とある初夏の朝

※CoCTRPGシナリオ「真実のウロコ」後日談。ネタバレがありますのでこれからプレイされるかもしれない方は読まないでね(めちゃくちゃおもしろいシナリオなので機会があったら是非プレイしてね!)。「首吊りアパート」の軽いネタバレもあります(これはシナリオの根幹に関わるネタバレではないです)。TRPGされない方はふつうの小説として読めます。

--------------------

 さて、あたりまえの日常が始まる。食事をして業務に戻る。人と会話をして人が生き延びる方法を処置し人と会話をして人と会話をする。その繰り返しだ。そうやって会話を繰り返すあいだ周囲の人々は、霜月、と俺の名前を呼び、ふさぎこんでいる、と言う。旅行に行く前よりふさぎこんでいる、と。彼らは俺が気晴らしに旅行に行ってくると言ったことを知っていて、だから、リフレッシュ休暇がめちゃくちゃになって残念だったねと言う。リフレッシュ休暇なんて場合じゃなかったことはわかるよ、残念だったね、ふさぎこむのも無理はない。

 そんなばかな、と俺は思う。俺はふさぎこんでなんていない。俺はふさぎこむことができる立場ではない。俺は、と思ってそれから、ああなるほど、と思う。精神状態に異常をきたしている。ふさぎこむことができる立場ではないかどうかが、実際にふさぎこむかどうかを左右するわけではない、そんなのは、あたりまえのことじゃないか。

 すみません、と俺は言う。ふさぎこんでいました、と俺は言う。俺がそれを言った相手は、旅先で事故があったんだって? と聞く。なんだ知ってんのか、と思ったあとで、俺自身がそれを相手に伝えていたことを思い出す。瀬尾山そうなんです、と俺は言う。そうなんです、と答えたあとで、そうだったのだろうか、と俺は思う。事故? そうだったんだろうか。

 俺が彼らを殺したんじゃないのか?

 少し前そんな夢を見た。でもわからない。少し前に見た夢と、このあいだ現実の旅先で起こったことの、区別がうまくつけられない。どっちが本当だか、わからない。夢の中で起きたことのほうが、痛かった。現実で起こったことのほうは、たいして痛くはなかった、でも、対話が。

 人が三人死んだ。

 俺が彼らを殺したんじゃないのか?



 あたりまえの喧嘩の痕のようなありきたりの負傷はべたりと濡れた感触として残っているだけだ。俺は湖の岸辺に打ち上げられている。声に飛び起きる。生きている。俺は叫んでいる。「あと、少なくとも四人いるはずなんです」。がんがんと警告音のような心拍数の上昇を感じる。少なくとも四人。自分が口にした言葉にぞっとしている。

 俺たちは人魚の末裔の館で、それとは知らず休暇を過ごそうとしていた。人魚の末裔たちあるいはその類の心配をする必要があるとは俺には思えなかった。これがぞっとした理由のひとつ。人間のかたちをしていてしかし人間ではないと判断したものをあっさりと切り捨てたこと。それは正しい判断だったのか?

 そして人魚の末裔の館で、俺たちは極限状態にあった。与えられた選択肢のどれかが正解あるいは全てが正解であったとして、それを選択する権利が全員にあった、それはたしかだ、呪文の詠唱を選択すると宣言したおっさんは自分で決めた、人魚の末裔の美しいお嬢さんに心を寄せていたらしい青年も、何かを判断したことは確認した、そこまで考えて再度ぞっとする。あとのふたりは?

 俺のなかのひどく冷静な部分が告げる。「意思決定権の行使を促せたのはおまえだけだった」

 そして俺ひとりだけが無傷で助かった。


 ひとりぶんのワクチンが存在していて、それを口にすることをあらゆる人間が躊躇うような形をしていて、俺にとってはそれは躊躇うにあたいするものではない、という状況で、俺はそのワクチンを口にした。

 そして俺ひとりだけが無傷で助かった。


 わかっている。そう思う。俺は心療内科に行ってなんらかの診断を下されて処方を受けるべきなのだろうとわかっている。そしてカウンセリングを受けて思考を整理すべきなのだろう。そうでなければ適切な量の酒でも飲むか、なんらかのサービスを受けて甘やかされるべきなのだろう。

 でもそもそもどこからどこまでが夢だ。

 最初は夢だった、そうだろう。狭い部屋で俺は選択を迫られて選択をした、あれは夢だ、目が覚めて、夢だったとわかった。目覚めた時は、単に医療倫理的命題に取り憑かれただけだろうと思った。それについてはたしかに勉強をする必要があると思った。勉強を始めた。頭が混乱して、どこかきれいなところに行こうと思った。

 それから?

 きれいな湖の見える館につく。朗らかに談笑する。眠って、目が覚めて、死体が三つと、かろうじて息のある青年がひとり、全員知っている人間、夢の中で会った人間、そもそもどこからが夢だ。そして、そう、ひとり生き伸びている、会いたくないと思う、会いたくない、俺は何を選択したんだ。


「人魚の肉を食ったんですよ」

 俺は誰かに告げている。俺はそれを誰にも告げることができないので、それはたぶん夢なのだろうと思う。俺は見慣れた食堂にいる。美しい装飾が施された古びた穏やかさに満ちた食堂で、俺は自分があの館にいることに気づく。とぼけた顔つきの昆虫博士と、どこか影のある長身の中年男と、無邪気に微笑んでいる巻き毛の青年と、どこか胡散臭い眼鏡の男と、それからもうひとり、俺の目には傷つきかけて何もかもを諦めつつあるように見える美しいお嬢さんがいる。そこにひとり足りない。わかっている。

 俺がーーからだ。

「人魚の肉をみんな食わないと言ったから、俺が食ったんですよ。だから助かったんです。人間を生かすのが俺の役割だったんです。でも俺ひとりだけが生き残ってしまった」

 彼らは口を開かない。彼らは微笑んでいる。夢だから。

 ただひとり昆虫博士だけが、とぼけた顔のまま、不機嫌そうに言った。

「生きたまま食べるなんて残酷じゃないかね」

 死んでりゃいいのか?


 目を覚ました俺は笑っている。俺は笑っている。笑うしかないだろう。彼らは俺を恨みはしないだろう。そんなことは最初からわかっていた。わかっていた。わかっていたんだ。俺は笑っている。笑うしかないだろう。こんなの笑うしかないんじゃないか? たぶん誰かが誰かを救うことが出来るなんて傲慢なことだったんだ。俺たちは別々に生きて別々に死ぬんだ。それでも。

 それでも。

 俺の足には鱗に似たあざがあり、それはあの日岸辺で目覚めたときからずっと、癒えることなく俺の足にある。俺はサンダルが好きで、年中サンダルを履いていて冬には寒いからやめろと叱られていたのだけれど、そしていまは初夏でこれから夏が来てサンダルを履いていて一番幸福な時期なのだけど、俺はこれからそれを全部捨てることになる。

 もしかしたらこのあざは成長して俺を飲み込むのかもしれない。そうして俺は一匹の金色の魚になるのかもしれない。

 そのとき俺が誰かを救うばんならいいんだけど、でも、俺を飲む奴はたぶん、いないんだろうな。

気に入っていただけたらサポートいただけるとうれしいです。