「曇り空に」第3話 曇り空のかえりみち
「こんなに水がおいしいと思ったのは初めてで。体の隅々まで蘇るような元気をもらった」
「それでは、東京に戻します」
・・・
「はい、オッケーです! 次、知事ね。すぐ出るよー」
「ラベルもばっちり映していただき、ありがとうございました!」
「いえいえ、こちらこそ。わざわざお越しくださってありがとうございました。いい画が撮れたと思いますよ! 映像も後日送りますね。では、東京戻ったら企画の件、よろしくお願いします!」
「とんでもありません、うちの水が出るんですから当然ですよ。企画の件は、お任せください。ではまた、東京で」
・・・
(何あいつ、被災地にスーツなんかで来て。バカみたい)
(テレビの連中、もう帰るんだ。たいして話、聞いてないじゃない)
人間の世界なんていとも簡単に呑み込んでしまいそうな深い山々に囲まれた、小さな盆地の小さな体育館に、水野麻希はいる。2階に上がれば坂の下には群青の海が広がる。峻厳な大自然と大自然に挟まれた、レトロな中学校の体育館。今は150人あまりが避難生活を送る。
(ま、いいや。自分の仕事をしよっと)
「田村さーん、駐車場の方々って、終わりました?」
「いや、まだよー」
「じゃあ、私そっちに行きますね!」
避難してきても、避難所には入らず、駐車場に置いた車の中で寝泊まりする人たちがいる。
他人と一緒じゃ落ち着かない、気兼ねする、寝られないという人が多い。
いびきがうるさくて、子どもがうるさくて、認知症のおばあちゃんが迷惑かけるからなどと言う人もいる。
もちろん人間関係もある。
「おばあちゃんがあの人たちと一緒は嫌だって言って聞かないんだよ…」なんて話もよく聞く。
自宅には戻れず、かといって他に行くあてもない人、あるいは何らかの理由で福祉避難所や救護所に移れない人たちばかり。
コンコン
「こんにちは。私、東京都から災害派遣で来た看護師の水野です。お疲れと思いますが、少しお話を伺ってもよいでしょうか。また、もしよろしければ血圧などを測らせていただけませんか?」
災害で車中避難するとき、最も気を付けなければいかないのはエコノミークラス症候群だ。狭い車内でずっと同じ姿勢でいるために脚に血栓ができ、それが血液の流れに乗って肺の血管を詰まらせて突然の呼吸困難などを引き起こす。突然死することもある怖い病態。
運動不足だけでなく水分不足も大きな原因になるため、車中避難している人に水分摂取と運動を促すのが、医療職の大切な仕事の一つになる。
(ん? 水)
(そうだよ、さっきの水だって、エコノミークラス症候群と水分摂取の重要性なんかと絡ませたら、もっと人の役に立つ有意義な情報になるのに…)
(視聴者の同情を集めそうな「かわいそうな画」ばかり撮りたがる…)
(それか、断水が続くなかで天然水の企業がウォーターサーバーを寄付みたいな、わかりやすい美談の画を撮ってさ。ろくに避難者の人たちやスタッフの話も聞かないで15分で去る…。まあ、義援金が集まりやすくなるからいいのかもしれないけど…)
(てか、あれスポンサーだったらほんと草だけど、ありえるかもね苦笑)
「田村さん、駐車場の皆さんの情報収集と説明、終わりました!」
「じゃあ、トイレ休憩して10分後、プラン作りましょ」
・・・
(ふぅー。そういえば、さっきのおじいちゃん、本当においしそうにこの水飲んでたな。おいしいのかな?)
ゴボゴボゴボ
ごくん
(お、おいしい…! すごくおいしい水…!)
(ん? おいしい水…???)
(なんだっけ、「おいしい水」で何か思い出しそうなんだけど)
(遠い昔の何かを…。なんかおぼろげに男の顔が…。うーん)
「水野さん、この水、おいしくない?」
「すごい美味しいです。給水車の水と大違い!」
「おいしい水を飲むとホッとするよね。体の細胞が生き返る感じもする。あたしね、病院の副看護部長をしてるんだけど、今度、院内や外来にこういうやつ置けないか、提案してみようかな?」
「あ、いいですねー。いざという時の備蓄にもなるし」
「ほら、外来も病棟のラウンジや待合室にもこういうのないじゃない。オペの家族室もさ。なんかホッとすると思うんだよね、患者さんやご家族も」
「あ、いいかも。私も防災委員なんですよね。提案してみようかな。すんごい下っ端だけど!」
「これからよ笑 大きな災害派遣を経験した子はいずれ師長や看護部長になるってジンクスがあるの。じゃあ、そろそろやりましょうか。今日中に要望書まで作りましょ!」
・・・
・・・
・・・
「水野さん、今日までありがとう! また東京で!」
「田村さん、いや田村副看護部長も! ぜひ東京で。門田先生も! ちーちゃんもね! みんな、ありがとうございました!」
「気をつけてねー! 絶対、飲みましょ!」
・・・
DMAT(災害派遣医療チーム)や赤十字、自衛隊が知られているが、医師会や看護協会、大学病院グループなど、様々な医療系の団体がいざ災害が起きたときにすぐ派遣できる医療職を確保している。
私は、勤務先の病院で、今年持ち回りの災害派遣担当になった。基本は立候補だけど、ほとんどは持ち回り。ただでさえ忙しい毎日だから、やりたがる人はとても少ない。
今年1年、大きな災害がなく過ごせますようにと思ったら、のっけからこうだった。
でも、たった1週間だったけど、来てよかったと思ってる。
東京に戻るミニバスの中、どうしても少し感傷的になる。
6年目のナースなんて、病院外のことを何も知らない、まだまだひよっこ。そう思えたし、先輩たちはみんなかっこよかった。
そういえば、あの水、おいしかったなー。
あ!!! 思い出した!!!!
ボサノバ!!!!
と、一樹!!!!!!
ちょっと待って顔がぼんやり。ぼやーっとしたやつだった。
2年くらい付き合ったっけ?1年半?
えーと、顔、顔。ああ、これだ。
USJ、懐かしいなー。ってか、私わかっ。お肌つやつや。
そういえば、一樹、いま何してるんだろ?
もう別れて6年になる?
あ、あいつそう言えば、水を売る会社に勤めるとか言ってたw
本当、主体性がないんだからって笑っちゃった。頼りないんだから。
ちょっとLINEしてみようかな…?
繋がるかな?
彼女いるかな? 迷惑かな? 結婚してたりして。
まあ、いいや東京までのかえりみち、まだまだ長いからゆっくり考えよー。
それにしても曇り空。雨も雪も降りませんように。
土砂災害とか起きたら大変だから。
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あやのんさんの第2話を読んだとき、「そっちっ!!!」と困惑しましたが笑笑、午後の会議の後に急に話が降りてきました! あやのんさんのお陰で、話の幅が広がったと思います! 春永さん、こんな感じで振ってしまいましたが、よろしくお願い致します! あとは文芸のプロ任せ笑