四半世紀の決着。シン・エヴァ雑感

そんなわけで『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を昨日観てきました。TVシリーズ放映当時中学生だった僕も来年には不惑です。マジデー?

摂取直後の熱量的なモノは昨晩グラブル騎空団の面子と通話しながらある程度発散してしまったので、ここでは突き合わせる必要の無い雑感をぼつぼつと。元々自発的に考察とかするタイプでもないので。

TVシリーズ序盤のほぼリメイクのような体裁をした『序』、中盤を踏襲しつつも少しずつルートがズレていく『破』、全く予想外の展開を叩き付けてきた、急であり終局に向けての出題編とも言うべき『Q』。

そして全てに決着を付けるべく届けられた『シン』。TVシリーズ最終回や旧劇場版のような、確かに終わりにはなったけれど…みたいな感想になる事を警戒しながら劇場へ足を運んだわけですが、思っていた以上にスッキリと「ああ、終わったんだなぁ」と感じながら帰ってきました。

約6年前(!?)に最終巻が出た漫画版(貞本エヴァ)のラストも踏まえておくとよりいい味になるんじゃないかと思います。

Qで登場の無かったトウジ、ケンスケ、ヒカリを中心とした第3村パートは、旧作当時から追ってきた人間には、各々の人生ステージによって色々な味わいがあるように思います。
シンジほど過去に囚われてはいないつもりだけれども、トウジのように家庭を持っているわけでもない、ケンスケのような立ち位置が自分の今とシンクロしているようないないようなという個人の感想。僕に必要なのはアスカだったのか?

終盤の南極爆心地での対艦戦、エヴァシリーズの群れとの戦闘は『トップをねらえ』の決戦のような趣を感じました。クライマックスの超絶規模な派手派手バトルはとてもよい。こまけぇこたいいんだよ。

まるで特撮セットのような体で行われる初号機と13号機の親子の戦いという対話こそが、物語を終わらせるために本当に必要な最後のピースだったのかなぁと。話の軸それ自体は旧作とほぼ同じながら、テクスチャの貼り方がよかったんじゃないかなと。

最後の最後に本編では全く触れられることの無かったシリーズ英訳タイトルの一部、ネオンジェネシス(新世紀)が突然出てきた時は思わず笑ってしまった。そういうセンス大好き。

全てのエヴァンゲリオンが消失した、しかし巻き戻しでもやり直しでもない続きの世界。つらいことも、よかったことも、起き(てしまっ)たことは無かったことにはならないし、生きている限り明日は続いて行くわけです。

25年経って、当時組んだプラモも、旧劇場版を観るために足を運んだ劇場も無くなって久しく。変わり続ける時間の中で、さて一体僕はどこまで「大人」になれたのか。

さようならエヴァンゲリオン。ありがとう。

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