フォークソング

❡ ウィキペディア 力作賞 〕有り得ない想定だが、この項目の記述内容が1970年の日本にあれば、以降の日本の音楽は根本的に変わっていた筈。敗戦後の音楽主流が1960年代から1970年代に最多数化へ向かい始めた時、その出発点が何処だったのか、また、どの方向へ向かうのか、誰も知らなかった。当時の今が何処なのか、知らなさ過ぎた。また、何処へ向かいたいのか、知らなさ過ぎた。ただ、数的な最多数化だけが行動原理で、結果、今もそれだけが音楽の存在理由。

日本のフォークソング

 項目記述は或いはここから始めても良かったかもしれない。1970年代の前半、現在なら口承民俗歌謡等とでも異化して明らかに民謡とは言わないフォークソングの意味合いが解り掛けた途端に、ニューミュジック等に表示が変わり、フォークソングを歌唱する中でめざした出発地点の解明は次々と不問に付され、音響の新奇と経済効果が相関を切り結ぶ産業拡大だけが音楽の向かう唯一の方角になった。フォークソングが標題なので、ニューミュジック時代以降の記述は本来は別項目の内容に相応しかったか。

 明治時代の学問業界がフォルクスリート Volkslied ドイツ語から案出した民謡は学術定義以外の内実が無く、当時の言葉では里謡・俚謡など、ほぼ大衆歌謡に近い。この民謡、また、その当時の最後継となった1960年時代の日本民謡の概念を使って1960年代以降のフォークソングを理解しようとするのは無謀な努力で、ウィキペディア項目も新聞記事等の???例を示した。

 ▷ 1962−0406 清潔な魅力 ブラザース・フォアの民謡

 ▷ 1963−0927 最近のアメリカ軽音楽界〜
   完全に民謡ブーム 大学生たちが熱烈な推進

 ▷ 1963 女性一人、男性二人の民謡コーラスチーム

 日本語のフォークソングに意味合いが近づくのは1966年以降。ただしその後、背景となった米国の事情 folk revival を参照する暇も無く、1970年代の初頭に日本語のフォークソングは蒸発した。

米国のフォークソング

 日本版フォークソングは起源の少なからぬ部分を米国のフォークソングに基づいていた。にも拘らず、米国フォークソングの基本原理 folk revival は殆ど理解しなかった。米国の民俗音楽は1930年代から口承歌謡の保護に基づく固有文化の復興、国民文化の確立をめざした。第一次世界大戦を境に世界経済の主軸に進化した米国が世界恐慌からの回復を期して実施したニューディール政策、その一環として実施した文化政策だった。
 1930年代の音源採集開始、1940年代前半の確立期の後、1940年代後半の変質期を経て、新民俗歌謡としての再生をめざす1950年代の folk revival の運動が起こり、1965年の成熟に向かう。この過程、紆余曲折を解明する記述が実にスリリング。フォークソング、ウェスタン、ブルーズの展開。そして、日本でフォークソングの概念が定着し始める1966年の前年、米国ではフォークソングからロックへ音楽の骨格が転換し始めた。

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