面倒くさいことこそが生きていること
土曜のノーギクラスのあとテクニックドリルの練習会をやりたいです、とヨシマサインストラクターに言われたのでその時間を開放するようにしました。それなりの大人数の参加があって和気あいあいとみなさん楽しそうにそしてつつがなく練習を終えたようで何よりです。私が会員さんに柔術の方針で何かをやれまたは何かをするなということはあまりないのでこういった具合に若手から声が上がるのは盛り上がっている雰囲気がありますね。タイムテーブルをいろいろ変更しているので空き時間については有効活用していきたいです。
さて件の練習会が終わり会員さんたちが和気あいあいと帰った後、ヨシマサインストラクターがいやそうな顔をしながらアジリティトレーニングの練習道具一式をマットの上に運び始めました。彼が主催していたそっちの練習会は人気がないそうです。大みそかのダウンタウン笑ってはいけない24時に出ているかのように無表情だったヨシマサインストラクターが面倒くさそうな雰囲気を出すのは珍しいことです。
このいやそうな感じが人生です。仕方ないけれどやらないとだめだよなという感じが人生です。自分で決めたことだし嫌だしいろいろ痛いけれどやろう、というところの、やろう、の格好いい部分ではなくて、いろいろ面倒くさいけれど、の部分が人生です。
死後の世界を信じているわけじゃないがもしも天国があるならば痛みや面倒くささなどもないままにすべて手に入り願いもかなえられるわけです。
生きていればこそつきまとうはずの面倒くささを味わってほしいものです。
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