自己紹介② 〜生い立ち〜

閲覧頂きありがとうございます。
昨日に引き続き、自分に関する記事を投稿します。

私の生まれは、1学年がMAX5人しかいないような田舎の小さな村です。
そこで小学校を卒業するまで暮らしていました。今思えば井の中の蛙ですが、その中では学業と運動は出来る方でした。
そのせいで「出来る子」というレッテルを貼られ、周りとは上手くやっているように見せていても影では妬まれ、自分を制御して生きていました。

それは学校や地域だけではなく、家族の中でもそうでした。
家庭は裕福ではなかったので、常に我慢を強いられていました。
欲しいものを強請った記憶はほとんどありません。
服は遠方に住む異性の従兄弟から送られてくるものばかりで、スカートを履いたのは数えるくらいでした。

両親の離婚をきっかけに、中学からは比較的大きな街で暮らすようになりました。
色んな人に良い意味で揉まれて過ごす中で、少しずつ自分がしたいことをやれるようになりました。

ですが、私が中学2年か3年の頃に、母がうつ病になり、家に引きこもるようになりました。
原因は仕事によるストレスでしたが、責任感が強く、決して器用ではない母の性格も相まって、1人であれこれ頑張りすぎたせいで発症したのだと思います。

こうして私は、今で言う「ヤングケアラー」になりました。
学校では何もない普通の生徒を演じ、自宅では親に迷惑をかけないよう「いい子」を演じていました。
幸いにも母は家事はある程度やってくれたので、食事や生活に困ることはありませんでした。
しかし、こちらが話しかけても反応が薄かったり、突然夜中にキッチンに立ってラーメンをに始めたかと思ったら泣き出したり、困惑することも多々ありました。

一番辛かったのは、家族以外から「自殺を考えて首を吊ろうとしたり、目が覚めたらカミソリを握りしめて手首から血が出ていたことがあったらしい」と後々になってから知らされたことです。
最も近くにいるはずの家族の一員である自分が、母の苦しみや異変に気づいていなかった事がショックでした。
当時まだ学生とはいえ、辛いことを自分たちに話してくれなかったことに寂しさを感じました。

そんな家庭環境で育ったためか、自分の感情や願望を表出しないことが当たり前になっていました。
全ては家族のため、母のため、周りの期待のため。
「自分のため」という選択肢は、自分の中にはありませんでした。


***


10代はこんな感じです。
長くなりそうなので、この先はまたの機会に話そうと思います。

書いていて、「そう言えば、自分はこんな人生を歩んでいたんだなぁ。振り返れば中々辛かったなぁ。」と胸が苦しくなりました。

昨日が夜勤明けで、その後が2連休。
今日は元々予定していて成分献血をしてきました。今夜この後は、昨日夜勤明けで都内を巡ってようやくゲットしたライブDVDを見ます。

明日は美容院でカットして、元気だったらまつパも行こうかな。
折角の連休だから、有意義に、穏やかに過ごせたらいいな。

連休中の方、お仕事中の方、勉強を頑張っている方、色んな人がいると思いますが、どうか皆さんの心に小さな光が灯りますように。

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