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田中章太〜壮絶な人生編〜

ようこそ!田中章太の歴史館へ!
ここでは私が経験してきた貴重な体験が記されている。ぜひ最後まで読んで、私のことを知って欲しい。

最後まで読んだあなたはきっと、私の虜になっているはずだ!


【中学編】

【ヤンキー集団『バスケ部』をまとめ上げた伝説のキャプテン】


「このチームは大会で1勝も出来ない」

先輩達が引退し、自分達中心のチームになった初日に顧問に言われた。この時のキャプテンは私。

当時のチームは崩壊状態。というのも、チーム内のほとんどは学校1のヤンキー集団。自我が強く、チーム力は0に等しかった。外練習が嫌いで練習に来ない人。練習に来ても、ちゃんと練習しない人。個性では日本1のバスケ部だったかも(笑)でも顧問に言われたことが忘れられない。

「悔しい。絶対に見返してやる!」

自分たちが大会で勝利するために必要なこと。

① 個人の能力UP
② チーム力のUP

しかしこのチームのもう2つの課題。

③ ヤンキーのやる気を出させること
④ ヤンキー集団をまとめること

この4つを解決させるために考えたことはまず『キャプテンの背中を見せる』ということだった。中学の部活動で『上手い人』ってかっこいいじゃないですか?(笑)それをヤンキーに見せることで、やる気を出させるという作戦。

実際に私が背中で圧倒的な差を見せるために行ったことは…

① 雨上がりの外練習(校内ランニング20週+筋トレ)+メンバー全員が帰った後に校内ランニング40週+筋トレメニュー2セット

② 部活終わりに家の前の20メートル程ある道でドリブルダッシュ50往復

③ 毎晩食後に30分〜1時間ランニング

『圧倒的な練習量』により他の人との差が出始めると同時に、ヤンキー達のやる気も向上!(思惑通り!)毎日練習に来るだけでなく、上手くなろうと真面目に練習に取り組むようになった!そのおかげで『個人の能力UP』と『ヤンキーのやる気UP』は着々と進んだ。

そして『チーム力UP』のために考えた新たな施策が『副キャプテン制度の廃止』。部活動ではキャプテンと副キャプテンがいるのが当たり前。当然、バスケ部でも伝統的に『副キャプテン制度』があった。しかし、その制度の廃止を顧問に相談。理由は簡単。

『私がいない時はチーム全体で練習メニューを考え
                  構成するために話し合える』

チーム力UPのためには『全員での話し合い』が1番重要。戦術どうこうはその次の話。そう思ったからこそ『副キャプテン制度の廃止』を考えた。私は当時、学生会に参加していたため、部活を抜けて会議に出席することが多々あった。

最初は意見が噛み合わずヤンキー同士の喧嘩もあったが、それは予想通り。その度に私を含めてのミーティングを行った。数ヶ月たったころには、ヤンキー集団が一致団結し始め、彼らを『まとめる』ことも無事終了。

『自分の背中を見せること』
『副キャプテン制度の廃止』

この2つを行った結果『個人の能力』と『チーム力』が飛躍的にUPし、その後の地元の大会では準優勝まで上り詰めた。(1位とは激戦の末、敗北。悔しい!!)

卒業式の時にバスケ部で集まって、みんなで泣いたことも良い思い出(笑)


【高校編】

【無謀だと言われた大学受験】

『30』

この数字なんだかわかりますか?

答えは『高2の時の英語の偏差値』(点数は200点満点中20点)
英語なんて大の苦手科目。高2の時は中学の内容を理解できない始末。
(英語なんて勉強する必要ないって思ってたタイプ(笑))

とは言っても大学受験で英語はほぼ必須科目。当時は理系で数学や化学を勉強している方が気が楽だったので「英語の勉強なんかしたくない」が本音。

イヤイヤ始まった英語の受験勉強。高校の範囲が理解できるはずもなく、高2の夏休みには中学1年生の教科書や問題集と睨めっこ。1問1問、自分が納得いくまで問題を解き、解説を読んだ。そういう毎日を過ごしている時に思ったこと。

『英語の構造って日本語と違って面白い』

そう思い始めると、自然ともっと学びたいと思い始め、自分から進んで英語の勉強をするように!そして高2の終わりに決めたこと。

「英語が学べる大学に進学する」

自分で決断し、頑張ろうと思えたからこそ、すごく気持ちがよかった。しかし、周りは正反対。親、友人、学校の先生の反応は「無理、やめとけ」の一択。

「悔しい。心の底からやりたいと思っていることを見つけ、頑張ろうとしているのに、、、絶対に見返してやる」

これが正直に思った感情。毎日どれだけ勉強しても「無理だからやめとけ」「時間の無駄」「諦めて別の勉強をしたら?」と言われ続け、勉強中に涙でノートを濡らすことも多々あった。

