毒親物語

※柔術関係ないよ

古い記憶です。
私がまだ小学生だった頃です。
近所に無料で湧き水をもらえる場所がありました。
貧しく、そして卑しい家の私は無料の甘い言葉に誘われてよく母と自転車で出かけて湧き水を汲みに行きました。

湧き水が出るということから分かるように私たちは田舎に住んでいました。
水を汲みに行くまでの道。
両脇には大きな排水溝があり、蓋はされていませんでした。
都会の人には想像できないでしょうが落ちたら自転車ごと飲み込まれるほど大きく深い溝です。

いつも水をポリタンクに汲み入れた後、自転車の前カゴに入れていました。
重くて自転車のハンドルがフラフラして溝に落ちないか少し不安になりながら家に戻っていた記憶があります。
帰り道、母はハンドルがおぼつかなく自転車を漕ぐのが遅い私を待つのが嫌でした。
イライラしながらどんどん先に行ってしまいます。
いつも置いてかれないように必死で追いかけながら家に帰っていた記憶があります。

その日も水を汲み終えた後、遅れないように必死についていった時です。
いつもはあまり車も通らない細い道ですがその日は軽トラックが対面から直進してきました。
私は溝に落ちたくないので止まってやり過ごそうと思いました。
ちょうどその時反対側には女子高生2人が私と同じ方向へ自転車を並走していました。

自転車3台分のスペースがなくなった軽トラックの運転手は速度を落としゆっくりその間を通り抜けていきました。
私とすれ違うその時です。
運転席の窓を開けて私の方を睨み
「お前、邪魔だ。ガキが考えて走れ。」
と怒鳴って通り抜けていきました。
私は知らない大人にいきなり怒られて、怖かったのを覚えてます。
少し先には母が待っていてそのやりとりを見ていました。
私が母の隣に追いついた時です。
「そりゃ、邪魔していたのが女子高生とお前なら、子供のお前が注意されるわ!」
と母にも怒られました。
人前で自分の子供が怒られるのが恥ずかしくてその怒りをぶつけてきたのでしょうか?
とにかくプライドは高く、人を攻撃することが大好きな人でした。

その後、帰宅して飲んだ湧き水は涙で、少ししょっぱい味がしました(嘘)

たまにこの時のことを思い出したりしています。
いい思い出だからとかじゃなくてね。

最近、気がついたことがあるんですよ。
この時の出来事。
今までは、親が私を怒ったし、自分が悪かったのか?とか考えたりしてたんです。

対面の車が運転席の窓を開けて注意してきたってどういうことか分かりますか?
たぶん、俺はその時、自転車でちゃんと左側通行をしてたんですよ。
軽トラックで左ハンドルの可能性は低そうだし。
この名推理ができたのは古田任三郎の再放送を見てたおかげだな。

自分が親が子育てしていた歳と近づく時、あの日の親は会社では自分のために必死に働いて上司に怒られて、それでも誕生日なら子供のためにケーキを買って家に帰って祝っていた。と親に感謝するという話があります。
確か有名な予備校の先生だったと思います。

私の場合は全く逆のことが多いです。
昔の親との出来事を大人になり思い出すと、がっかりすることが多いです。
自分が大人になり、客観的にみると、とても酷いことをされていたんだなと。
その時はまだ何もわからない子供で無条件で親に愛されたいという気持ちもあり、やられたことの酷さに気が付かなかったんだと。

親ガチャって、年末年始くらいは会いたいと思うとか、育ててくれたことに感謝できたり、親を愛すことができるなら、お金持ちや高学歴な親ではなくても成功なのではないでしょうか?

創作かどうか聞かれることがあるので先に言いますがほぼ実話です

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