いつも不満が零れる人

Webを見ていると、いつも何かに対して不満を書いている人を見掛けたりする。不満を持つという事それ自体は、何かしらの目標に対して現状に不足があることを自覚し、次へ向かう力にもなるわけで、そこまで悪いことではない。ただしかし、常に不満の声を上げているばかりというのは、何かしらよくない兆候ではないかと感じてしまうこともある。

1つには、理想とする器が大きすぎる場合。コップ1杯の水が提供される場に、一斗樽を持って待っているようなものである。大抵の場合、本人は自らの持つ容器の大きさには無自覚。与えられる量が皆と同じでも、全く器が満たされる様子にはならないので、もっと寄越せと言ってしまうことになる。自分は満たされていないのだからと当然の権利を主張しているつもりなのだが、それを繰り返し続けていれば、他人にはどうしようもない強欲であると見られてしまう。

1つには、器を自ら傾けてしまう場合。渡された水を、こんなものは私が欲しいものではないと傾けて溢してしまうのだ。とはいえ、提供されたモノを何でもかんでも無批判に受け容れてしまうのは具合が悪い。ワインを注文したのにノンアルコールのぶどうジュースが出てきたらそれは違うと言うのは当然だ。だが、注文通りにワインが出てきたにもかかわらず、味が、香りが好みではないので金を返せなどと宣うのは、傍目には難癖としか映らない。そんなことを繰り返すうちに、はね除けること自体が目的に成り代わり、中身を吟味することすらなくなってはしまわないだろうか。

知足安分とは、そうした過剰な欲望を制御せよという戒め。過ぎたるは猶及ばざるが如し。

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