「何をやれば認めてもらえるのか?」

そう考え始め、結局出た答えは『成長を目に見える形にする』。つまり『英語の成績を数字で見せつけること』で納得させるしかない。そう思った若き少年は、まず学校の定期テストで1位を目指す。誰もしない量の勉強をし、絶対に成績を出す。

・英語長文1つにつき200回音読
・英文法は問題集50周
・例文は日本語を見た瞬間に英文が書けるようになるまで練習
 (1つの例文につき50〜100回書き出し練習)

そして定期テストの結果は『学年トップ』。先生の目の色が変わった瞬間。しかし、これだけでは満足したくない。もっと成績を出し、成長した姿を見せつけてやる。次に目指したのは『模試の偏差値』。少し勉強しても、簡単に成績が上がるものではない。それでも、めげずに勉強を続けた結果『30台』だった偏差値が『60台』まで成長。

そしてそのまま、第一志望の大学に合格。誰もが信じていなかった結果を自分自身で生み出した。あの達成感は今でも忘れられない経験。

合格発表の当日、誰も結果を知らないはずなのに、学校帰りの私を玄関で『満面の笑顔で待ち構える母の顔』も忘れられない思い出(笑)


【「唇の下半分の神経が無くなる覚悟を」初めて絶望した高3の夏】


「唇の下半分の神経が無くなる覚悟を」

歯科医からそう告げられ、絶望と言う沼に引き込まれた高校3年生。

きっかけは『親知らず』だった。大人の階段を登ってる!と思って、訪れたかかりつけの歯科医。レントゲン結果、横向きに生えており、ここでは処置しにくいから駅前の大きな病院に行ってと言われ、大病院へ。

「親知らずは横向いて生えてるね〜。でもちょっと待って。顎の骨の中に何かあるよ?念のためCTで詳しく検査してみよう」

正直、当時の自分は「早く帰りたいな〜」という気持ちが強く「早く終わってくれー」と心の中で叫んでいた。しかし、CT後に先生から告げられたことに絶望した。

「唇の下半分の神経が無くなる覚悟を」
「顎の骨の中に異常がある。実際に開けて見てみないと状況がわからない」
「全身麻酔の手術が必要」
「放っておいて、痛みが出た場合は即入院・即手術・唇の下半分の神経麻痺」

5分前までの心の余裕はなくなり、一瞬で絶望の沼に溺れそうになった。

『私の人生、どうなるんだ?』

病院からの帰り道、涙が止まらなかった。
高校3年生の夏休み。4時間に及ぶ手術の結果

『唇の下右半分の麻痺』

心のどこかで「大丈夫!」そう思っていたからこそ、現実が受け止められず入院中に夜な夜な泣き続けた。

『硬い肉だと思って噛み続けていたのは自分の唇』
『口内炎だと気がつかず、噛み続けどんどん大きくなる口内炎』
『口から水が垂れても、気付くのは首元まで水が垂れてから』

昨日まで当たり前にできていたことが当たり前にできなくなった。そんな日々に絶望し続けた入院生活。自分が嫌になり、家族にも友人にも会うのが嫌になった。

しかし、そんな自分を絶望の沼から引きずり出した恩師。当時通っていた塾の英語・国語の先生。入院生活が終え、久々に会った自分を暖かく迎え入れてくれた。そして、自分の唇に絶望していることを話した時に言われた忘れられない言葉。

「アホ!なに落ち込んでんねん!その唇、お前以外の誰も持ってへんねんぞ!新たな『個性』やん!俺も欲しいはその唇」

この言葉を聞いた時、心が暖かくなると同時に、自分が自分の『個性』を認めてあげられずにいたことがどれだけバカだったかにも気づき、これまでとは違う涙が流れたことを今でも覚えている。

『個性』はその人特有の性質。良いも悪いも存在しない。なのに自分はその個性を悪いものとして考え、変えられないものに執着し、絶望していた。本当にバカだった。

恩師からの話を受けたその日から、私の顔には笑顔が戻った。
そして『自分の唇』が教えてくれたことはこれだけではない。

当時、私の高校には個性が強すぎるあまり周りからイジメられていた子、はみごにされていた子が数人いた。私も手術前まではその子達のことを全く気にしていなかった。ただ『自分の個性』を自分自身で認め始めてから、他人の個性に目が行くようになり、その人の変わった個性を知りたいと思うようになった。自分から積極的に話かけるようになり、相手の個性を受け入れ、親交が深まり、自然と他の友人に紹介するように。最終的にはクラスの人気者になる人もいた。人気者になって、調子にのり、嫌われていた人もいますが(笑)

