ジョン エイヴァリ ロウマクス

❡ 英語版 抜粋 〕生まれた1867年は日本式なら慶応三年、翌年が明治改元。ヨーロッパではKマルクスが資本論第1巻を発刊、時代の変わり目を告げる事象が相次ぐ時代だった。米国は独立宣言から約110年、奴隷解放宣言・南北戦争が終結して僅か2年後の事だった。
 ロウマクスは子供の頃からカウボーイの歌謡を好み、また、9歳の頃、父の農場に雇われた元奴隷のナット ブライスと親交するなど早くから民俗歌謡に親しんだ。本格的に民俗学に取り組み始めたのは1906年、カウボーイの歌やバラッドの収集を始めた(当時の民俗学は英文学の派生分野だった)。1909年にテキサス民俗学協会を共同設立。1910年にカウボーイの歌と開拓者のバラッド(詞華集)を発表。1912年に米国民俗学協会の会長に就任した。

 1929年に起きた世界恐慌からの回復をめざして米国ではニューディール政策が始まり、その一環として芸術支援策のフェデラル ワンが施行、多くの作家や音楽家が米国ほか各地のコミュニティに派遣され、地域に伝わるブルーズやワークソング、エスニック文化の採集に従事した。既に恐慌前の1928年、米国議会図書館には民俗歌謡を管理・保存する米国民俗歌謡資料館(Archive of American Folk Song)が民間基金で設立。1930年代、民俗歌謡 folk song は公式に米国で国民文化として承認され、その採集・保全は国家事業になった。1934年、ロウマクスは民俗歌謡資料館の指導者に就任、1948年に亡くなるまでその職を務め、米国民俗学・音楽学の創始者となった。

 ロウマクスは2度結婚した。初婚の妻はベス ボウマン ブラウン、再婚の妻はルビー テリル。初婚の妻はジョン エイヴァリ 二世、アラン、ベスの2男1女をもうけた。家族は全員、ロウマクスのフィールドワークに協力し、米国民俗歌謡の採集・保護にあたった。とくに次男のアラン は18歳から父の採集・保護活動に同行して研究に協力、後に父の後を継いで民俗歌謡資料館の指導者に就任して所蔵資料の拡充を図ると共に、米国民俗歌謡再生運動 folk revival の基礎を造った。

 米国議会図書館の民俗歌謡資料館(現在の民俗生活センター)は米国 33州と西インド諸島の一部、バハマ、ハイチで収集された歌謡の音源記録と膨大な文書資料を収蔵、アルミニウムやアセテートの記録媒体に収められた 音源は1 万枚を超える。

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