想像力は経験の幅でしか働かない

ついに発動、悪い癖w
一旦始めても継続しないのが悪い癖なんですよね。

アウトプットを忘れてしまう。

衝動的に書きたくなったら更新します。申し訳ない。

真面目な話半分、面白い話半分でいこうかと思ってはいますがどうしても、
チラシの裏にでも書いておきたいと思うことは真面目なことで・・・。

こんな考えもあるんだ程度に読み流していただければと思います。

さて、本題


タイトルなんですが、これ、若かりし頃に国語の先生に言われたことです。
続くのは結局、本読め、に繋がるんですけどね。

例えば、

ひどく残忍な事件が起きました。

あまりの話題性にこぞってニュースが騒ぎます。

そんなニュースを見て
”なんてひどい、すぐにでも死刑を”
”死にたいなら一人で勝手に迷惑をかけずに死ねばいい”
と何も関係のない第三者が騒ぎ立てます。

この流れ、結構個人的にはうんざりでして。
何が足りないんだろう、と思ったら想像力なんですよね。

性善説を唱えるわけではありませんが、
必ず、こういう事件の裏に理由や背景は隠れている筈なんです。

あ、先に明言しておきますが


この件に関して
被害者の存在を軽視しているわけでもなく、
また、事件の残忍さ、冷酷さ自体に変わりは無いので楽観視とも違うとだけはご理解いただきたいと思います。

私がうんざりなのは
起こした事件ではなく、起こした人物にのみ焦点をあてて
片っ端から存在を否定する行為
なんです。

被害者を思えば、確かに赦せないでしょう
報いを受けるべきと憤りもしましょう。

その先を考えてみませんか?
加害者がそれに至った経緯と道筋については触れられないことの方が多いです。
そんな価値観を構築するに至った人生とは
どんなものでしょう?

決して、”実行した”という罪は消えるものでも、軽くなるものでもありません。
ただ、その人生に微塵にでも思いを馳せれば・・・
そのような残念な言動は出てこないと思うのです。

罪を憎んで、人を憎まず
そして、そうなるに至ったトリガーを減らすために
自分は何ができるだろうか?と
そう考えられやしないものかと。

例がつい感情的で長くなりましたが・・・

これ、推理小説の why done it?

の応用では?と思いついちゃったわけです。

ただそれだけなんです。

こういうことって割と多いと思うのです。

私もまだ視野の狭いことを痛感する毎日です。
こんな時だからこそ、いろんな価値観に触れたいものですね。

精神衛生上も、きっと良いはずなんで本読みましょう!
次から真面目に本紹介しますよ!

では、この辺で失礼します。

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