『私の唇』が教えてくれたことは、今でも人生の中で非常に役に立つものになっている。どんな相手でもその人の個性や性格を受け入れることができるという部分は人間関係を築いていく上で非常に重要なもの。

そして【どんな相手も受け入れることができる】という能力が塾のアルバイトで衝撃的な成績を残す1要因になるなんてことは、高3の自分には知るよしもなかった。


【大学〜大学院編】

【20時間働いて、日給5000円の塾講師アルバイト〜7年間続けた理由とは〜】

『250円』

これは繁忙期の時(1月〜3月)の時給計算の数字。当時の1日のタイムスケジュールはこんな感じ。

9時:起床
9時〜10時:朝食+本日の授業準備
10時〜12時:本日の授業準備
12時〜13時:昼食
13時〜18時:赤本(過去問)の採点+指導法模索
18時〜22時:授業+学生一人一人と面談(赤本の分析、今後の勉強法指導)
22時〜24時:生徒からの質問受付+生徒の成績管理(データ入力)
0時〜6時:赤本(過去問)の採点+指導法模索
6時〜9時:就寝

これは社員や社長から「やれ」と言われたからやっていたわけではない。自分の意思でやったこと。ではなぜ、こんなに頑張れたのか?そこには今まで誰にも明かされていない衝撃の事実が存在する。

大学入学と同時に、アルバイトで始めた塾講師。最初は授業のやり方もわからず、アルバイトの先輩や社員さんの授業に同席し、授業の進め方を学ぶ毎日。そんな生活を3ヶ月続けていて気が付いた『違和感』

・授業の準備を一切しない先生
・生徒が質問に来ても、適当に対応する先生
・受験の失敗は生徒が原因、成功は先生のおかげ
・授業以外はずっとスマホゲームをしている先生
・生徒の成績管理などの事務作業をアルバイト生にやらせ、漫画を読む先生

当時の塾の実態はこんな感じ。これらが原因ですぐにやめていくアルバイト生も多々いた。そして、この塾最大の問題点がもう1つ。

・成績上位者には手厚く接し、それ以外の人は適当に扱う

この風土が原因で『先生のことが嫌いな生徒』『先生のことを信頼していない生徒』『成績が伸びず、志望校を受けられない生徒』が多くいた。

この状況にいてもたってもいられなくなり、私が考えたことは『生徒から頼りにされ、成績を伸ばしてくれる先生』になるというもの。

具体的に行ったことは…

① 生徒一人一人の個性/性格に合った教育を行う
② 生徒一人一人の分析(どのレベルか、英語の分野における得意不得意の分析、学業の関係ない部分での問題点の確認、生活習慣の確認)
③ 生徒一人一人の面談(悩み相談、英語の質問相談なんでもあり)
④ 毎月10〜20冊の問題集を購入し、全問題確認(問題レベルの把握、大学の難易度の把握)
⑤ 生徒の志望大学の過去問10年分確認

教師にとって知識を持つことは当たり前の話。しかし、教師としての知識がまだまだ浅かった私は『量』で圧倒することしかできないと思い、④⑤を徹底的に行った。『教える』ということに関しては『生徒1人1人と向き合うしかない』と考え、授業前後、授業中、全てを通して『生徒を徹底的に知る』ことを行った。

この項目を意識/行動し続け2年後に出た結果。

①人気講師 No.1
②相談したい講師 No.1
③志望大学合格率98%
④英語の成績を伸ばす確率100%

「なんで、先生は私達のために、私たち以上に頑張れるん?」「先生の頑張ってる姿見たら、うちらももっと頑張らなって思える」そう言い成績をどんどん伸ばした学生たち。「あの時、先生に相談してなかったら、高校やめてたと思う。志望校に受からせてくれてありがとう」そう言い残し、巣立って行ったヤンキー学生。どんな生徒からも「1番頼りにされ、感謝される先生」になれた。

この時の社員の反応は『私への嫉妬』。中には『私に対する根も葉もない悪口や噂を生徒に流す』先生もいた。この時の正直な思い。

「この塾は腐りきっている」

当時の自分の状況や実績、塾の状況を大学の友人に話すと全員から言われたことが「早く塾をやめろ」。ただ、自分が担当している生徒は絶対に救いたい。自分が塾を辞めるときには、自分の担当していた学生全員を送り出して辞めたい。そこまでは自分のケジメとして辞められない。だからこそ、自分が辞めるまでの7年間は全力で走り続け、生徒が望む方向へ進ませるための手助けを行い続けてきた。

『時給計算250円』

ここに一切の不満なし。自分の努力の結果、目の前にいる生徒が成長し、元気よく巣立って行ってくれること以上に嬉しいことはない。今でも生徒の顔が忘れられず、この記事を描きながら、涙を流している人は私です(笑)


