見えないゴール、遠ざかるゴール

終わりのわからない状況に置かれるというのは心理的に大変つらいものです。つらいので、ひとまずこのあたりが区切りになると仮のゴールを置いて沈静化を図ったりします。

ただ気を付けないといけないのは、仮のゴールはあくまで仮のものでしかなく、辿り着くまでに最終到達地点の目算を立てる時間の猶予、モラトリアムでしかないということ。

ゴールを立てた人は、それが仮のものであることは自明と考えた上で色々の対策を打つのですが、指示を聞く側に意識共有がされていない場合、その仮のゴールを真の終わりだと誤って受け止め、到着したときに「終わりだと聞いていたのに話が違うじゃないか」となってしまいます。

ゴールが見えてきたと思っていたのにその先にまたコースが設置されている、あと一息とスパートを掛けたタイミングは、果てしないチェックポイントのひとつでしかなかったのだと。疲労感は増幅されるもの。

指示をする側は見通しを示せず、行動する側は疲弊するばかり。誰も間違った判断をしているわけではないのに、いや間違ってはいないからこそ、状況は重く、昏くなっていく。

そうして目の前の対処に追われて仮のゴールを設置することも出来なくなっていく。遠くに明かりのようなものが見えれば、その良し悪しを判じることもせず走り出してしまうかもしれません。

問題を解決する能力を持った専門家・専従者以上に、広範な視野を持ってただしい道筋を示すリーダーの資質を持った人こそが、今ほんとうに不足している人材なのかもしれません。

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