麻雀という遊戯の印象論

一人のゲーム好きおじさんから見える麻雀というゲームが内包する世界の話。研究者でも職業雀士でも無いし、きちんとした文献調査をしてるわけでも無いのであくまで印象。

あと、私は賭博アレルギー(自称)なので、その辺も念頭に置いて。

1:賭け麻雀

昭和から平成初期、概ね20世紀に形成されたイメージはこの辺りだと思います。点数を直接現金に換算してるやつですね。1000点あたり日本円何円みたいな換金率を"レート"と呼ぶらしい。知らんけど。

度が過ぎれば刑法賭博罪に当たるとの指摘もあり、たびたび警察の摘発があったりするとのこと。残念でもないし当然。

漫画や小説などで描かれることも比較的多いようで、その辺もイメージの固定化に繋がってるんじゃないかなと。

また、このスタイルこそが麻雀の本質であるという主張を時折見掛けますが、はっきり言ってギャンブル狂いの寝言だと思ってます(主語の大きい雑な暴言)。

2:競技麻雀

プロ雀士と呼ばれる方々はこちらになるんでしょうか。囲碁や将棋同様の頭脳スポーツとして麻雀を振興していくことが目的と考えられます。棋戦のような冠杯などが周知されれば、テーブルゲームとしての社会的立ち位置を確立出来そうな気もしますが。

不勉強なのでどういった団体があるのかまではしっかりと把握していないのですが、最近だとMリーグが大きな存在感を持っているように思います。

また、天鳳や雀魂などオンラインゲームの段位戦(ランクマッチ)もこちらの範疇になるでしょう。

3:健康麻雀

この表記自体は、麻雀というモノは元来不健康であるみたいなニュアンスを感じてあまり好きではないのですが。勝敗を重視せず楽しむことをそのように表現するのでしょうか。家族や友人と卓を囲むという程度のものでしょう。

"ノーレート"と呼ばれることもありますが、これもレート有り、つまりギャンブルであることが本式であるかのような意味合いを持つので個人的には嫌いな表現ですね。

私が大学生だった頃、所属研究室の片隅に何故か牌とマットがひっそりと受け継がれており、たまに同期とジャラジャラしていたこともありました。卒業後にゼミ内の大掃除で処分されてしまったらしいのですが(伝聞)。

番外1:創作物の能力麻雀

麻雀というテーブルゲームの本質からは離れますが。例としては「ムダヅモ無き改革(大和田秀樹)」や「咲-Saki-(小林立)」など、登場人物が特殊能力でもって荒唐無稽麻雀をやってるようなヤツです。

スポーツ漫画なんかでもよくあるので、プレイヤーを増やす入口としてこういう作品が一定数あるのはいいと思います。

こういう麻雀に近いモノをプレイヤーとしてやりたい場合には、東方幻想麻雀シリーズ(D.N.A.Softwares)という選択肢。PC同人版を購入してプレイしたことがあります。最近Nintendo Switch版が出てましたね。

番外2:アダルトゲーム

いわゆる脱衣麻雀というジャンルですね。イカサマアリアリだったり確率が滅茶苦茶だったりというタイトルもあるみたいですが、ゲーム業界で周期的に流行が発生するのではと思う程度の数があるような印象。最近はわかりません。

ゲームセンターで1クレジット即天和負けみたいなヤツには触れたことが無いんですが、世代問わずこっちサイドから麻雀という遊びに触れた男子も少なくないのでは(偏見。

今は亡きエルフが2000年頃に出してたヤツである程度打ち方を覚えたのが私です。

おわりに:テーブルゲームとしての麻雀

同一のゲームコンポーネントを使いながら、同一の盤面が発生することはほぼなく、かといって運任せだけで勝つことは難しい。一度覚えてしまえば長く遊べるという点は非常に良好。

ただ、将棋の駒落ちや囲碁の九路盤などのような初学者向けの縮小コンポーネントでの遊び方がほぼ無く、まともなゲームとして成立させるために覚えた方がよい内容が多いため、敷居が高い印象を持たれがちには思います。

難しいゲームというものは、教える側の力量(ゲーム自体の腕前と、人に指導するセンスの両方)が必要なので、先生や教材を適切に選べる環境が増えることが一番だと思います。

ルールと節度を守って楽しく麻雀。

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