【呼吸困難+手の震えで研究続行不可能】

2019年8月 研究室での体験。

「あれ?今、息していない…」
「え?なに?この手の震え」

大学院に入ってから4年間、毎日研究書とにらめっこ。時間があれば、頭の中は研究だらけ。担当教授(現・学長先生)からは「将来はぜひ、研究者として最前線を走ってほしい」と言われ続け、研究者でも簡単ではないと言われている学会で発表をしてきた。

側から見れば、大学院生としては順風満帆な日々を送っていた。そんな中、ある日の研究室において、急な『呼吸困難と手の震え』それに加えて『倒れそうになるほどの動悸』に襲われた。この現象は研究している時に毎回起きる。英文も急に読めなくなり"This is a pen."が理解できない。翌日、翌々日になっても症状は治らない。逆にどんどんひどくなる一方。

ネットで心理カウンセリングを受け、診断結果は『重度の鬱』。ネットやテレビでよく聞く『うつ』という言葉。まさか自分に告げられることがくるとは思ってもいなかった。認めたくない自分。病院に行きたくないという意地。しかし、考えれば考えるほど、負のスパイラルに落ち込む。

「自分はダメな人間」
「もう研究はしない方がいいのか?」
「自分は研究に向いていないのかも?」
「もう大学院を辞めようか」

朝起きてから寝るまで、何もやる気が出ない。やらないといけないことがあっても進まない。そして院生になって初めて1週間休暇を取った。この期間は研究を一切しない。睡眠時間を多くとり、ゆっくり休む。その代わり、起きている時間は『自分との対話』。これがめちゃめちゃ辛かった、、、考えていることは全て紙に書き出した。そして気が付いた『人生を生き抜くための方程式』

『なぜ×5=本質』

①「なぜ大学院を辞めようと思っているのか?」
→今がしんどい、辛い、逃げ出したい

②「なぜ今がしんどく、辛く、逃げ出したいのか?」
→周りからのプレッシャー?

③「なぜ周りからのプレッシャーに負けそうになるのか?」
→自分の周りには優秀な先輩や教授が多くいる。その人達と比べて自分は劣っている。

④「なぜ劣っているのか?」
→研究の場で考えが思いつく数が少ないから

⑤「なぜ数が少ないのか?」
→「自分自身の知識の数が少ないから」

このように『なぜ』を自分に問いかけ続けると、5回目までに必ずと言っていいほど『自分に問題がある』ことに気がつく。そして、その問題は問題点の根源/本質である。人生2回目のどん底を味わったからこそ見つけた『なぜ×5=本質』という方程式。

うつの経験以来、何か困ったことがあれば自分自身に「なぜ」を問い続け、自分の課題の本質を見つけ解決してきた。そして、これは同僚の院生や後輩からの相談の場面でも役に立った。悩んでいることを素直に話してもらい「なぜ」を問い続ける。すると、相談が終わって帰る間際に

「相談に乗ってくれてありがとう。自分では気づかなかった課題の本質が見えてきた」

そう言って、気持ちよく帰り、次の日の研究室では笑顔で研究している人を多く見てきた。その姿を見るたびに『なぜ』が持つ力の大きさに驚かされている。

【自分の強み】

長い長い私の歴史を読んでいただきありがとうございます。最後に自分の経験から得た学びをお伝えし、終わりとします。

(強み①『負けず嫌いは人の10倍』)
バスケ部や大学受験の経験がなければ『負けず嫌い』の精神はなかったかもしれません。どれだけすごい人にあっても「絶対に追いついて、追い越してやる」という気持ちが芽生えます。

(強み②『チームリーダーになる素質』)
個性派ヤンキー集団(バスケ部)を1つのチームにまとめ上げ、さらには結果を出してきた人は前代未聞!メンバー1人1人の行動や性格をしっかりと理解しないとできないし至難の技!

(強み③『圧倒的な行動量』)
中学/高校の時から行動オバケ。このnoteを見て頂ければわかるはず!今では行動することが習慣となり、ボーッと過ごすことが無い毎日!

(強み④『相手の個性/性質を受け入れられる』)
相手を受け入れるためには、自分を受け入れることが大切。それを教えてくれた『私の唇』。どんな人でも相手の個性を受け入れ、懐に入っていく技術は圧巻です。

(強み⑤『お金より貢献』)
お金は生活していく上で大切。しかし、私の生活においてそれ以上に大切なのが『貢献』。相手が喜び、感謝してくれる。これはお金以上の価値があることを『時給計算250円 塾講師』を経験し実感しました。

(強み⑥『本質を捉える技術』)
大学院時代に味わった2度目のどん底。そこで得た生き抜くための方程式『なぜ×5=本質』現在は「なぜ」の魔法を自分だけではなく、困っている人に問いかけることで、今まで思いつかなかった気づきを生ませることができています。



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