人"の病理のように。

「読み書き算盤」という標語がかつてあった。書かれていることを正しく読み、間違わないように書き、数値を適切に判断し計算する。現代にあっても、否、不安と混乱渦巻く現在であればこそ、こうした基礎学問を大事にしなければならない。

義務教育レベルの話なら当然出来ているよと嗤う前に、果たして本当にちゃんと出来ているのだろうか、我が身を省みる。

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