被りを恐れない

世の中には言葉が溢れている。

図書館や書店は言うに及ばず、インターネットも含めて日々世界の至る所で様々な言葉が紡ぎ出されている。それに触れることも比較的容易だ。

それらは無から生み出されているわけではなく、書き手がそれまでに読み解いた文書であったり、他者との会話であったり、種々の経験によって成り立っている。

あるいは、どこで触れたのか出典すら 記憶していないものが、何らかのきっかけでふと思い浮かぶこともあるだろう。探せば辿れるのかも知れないが、それは小説の1フレーズだったのか、映画の1シーンだったのか、克明に思い出せることは存外少ないのではないか。

必然、自分の語っていることは別の誰かの粗悪なコピーなのではないか、そこに書く意味はあるのか、思い悩む壁を見ることになる。酷いときには第三者から剽窃・パクリではないかと指弾を受けることすらもあるだろう。

自分の中から生まれたと信じる言葉であっても、あるいは数千年の昔に別の誰かが語った内容とほぼ同じであったりすることもある。自分自身が直接触れていなかったとしても、だ。

それでも、安易なコピー・アンド・ペーストではなく、自らペンを執り、キーボードを叩き、あるいはフリック入力で、一語一語を積み上げている限り、その果てに書き上げられたものは間違いなく自分の言葉なのだと。

結果として同じ場所に辿り着いたとしても、それは決して再発明や再発見ではないのだと。ただただ信じて。

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