物理現象は忖度をしない
物理現象、つまり今現実に起きていること。
起きている現象を観測し、計測し、数式化・理論化したものを我々は科学と呼んでいる。科学とは、現象を理解するための道具である。
理論とは、現象を解析した結果もっともその振る舞いに近い挙動を再現出来ると合意を得た方法である。数式は記述のための言語である。観測された材料を元に推論して理論は構築される。
しかし留意しなければならない。完全で漏れの無い観測は不可能であることを。観測者の介入、計測機器の干渉によって結果が変わる場合があるというミクロの話だけではない。計測できるのは、計測をしようとした対象だけであることを。観測をしていない、あるいは現時点の技術水準で観測不可能な因子が現象を支配する要因であった場合、その事象は"原因不明"と呼ぶほか無い。
そうして人類が原因を解明することが出来なかったとしても、ただただ自然の物理法則に従って、人間の意図とは関係なく、現象は推移していく。思想信条の上では受け容れられないと言ったところで、現に発生している事態が変化することはない。
人には発生した現象に対して何らかの意味を求め、定めようとする文化的な傾向がある。単純な偶然による個別の事象を結びつけ、そこには何らかの意味が、意図がある筈なのだと。人間の行動を判じるのであれば、そうした思考様式は一定の正しさを持つだろう。
だがしかし、物理現象には誰の意図も介在することは出来ない。政治も、思想も、自然現象の前に於いては等しく意味を持たない。物理法則に介入出来るのは、同じく物理法則に則った方法のみである。
"起きている現象の理解・解説"は間違うこともあるだろう。だが、"起きている現象"そのものは変わらないのだ。
物理現象は、忖度をしない。ただ、在るだけ。
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